第21話 「並び立つ影」
朝の空気は、どこか澄みきっていた。
神域の外れにある小さな町――石畳の通りには、早くも人の営みが流れ始めている。
「……意外ね」
隣を歩く凛が、ふと呟いた。
「あなた、こういう場所に来るの慣れていないと思っていたけれど」
「え、そう見えますか?」
小夜は少しだけ苦笑する。
「慣れていないのは……その通りです。でも」
視線を町へ向ける。
「知らないままでいる方が、もっと怖いので」
その言葉に、凛は一瞬だけ目を細めた。
(――変わり始めている)
以前の小夜なら、もっと自分の内に閉じていたはずだ。
神に選ばれた巫女であることに戸惑いながら、それでも逃げ場を探していた。
だが今は違う。
“選ばれること”から逃げずに、“選びにいこうとしている”。
「ふふ」
凛は小さく笑った。
「いいわ。その顔、嫌いじゃない」
「え?」
「なんでもないわ。行きましょう」
すっと先を歩き出すその背は、やはり“凛”としていた。
---
市場は賑わっていた。
野菜を並べる声、値段を交渉する声、子どもが走る音。
神域とは違う、“人の温度”がそこにはあった。
「わ……」
小夜は思わず声を漏らす。
「こんなに、活気があるんですね」
「当たり前でしょう。ここは“生きる場所”だもの」
凛は淡々と言う。
「神域は守る場所。ここは、生き抜く場所」
その言葉の重みを、小夜は噛みしめる。
(守るだけじゃ、足りない)
“生きる人”がいるからこそ、巫女は存在するのだと。
「まずは買い物ね」
凛はさっと店を見渡し、迷いなく進む。
「野菜はあそこの店がいいわ。質が安定してる」
「すごい……詳しいですね」
「巡っているもの。こういう知識は命に直結するのよ」
さらりとした言葉だった。
けれど、その裏にある時間の重みを、小夜は感じ取る。
(この人は、ずっと一人で見てきたんだ)
町も、人も、そして――迅の過去も。
---
その時だった。
「すみません……!」
ひとりの女性が、慌てた様子で声をかけてきた。
「巫女様……ですよね?」
小夜は少し驚きながら頷く。
「はい。何か、ありましたか?」
女性は深く頭を下げた。
「娘が……ずっと熱を出していて……薬も効かなくて……」
「……!」
小夜の表情が引き締まる。
凛は静かに一歩下がり、小夜を見た。
(どうするのか、見せてもらうわ)
試すような視線。
けれど同時に、信じてもいる。
小夜はゆっくりと息を吸った。
「案内してください」
迷いはなかった。
---
家は町の外れにあった。
簡素な造りの、小さな家。
中に入ると、確かに熱気がこもっている。
布団の上で、少女が苦しそうに息をしていた。
「……っ」
小夜はそっと近づく。
額に触れる。
熱い。
けれど――それだけではない。
(これは……)
「瘴気……」
微かに、だが確かに混じっている。
普通の病ではない。
「最近、何か変わったことは?」
小夜が問いかけると、母親は思い出すように言った。
「森の近くで遊んでいて……帰ってきてから……」
凛が静かに頷く。
「外から持ち込まれたものね」
小夜は目を閉じる。
手を重ねる。
「大丈夫です」
優しく、しかし芯のある声で言った。
「祓います」
淡い光が、小夜の手から広がる。
それは以前よりも、確かに安定していた。
揺らがない。
“誰かのために使う”と決めた力。
光が少女を包む。
黒い靄が、ゆっくりと溶けていく。
やがて――
少女の呼吸が、穏やかになった。
「……あ」
母親が涙をこぼす。
「熱が……下がってる……」
小夜はほっと息を吐いた。
その様子を、凛は静かに見ていた。
(力だけじゃない)
あの子は、“向き合っている”。
逃げずに、人と。
「ありがとうございます……!」
母親は何度も頭を下げた。
小夜は慌てて手を振る。
「いえ……当然のことをしただけです」
「それでも……!」
その言葉に、小夜は少しだけ照れたように笑った。
---
家を出た後。
しばらく無言で歩いたあと、凛が口を開いた。
「……合格ね」
「え?」
「及第点、ってところかしら」
腕を組み、少しだけ意地悪そうに言う。
「前よりずっといい顔してるわ」
小夜は目を瞬かせた。
「顔……ですか?」
「ええ」
凛は振り返る。
「“誰かのために使う力”は、美しいものよ」
その言葉に、小夜の胸が少し熱くなる。
「……まだ、全然です」
小夜は小さく首を振る。
「でも、もっと……できるようになりたいです」
その瞳には、確かな意思があった。
凛はそれを見て、ふっと笑う。
「いいわ」
少しだけ、優しく。
「なら、楽しみにしてるわ」
くるりと背を向ける。
風が髪を揺らした。
「あなたが“本当に選ばれる巫女”になれるかどうか」
その言葉は、試すようでいて――
どこか期待しているようでもあった。
小夜は、その背を見つめる。
(選ばれる、じゃない)
胸の奥で、言葉が形になる。
(私が、選びたい)
守ることも、誰かと向き合うことも。
そして――
迅の隣に立つことも。
そっと拳を握る。
その歩みは、もう止まらない。
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凛は歩きながら、ふと空を見上げた。
(……迅)
あの男の過去を知る者として。
そして、巡り巫女として。
静かに思う。
(あの子なら、きっと)
あなたの隣に立てる。
対等に。
逃げずに。
「……面白くなってきたわね」
小さく呟き、凛は歩みを進めた。
その背は、やはり凛としていた。
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