第29話「是正勧告」
朝の光が社を照らす。
人の気配が満ち、笑い声が行き交う。
水守の社は、もはや“村の祠”ではなかった。
町の中心として、確かに機能している。
その日——
空気が変わった。
音もなく。
だが確実に、“外からの気配”が入り込む。
白露が、ぴくりと耳を動かした。
「……来たな」
低く、警戒の混じる声。
次の瞬間。
社の参道に——
数人の巫女と神官が現れる。
その中央に立つのは。
「……火乃香さん」
小夜が呟く。
だが、その姿はこれまでと違っていた。
白と朱の装束。
整った隊列。
統制された足取り。
個人ではない。
“組織”としての来訪。
ざわり、と周囲の空気が揺れる。
町人たちも、その異様さに気づき始めていた。
火乃香は一歩前に出る。
その目は、まっすぐ小夜を捉えている。
感情はない。
ただ、職務として。
「水守の社の巫女、小夜」
呼び方が変わった。
それだけで意味は十分だった。
「中央神社統制局の名のもとに通達する」
その言葉に、空気が凍る。
迅が無意識に一歩前へ出るが——
水月が静かに手で制した。
「……聞け」
低く、重い声。
火乃香は続ける。
「当該神域における信仰増幅および神格上昇を確認」
「並びに、周辺領域における霊的歪曲の発生を検知」
一切の揺らぎのない声音。
「これを“未管理神域の異常拡張”と認定する」
町人たちのざわめきが広がる。
だが、小夜だけは動かない。
「……それで」
静かに問い返す。
火乃香は、一瞬も間を置かずに告げた。
「是正勧告を行う」
その言葉の重みは、誰もが理解できた。
「第一に、神域拡張の即時停止」
「第二に、信仰流入の制限」
「第三に——」
わずかに視線が細まる。
「神格上昇の抑制措置への協力」
沈黙。
それはつまり。
——力を、抑えろ。
そういう意味だった。
小夜の指先が、わずかに震える。
けれど、その目は逸れない。
「……従わなかった場合は?」
火乃香は、感情なく答える。
「段階的介入に移行する」
「監視、制御、封鎖」
そして——
「最終的には、神域の解体」
その場の空気が、完全に凍りついた。
町人の誰かが、息を呑む音が響く。
迅の手が、無意識に拳を握る。
白露の尾が、静かに揺れる。
水月は、ただ黙っていた。
そして。
小夜は——
一歩、前に出た。
「……それは」
声は小さい。
だが、はっきりと通る。
「ここにいる人たちを、切り捨てるってことですか」
火乃香は即答する。
「違う」
一拍。
「守るための選別よ」
その言葉に、空気が軋む。
小夜の胸の奥で、何かが強く揺れる。
「……選ばれなかった人は?」
「必要な犠牲よ」
迷いはない。
それが正義だと、知っている声だった。
小夜は、静かに目を閉じる。
一瞬だけ。
そして——
開いた。
「……私は」
その目には、もう迷いはなかった。
「従いません」
ざわり、と空気が揺れる。
火乃香の目が、わずかに細くなる。
「理由を」
短い問い。
小夜は、まっすぐに答える。
「ここは、誰かを切り捨てる場所じゃないからです」
その一言。
けれど、揺るがない。
火乃香はしばらく小夜を見つめていた。
やがて——
静かに息を吐く。
「……了解した」
淡々とした声。
それは承認ではない。
記録だ。
「当該神域を“要監視対象”に指定する」
巫女たちが一斉に動く。
空気が、さらに重くなる。
「次段階への移行は、時間の問題よ」
火乃香は背を向ける。
だが、その足は止まらない。
「小夜」
名を呼ぶ。
振り返らずに。
「あなたのその在り方が——」
一瞬だけ、言葉が落ちる。
「どれだけの歪みを生むか」
静かに告げる。
「その責任からは、逃げられない」
そして。
火乃香たちは、そのまま去っていった。
残されたのは、重い沈黙。
誰もすぐには動けない。
その中で。
小夜は、そっと自分の手を見る。
指先の感覚。
——少しだけ、薄い。
けれど。
「……大丈夫」
今度は、はっきりと言い切る。
その声に。
迅が、わずかに息を吐いた。
水月は静かに目を閉じる。
白露は、ふっと鼻を鳴らした。
神域は、変わらずそこにある。
人の笑いも、祈りも、消えてはいない。
けれど——
確実に。
“外”は、動き始めていた。
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