第27話「斬れなかったもの」
夜だった。
街の灯りが落ち、静寂が広がる。
その外れ。
まだ人の手が入りきっていない、わずかに“揺らぐ場所”。
迅は一人、立っていた。
「……出てこい」
低く、呟く。
風が止まる。
——そして。
“それ”は、現れた。
姿は曖昧だった。
人の形をしているようで、していない。
輪郭は崩れ、内側は空洞のように揺らいでいる。
だが、迅にはわかる。
「……やっぱりな」
吐き捨てるように言う。
「枯神」
それは、ただの異形ではない。
——“神だったもの”。
かつて、確かに祀られていた存在。
だが。
忘れられ、削られ、歪み——
“残骸”だけが残ったもの。
『……かえせ』
低く、擦れる声。
迅の眉が、わずかに動く。
その声。
——知っている。
忘れるはずがない。
『……かえせ』
その瞬間。
迅の視界が、揺らいだ。
---
——炎。
崩れる家。
叫び声。
血の匂い。
そして。
“それ”は、そこにいた。
村の守り神。
ずっと祀られてきた存在。
だが——
信仰は途絶えかけていた。
人は減り、祈りは薄れ、名すら呼ばれなくなっていた。
そして。
ある日、突然——壊れた。
祈りを失った神は、形を保てなくなり。
“枯れた”。
結果。
村は、喰われた。
人も、家も、すべて。
守るはずの神に。
——壊されていった。
「……っ」
迅の奥歯が、軋む。
あのとき。
自分は、ただ見ていた。
何もできなかった。
子どもだった。
弱かった。
——だから。
決めた。
神は斬る。
壊れる前に。
壊れるなら。
すべて、斬り捨てると。
---
現実に戻る。
目の前の枯神が、揺れる。
『……さむい』
『……いない』
『……わすれ、られた』
その声は。
かつて迅が見た“それ”と——同じだった。
「……黙れ」
刀に手をかける。
だが。
抜かない。
抜けない。
その代わりに、言葉が漏れる。
「……それでも、お前は神だろうが」
低く。
押し殺した声。
「守る側だったんじゃねえのかよ」
返ってくるのは、答えではない。
『……かえせ』
『……おれの、ばしょ』
ただ、それだけ。
その瞬間。
迅は、理解してしまう。
これは——
敵じゃない。
“壊れた結果”だ。
斬るべき対象。
そう教えられてきた。
そう信じてきた。
だが。
(……違う)
小夜の姿が、脳裏に浮かぶ。
祈るわけでもなく。
戦うわけでもなく。
ただ、“繋いでいた”。
人と神を。
場所と存在を。
(あいつなら)
この“何か”を——
“戻そうとする”。
そう思ってしまった。
「……ちっ」
舌打ち。
刀から手を離す。
その行動は——
迅自身の中では、あり得ない選択だった。
「今回は、見逃してやる」
低く、吐き捨てる。
「だが次は——」
言葉が、止まる。
“斬る”と言い切れない。
その事実に、自分で気づいてしまう。
枯神は、揺らいだ。
そして、ゆっくりと——消えていく。
まるで。
“まだここにいていいのか”と、確かめるように。
静寂が戻る。
---
迅は、その場に立ち尽くしたまま。
空を見上げた。
「……面倒なことになったな」
ぽつりと呟く。
だが、その声は。
どこか、わずかに柔らいでいた。
---
(あいつは)
小夜の顔が浮かぶ。
笑う顔。
困った顔。
誰かのために、迷わず手を伸ばす姿。
(斬らない)
ゆっくりと、目を閉じる。
(あいつが繋ぐなら)
低く、心の中で言い切る。
(俺は——斬らない側に回る)
---
それは。
迅にとって——
これまでの人生を、覆す選択だった。
---
だが同時に。
それはまだ、完全ではない。
斬るか。
守るか。
その狭間で、揺れている。
---
そして——
その選択は、いずれ。
小夜自身に向けられることになる。
---
夜風が、静かに吹いた。
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