母からの願い
それからすぐに、三人は病院へ向かった。
病室では、凪と波が母・海のそばに寄り添い、静かに話をしていた。
穏やかな時間が流れる。
やがて海がゆっくりと彗へ視線を向けた。
「……ごめんなさい。」
優しく微笑む。
「少しだけ、彗君と二人で話してもいいかしら。」
凪と波は顔を見合わせ、小さく頷いて病室を出ていった。
扉が静かに閉まる。
病室には二人だけになった。
彗は椅子へ腰を下ろす。
海は痩せ細っていた。
それでも、その目だけは驚くほど穏やかだった。
どこか達観したような空気。
その姿は、どこか今の彗と重なって見えた。
「彗君。」
「あなたのことは、娘たちからたくさん聞いているわ。」
「二人を助けてくれて、本当にありがとう。」
その言葉は真っ直ぐだった。
だからこそ痛い。
胸の奥に突き刺さる。
――ありがとう。
その言葉だけは、どうしても受け入れられない。
彗は俯いたまま、何も答えられなかった。
海は責めることなく、小さく微笑む。
「厚かましいお願いなのは分かっているの。」
「私は……もう長くない。」
その一言だけで十分だった。
「きっと凪と波は、祖父母に引き取られると思う。」
少し寂しそうに笑う。
彗は静かに口を開いた。
「あまり……よく思われていないんですね。」
海は少し驚き、それから苦笑した。
「……やっぱり分かっちゃうか。」
「うん。」
「昔から、あの人たちは私たち親子をあまり快く思っていないの。」
「だから……。」
海は震える手を布団の上で重ねる。
「もし。」
「もしあの子たちが困っていたら。」
「助けてあげてくれないかな。」
その願いは、母親として最後に残せる精一杯の言葉だった。
彗はしばらく黙っていた。
病室には心電図の電子音だけが響く。
やがて、ゆっくりと顔を上げる。
「約束は……できません。」
海の表情が少し曇る。
「でも。」
彗は静かに続けた。
「俺は、困っている人を放っておけない性格です。」
「だから。」
「凪と波が助けを求めたなら。」
「その時は、できる限り力になります。」
海はその言葉を聞き、安心したように目を細めた。
「……十分よ。」
「ありがとう、彗君。」
その笑顔は、母親として娘たちを少しだけ安心して送り出せる人の笑顔だった。




