第20話「名前を呼ぶ理由」
夜の帳が下りる。
街は、昼とは違う顔を見せていた。
灯りが点り、人の気配が柔らかく広がる。
穏やかな時間。
けれど——
小夜の足は、自然と社へ向かっていた。
水守の社。
改築されたばかりのそれは、以前とは比べものにならないほど立派になっている。
それでも。
「……落ち着きますね」
小さく、呟く。
石段に腰を下ろし、空を見上げる。
月が、静かに浮かんでいた。
「そりゃあ、そうだろう」
背後から声がする。
振り向くと、そこには水月が立っていた。
以前とは違う。
背が高くなり、輪郭も大人びている。
だが、その目だけは変わらない。
どこか寂しげで、優しい光。
「ここは、お前が作った場所だ」
水月は隣に立つ。
「お前の“居場所”でもある」
その言葉に、小夜は少しだけ笑った。
「……そう、ですね」
けれど。
ほんの一瞬。
視線が、自分の手へ落ちる。
指先。
感覚は戻っている。
——はずなのに。
どこか、確信が持てない。
「まだ気にしてるのか」
水月が静かに言う。
「……少しだけ」
正直に答える。
「また、消えるんじゃないかって」
その言葉に、水月は少しだけ眉をひそめた。
「消えさせない」
短く、言い切る。
「今の俺は、前とは違う」
神格が上がったこと。
信仰が増えたこと。
それは、水月自身の“力”を変えていた。
「お前を繋ぎ止めるくらいはできる」
その言葉は軽く聞こえて——
とても重い。
「……ありがとうございます」
小夜は、少しだけ目を伏せる。
そのとき。
「——人の気配が濃いな」
別の声がした。
屋根の上。
白い影が、静かに降りる。
白露だった。
「相変わらずだな」
水月が肩をすくめる。
「夜は落ち着かないのか?」
「逆だ」
白露は短く返す。
「静かすぎると、余計なことを考える」
その視線が、一瞬だけ小夜に向く。
そして、ふいに逸らされる。
「……人が増えた」
「はい」
小夜は頷く。
「少しずつ、移り住む人も増えていて」
「妖もだ」
白露が続ける。
「ここは“居心地がいい”」
それは、彼なりの最大級の評価だった。
「だから」
白露の目が、わずかに細くなる。
「壊されると困る」
その言葉は、守る意思だった。
小夜は少し驚いたように、そして嬉しそうに笑う。
「……ありがとうございます」
「礼はいらない」
そっぽを向く。
だが耳がわずかに赤い。
水月が小さく笑った。
「素直じゃないな」
「うるさい」
そのやり取りに、小夜の肩の力が抜ける。
——大丈夫だ。
ここには、ちゃんと“繋がり”がある。
そう思えた、そのとき。
「……こんなところにいたのか」
低い声。
振り向く。
石段の下に、迅が立っていた。
いつもの無表情。
だが——
ほんの少しだけ、視線が柔らかい。
「探した」
短く言う。
「すみません」
小夜は立ち上がる。
「少し、考え事を」
「……そうか」
迅はそれ以上、踏み込まない。
ただ一歩、近づく。
「寒いだろ」
そう言って、羽織を差し出す。
「え」
「着ろ」
それだけ。
無理に押し付けるわけでもない。
けれど、断らせる気もない。
小夜は少し戸惑いながら、それを受け取る。
「……ありがとうございます」
羽織る。
ふわりと、温かさが広がる。
体温。
それだけじゃない。
どこか、安心するような感覚。
「……あたたかいです」
小さく呟く。
迅は何も言わない。
ただ、視線を少し逸らす。
その横顔が、ほんの少しだけ緩む。
それを見てしまって。
小夜の胸が、少しだけ高鳴る。
「……迅さんは」
思わず、声が出る。
「どうして、そんなに優しいんですか」
その問いに。
迅は一瞬、言葉を失う。
「……優しくはない」
やがて、低く返す。
「俺はただ——」
そこで、言葉が止まる。
何かを選ぶように。
そして。
「……失いたくないだけだ」
静かに、言った。
その言葉は。
夜の中で、やけに鮮明に響く。
小夜の呼吸が、わずかに揺れる。
「……誰も」
続く言葉。
「もう、目の前で消えるのは見たくない」
それは、過去の影。
そして、今の本音。
小夜は、ぎゅっと羽織を握る。
胸の奥が、温かくなる。
でも同時に——
少しだけ、痛い。
「……大丈夫です」
小さく言う。
「私は、ここにいます」
迅を見る。
真っ直ぐに。
「ちゃんと、います」
その言葉に。
迅の目が、わずかに揺れる。
そして——
「……ああ」
短く、応じる。
それ以上は言わない。
けれど。
その距離が、少しだけ近づいた。
言葉にしないまま。
確かに。
繋がる。
「……帰るぞ」
迅が言う。
「はい」
小夜は頷く。
並んで、歩き出す。
その後ろ姿を見ながら。
「……人間は面倒だな」
白露が呟く。
「だが、悪くない」
水月が笑う。
夜は静かに更けていく。
けれどその中で。
確かに、灯るものがあった。
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——名前を呼ぶたび、存在は強くなる。
それは、神だけではない。
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