第25話「それでも、隣に」
夜明け前。
空はまだ青くも白くもない、曖昧な色をしていた。
社の境内は静かで、誰の気配もない。
——はずだった。
「……やっぱり、ここにいた」
その声に。
迅の足が、止まる。
振り返らなくても分かる。
「……小夜」
名前を呼ぶ。
それだけで、距離ができる。
振り返る。
そこにいたのは——
いつもと同じ、巫女姿の少女。
けれど。
(……違う)
目が。
逃げていない。
「……何しに来た」
静かに問う。
責めるでもなく、ただ確認する声。
「話、まだ終わってないです」
即答だった。
迷いがない。
「終わってる」
「終わってません」
重ねるように返される。
わずかに、沈黙。
「……帰れ」
「帰りません」
短い言葉の応酬。
けれど、その一つ一つが重い。
迅は、ため息をついた。
「……なんで、そこまで来る」
本音が、少しだけ滲む。
小夜は、少しだけ息を吸って——
「隣に立ちたいからです」
まっすぐに言った。
目を逸らさずに。
「昨日も言っただろ」
迅の声は、変わらない。
「無理だ」
「無理じゃないです」
「無理だ」
被せる。
その瞬間。
空気が、少しだけ冷える。
「……俺は」
言葉を、切る。
言いたくない。
でも。
言わなければ、こいつは止まらない。
「お前を、守れない」
それは、告白だった。
拒絶の形をした、本音。
小夜の目が、わずかに揺れる。
でも——
逸らさない。
「……それでもいいです」
「よくない」
即答だった。
ほんの少しだけ、強く。
「分かってないだろ」
一歩、距離を詰める。
圧が増す。
「守れないっていうのは」
「死ぬかもしれないってことだ」
冷たい現実。
突きつけるように。
「……それでもです」
それでも、小夜は引かない。
「……なんでだよ」
思わず、零れる。
初めて、感情が混じる。
苛立ちではない。
戸惑いに近い。
小夜は、ほんの少しだけ言葉に詰まる。
でも——
ちゃんと、答える。
「……好きだからです」
静かだった。
叫びでも、勢いでもない。
ただ、事実として。
空気が、止まる。
時間が、止まる。
迅の思考が、一瞬だけ空白になる。
「……っ」
何かを言おうとして。
言葉が出ない。
そんな迅を見て。
小夜は、ほんの少しだけ笑った。
「でも、それだけじゃないです」
一歩、近づく。
今度は、小夜から。
「怖いです」
正直に言う。
「昨日の話も、全部」
「知らないことばっかりで」
声が、少し震える。
でも、止めない。
「それでも」
顔を上げる。
「それでも、一緒にいたいって思ったんです」
その言葉は。
弱さごと、差し出している。
強さじゃない。
覚悟でもない。
ただ——
“本音”。
だから。
一番、重い。
「……やめろ」
迅が、低く言う。
けれどもう、止める力は弱い。
「やめません」
即答。
そして——
小夜は、手を伸ばした。
触れる。
迅の手に。
「……っ」
反射的に、引こうとする。
でも。
止まる。
小夜の手は、冷たくて。
でも、しっかりと掴んでくる。
「離せ」
「離しません」
「……離せ」
「嫌です」
子供みたいな応酬。
でも。
どちらも本気だ。
沈黙。
長い、長い沈黙。
やがて——
迅が、観念したように息を吐く。
「……ほんと、厄介だな」
同じ言葉。
でも今度は——
少しだけ、柔らかい。
小夜は、少しだけ笑う。
「知ってます」
その瞬間。
迅の力が、少しだけ抜けた。
完全じゃない。
でも——
拒絶では、なくなった。
「……後悔するぞ」
最後の抵抗。
「しません」
即答。
「……する」
「しません」
また、同じやり取り。
けれど——
もう、距離はない。
迅は、しばらく黙っていた。
そして。
小さく、呟く。
「……勝手にしろ」
それは、前と同じ言葉。
でも——
意味が違う。
拒絶じゃない。
“許し”に近い何か。
小夜の手を。
振りほどかなかった。
それだけで、十分だった。
---
夜が明ける。
空が、ゆっくりと白んでいく。
新しい一日が始まる。
その境界で——
二人は、並んでいた。
まだ不安定で。
まだ危うくて。
それでも。
確かに。
少しだけ、近づいていた。
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