第四話:赤字
鱗熊の牙を置いた。討伐の証拠だ。
メルダは、それを手に取って、ためつすがめつ確かめた。
「上振れの個体だね。よくやった」
メルダは、それだけ言って、すぐに帳簿を開いた。
「で、精算だが……」
報酬は銀銭15枚。ここから聖銭2枚分の銀銭20枚を引く。
答えは出ている。
「銀銭5枚の赤だね」
「……だな」
帳簿を閉じかけて、メルダの手が止まった。
「口の中に投げて、仕留めたと聞いたが、1枚目はどこに投げた?」
「……顔だ。リーネが襲われていて、狙う余裕がなかった」
「なるほど、そういうことかい」
メルダの口角が少し上がった。
「1枚目がリーネの命、2枚目が魔物の命。聖銭2枚で、人命と商路の安全を買ったわけだ」
「……まあ、そうだな」
初めてとはいえ、組んだ以上は、持ちつ持たれつだ。
今回は、俺が持つ側だった。それだけのことだ。
「次の仕事から、報酬を上げる。銀銭2枚の上乗せだ」
「……いいのか?」
「腕の良さは分かったからね。投資だよ。同じ条件じゃ、他所に持っていかれる」
他に行くあてなんかないが、言わなかった。
メルダもわかっているだろう。わかった上で、交渉の形を作ってくれている。
商人なりの善意だと思った。
「次の仕事は、あるか」
言ってから、少し驚いた。
聞くつもりはなかった。口が先に動いていた。
「あるよ。東の丘陵に魔物が出ている」
メルダの顔つきが変わった。
商売が成立した時の、それでいてどこか愉快そうな顔。
「それじゃ、商談に入ろうか」
次こそは、1枚で仕留める。1枚なら、確実に黒字だ。
「次も同行します」
リーネだった。いつの間にか、店の入口に立っていた。
手には紙包みを下げている。
「なんでだ」
「この前は、助けてもらいましたから」
「あれは……」
言いかけて、やめた。
仕方なかったとも、お前のためじゃないとも言えたが、わざわざ口にするようなことではないと思った。
「……好きにしろ」
メルダとの交渉を終えて、店を出た。
腹が鳴った。朝から何も食っていない。
「これ、来る途中で買ったんですけど、一つ余ったので」
リーネが紙包みを渡してきた。肉の匂いがする。
「……もらっていいのか」
「余り物ですから」
嘘が下手な奴だ。どう見ても、二つ買ったとしか思えない。
「恩に着る」
かじった。うまかった。
リーネは、すでに歩き出している。
三年前にも、こんな日があった。
報酬で何か食ったはずだが、何だったかは覚えていない。
「俺が出す」と言って、アルフレードが譲らなかった。
うまかった。それだけは、はっきりと覚えている。
そういえば、アルフレードは、まだ遠征から戻っていないらしい。
禁呪域という魔法の発現しないところで、厄介な場所だが、それでも一ヶ月程度で片付くの場所だ。
まあ、あいつのことだ。じきに帰って来るだろう。
◆ハンジの懐事情
・所持金:銅銭2枚
・借 金:聖銭200枚/銀銭5枚
***
執務室で、カスパルは帳簿に向かっていた。
夕方、酒場に遣った男から報告があった。
銭投げは挑発に乗らなかったという。
殴り合いにでもなれば、都合が良かったのだが……。
卓の引き出しを開ける。中に革袋があった。
受け取り手を失った聖銭100枚が、そのまま収まっている。
ヴェスペラの「アルフレードには伝えるわよ」という言葉が、耳の奥で蘇る。
あの女の性格上、引き下がることはないだろう。
こちらから先に手を打つ必要がある。
卓の上に、遠征の編成表があった。
東の辺境。小規模な討伐任務。
ヴェスペラ。その下に、二つの名前を書き加えた。
三人だけの遠征。魔物との戦闘で、帰らない者が出ることも、珍しい話ではない。
カスパルは、羽ペンを置いた。指が震えている。
それでも書いた。書いてしまった。
扉が叩かれた。三回。間を置いて、もう一回。
帳簿を閉じて、立ち上がる。
応じなければ、扉を蹴破ってでも入ってくる男だ。
カスパルの額に汗が滲んだ。
卓の引き出しを、もう一度開けた。
革袋に手を伸ばした。




