電話が切れたあと
電話が切れたあとも、部屋には重たい沈黙が流れていた。
「……誰だったの?」
凪が恐る恐る尋ねる。
彗はスマートフォンの画面を見つめたまま答える。
「知らない人。」
「でも……。」
一度言葉を切る。
「昨日、恋路ヶ浜にいたことを知ってた。」
「え……。」
凪の表情が強張る。
波も不安そうに彗の袖を掴んだ。
「お兄さん……警察?」
「違うと思う。」
彗は首を横に振る。
「警察なら、あんな言い方はしない。」
『あなたが”見えて”いましたか。』
その一言だけが頭から離れない。
あの緑の光は、誰にでも見えたわけではないのか。
◇ ◇ ◇
その日の午後。
約束された場所は、岡崎駅近くの古い喫茶店だった。
店内にはクラシックが静かに流れている。
窓際の席に、一人の男性が座っていた。
年齢は四十代後半ほど。
白いワイシャツに黒縁眼鏡。
研究者のような落ち着いた雰囲気をまとっている。
彗が席へ近づくと、男性は立ち上がった。
「初めまして。」
「私は九条誠といいます。」
彗も軽く頭を下げる。
「水平彗です。」
九条は向かいの席を勧めた。
「単刀直入に聞きます。」
「君は二年前から、普通の人には見えない現象を見るようになっていませんか。」
その質問に、彗の呼吸が止まる。
櫂と出会った頃。
夢を見るようになった頃。
そして最近の緑の光。
偶然とは思えない。
「……どうして知ってるんですか。」
九条は鞄から一冊の古びたファイルを取り出した。
中には数十枚の写真が挟まれている。
その一枚を彗の前へ置いた。
「これは十五年前。」
写真には、恋路ヶ浜の夕日が写っていた。
そして。
水平線の端には、昨日と同じ緑色の閃光が映っていた。
彗は息を呑む。
「同じ……。」
「そうです。」
九条は静かに頷く。
「この現象は、数十年に一度しか確認されません。」
「そして。」
「この光を見た者には、ある共通点があります。」
彗は写真から目を離せない。
「共通点……?」
九条は真っ直ぐ彗を見た。
「大切な人を失った者。」
その言葉が、胸を鋭く刺した。
櫂。
海。
そして、自分が守れなかった数え切れないもの。
九条は静かに続ける。
「そして、その中から必ず一人。」
「世界の境界を見る者が現れるのです。」
店の外では、真夏の蝉が鳴いている。
しかし彗には、その音がまるで遠くの世界のもののように感じられた。
世界の境界。
その言葉だけが、静かに心の奥へ沈んでいった。




