…帰ろう。
「……帰ろう。」
しばらく海を見つめたあと、彗は静かに言った。
「うん。」
凪もそれ以上は何も聞かなかった。
波は彗の手を握る。
「お兄さん、怖い?」
その問いに、彗は少しだけ考えた。
「……分からない。」
「でも。」
「何かが始まる気がする。」
三人は恋路ヶ浜をあとにした。
振り返ると、海は何事もなかったように波を打っている。
あの緑の光だけが、夢だったかのように。
◇ ◇ ◇
翌朝。
「お兄さん、ご飯まだー?」
「もうできる。」
キッチンから味噌汁の香りが漂う。
いつもの朝。
いつもの食卓。
「いただきます。」
三人の声が重なる。
昨日の出来事が嘘だったかのように、穏やかな時間が流れていた。
食事を終え、波がテレビのリモコンを手に取る。
「ニュース見るー。」
画面が切り替わる。
『続いてのニュースです。』
女性アナウンサーの声が流れる。
『愛知県田原市の恋路ヶ浜沖で、昨夜未明、不思議な発光現象が確認されました。』
彗の箸が止まる。
画面には、スマートフォンで撮影された映像が映し出されていた。
夜の海。
そして、水平線で一瞬だけ輝く緑色の閃光。
「……!」
凪も息を呑む。
「昨日の……。」
『専門家によりますと、蜃気楼や大気の屈折現象の可能性も考えられますが、現時点では原因は分かっていません。』
映像は数秒で終わった。
テレビは次のニュースへ切り替わる。
部屋には静寂だけが残る。
「夢じゃ……なかった。」
凪が呟く。
彗は何も言わない。
ただ、画面が切り替わったテレビを見つめていた。
その時だった。
テーブルの上に置いてあった彗のスマートフォンが震える。
ブルッ。
見知らぬ番号からの着信。
彗は眉をひそめる。
「……誰だ。」
通話ボタンを押す。
『――水平彗君で間違いありませんか。』
聞いたことのない男の声だった。
「そうですけど。」
『突然のお電話で失礼します。』
一拍置いて、男は続ける。
『昨夜、恋路ヶ浜にいましたね。』
彗の表情が変わる。
「……どうして、それを。」
電話の向こうで、小さく息を吐く音がした。
『やはり、あなたが”見えて”いましたか。』
『至急、お会いしたいことがあります。』
『これは、あなたの運命に関わる話です。』
通話が切れた。
部屋には沈黙だけが残る。
凪と波は、不安そうに彗を見つめていた。
彗はゆっくりとスマートフォンを握り締める。
あの日、櫂が言った言葉が頭をよぎる。
世界が終わるって、素敵な響きだと思わない?」
胸の奥で、何かが静かに動き始めていた。




