"平気"とは
翌日。
「あ、今日も懲りずに来たんだ。水平くん」
教室に入るなり、誰かが笑った。
その一言をきっかけに、教室中に嘲笑が広がる。
彗は何も言わず、自分の席へ向かった。
その様子を、教室の隅から北宮凪が見つめていた。
唇を噛み締め、拳をぎゅっと握る。
昼休み。
彗が席を立った、その瞬間だった。
「あ、ごめんねー」
わざとらしい声と同時に、肩を強く突き飛ばされる。
体勢を崩し、机にぶつかる。
教室には笑い声が響いた。
押したのは野原司。
彗をいじめるグループの中心人物だった。
それでも彗は何事もなかったように制服の埃を払い、静かに教室を出ていく。
屋上。
ここだけは好きだった。
誰も来ない。
空が近く、閉じ込められている感覚もない。
雨雲に覆われた灰色の空でさえ、教室よりずっと広く感じる。
「ねえ……なんで」
後ろから声がした。
「どうして平気なの?」
振り返ると、息を切らした凪が立っていた。
その瞳には戸惑いだけではない。
怒りと悲しみが入り混じっている。
「野原君も、茅野君も……」
彗は空を見上げたまま呟く。
「みんな辛いからかな」
凪は言葉を失う。
予想もしない答えだった。
「彼らも苦しいんだよ。」
「ただ、ストレスの発散の仕方が下手なだけ。」
雨粒がフェンスを叩く。
「だからって!」
凪は思わず声を荒げた。
「だからって、水平君が苦しむ理由にはならない!」
彗はゆっくりと凪を見る。
その表情には怒りも悲しみもなかった。
「俺は大丈夫。」
静かな声だった。
「俺は発散の仕方が上手いから。」
「……どういうこと?」
凪が問い返す。
彗は少しだけ空を見上げ、微かに笑った。
「空を見ること。」
「風に当たること。」
「雨の音を聞くこと。」
「それだけで十分だから。」
「だから、俺は平気。」
その笑顔は穏やかだった。
けれど凪には、その笑顔が何よりも痛々しく見えた。
「……そんなの」
凪の瞳に涙が滲む。
「平気なんかじゃないよ……」
その声は、雨音に溶けるように消えていった。




