第23話「触れないで」
夜が、深い。
社の灯りは落ち、街の喧騒も遠くへ消えていた。
静かな境内。
水の気配だけが、かすかに満ちている。
その中に——
一人、立っていた。
「……小夜」
振り返らなくても分かる声。
低く、落ち着いていて。
いつもと同じ——はずなのに。
どこか、遠い。
「迅……」
小夜はゆっくり振り向いた。
月明かりの下。
彼はそこにいた。
いつも通りの姿で。
変わらないはずなのに——
(違う)
直感が告げる。
距離がある。
触れられない何かが、そこにある。
「……凛と、話したな」
先に口を開いたのは迅だった。
確信している声。
問いではない。
「……はい」
小夜は、逃げなかった。
一瞬だけ、沈黙が落ちる。
風が、揺れる。
その隙間に——
「……どこまで聞いた」
静かな声。
感情が、ほとんど乗っていない。
「……神域を、壊しかけたって」
言葉にするのが、怖かった。
けれど——
それでも、言った。
迅は、否定しなかった。
「……そうか」
ただ、それだけ。
短く。
淡々と。
それが、逆に重い。
「……理由は」
小夜が、踏み込もうとする。
その瞬間——
「聞くな」
遮られた。
強くもない。
怒ってもいない。
ただ——
“終わらせる声”。
それだけで、言葉が止まる。
「……っ」
胸が、きゅっと締め付けられる。
「それ以上は」
迅はゆっくりと視線を逸らした。
「お前が踏み込む場所じゃない」
拒絶だった。
はっきりと。
でも、優しい拒絶。
だからこそ——
痛い。
「……どうして」
思わず、声が漏れる。
「知りたいんです」
一歩、近づく。
「全部じゃなくてもいい」
「でも、何も知らないままなんて——」
「——やめろ」
また、止められる。
今度は少しだけ、低く。
空気が、わずかに張り詰めた。
「……小夜」
名前を呼ばれる。
それだけで、足が止まる。
「お前は」
ゆっくりと、言葉を選ぶように。
「そのままでいい」
視線は合わない。
最後まで。
「何も知らなくていい」
その言葉は——
守るためのものだった。
分かる。
分かってしまう。
だからこそ。
「……嫌です」
小夜は、首を振った。
小さく。
でも、はっきりと。
迅の肩が、わずかに揺れる。
「知らないまま、守られるだけなんて」
「そんなの……」
言葉が詰まる。
でも、絞り出す。
「隣に立ってるって、言えない」
沈黙。
長い、長い沈黙。
夜の音だけが、流れる。
やがて——
迅が、静かに息を吐いた。
「……無理だ」
一言。
それだけだった。
「俺の隣は」
ほんの一瞬だけ。
視線が、合う。
その目は——
どこまでも、静かで。
どこまでも、遠い。
「軽い場所じゃない」
突き放すでもなく。
怒るでもなく。
ただ、事実として告げる声。
「……だから」
視線が、外れる。
「来るな」
それは命令でも、拒絶でもない。
“線引き”だった。
これ以上、踏み込ませないための。
「……っ」
胸が痛い。
泣きそうになる。
でも——
泣かなかった。
代わりに。
ぎゅっと、拳を握る。
「……それでも」
声が震える。
でも、止めない。
「私は、行きます」
迅が、わずかに目を細める。
「嫌だって言われても」
「無理だって言われても」
一歩。
もう一歩。
距離を詰める。
「それでも、隣に立ちたいんです」
真っ直ぐに、見上げる。
逃げない。
揺れながらでも。
ちゃんと、立つ。
その姿に——
迅は、何も言わなかった。
ただ。
ほんのわずかに。
苦く、笑った。
「……厄介だな」
ぽつりと、零れる。
それは否定ではない。
受け入れでもない。
ただ——
どうしようもない、という響き。
「……勝手にしろ」
背を向ける。
それ以上は、何も言わない。
足音が、遠ざかる。
止まらない。
振り返らない。
残されたのは——
静かな夜と。
取り残された、小夜。
「……っ」
胸が痛い。
でも。
不思議と——
折れてはいなかった。
(遠い)
(でも……)
確かに、繋がっている。
拒絶されたのに。
完全には、切られていない。
「……絶対に」
小さく、呟く。
「隣に立つから」
その声は、夜に溶けていく。
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