第2話 水守の社と、はじまりの契り
朝。
鳥の声で目を覚ましたとき、小夜は一瞬、自分がどこにいるのか分からなかった。
見慣れない天井。
木の香り。
そして、すぐそばから聞こえる水の音。
「……あ」
ゆっくりと身体を起こす。
昨日の出来事が、少しずつ思い出されていく。
追放。
朽葉村。
そして――あの祠。
小夜は慌てて外へ出た。
---
石段を上る。
一段ごとに、胸の奥がざわつく。
(……夢じゃ、ない)
祠は、そこにあった。
昨日、自分が整えたままの姿で。
そして――
こんこんと、絶えず湧き続ける水。
「……本当に」
思わず、近づいて手を差し出す。
触れた瞬間、ひんやりとした感触が指先を包んだ。
冷たいのに、不思議と体の奥にまで染み込むようなやさしさ。
『だから言ったでしょ、本物だって』
声が、すぐ近くで響く。
小夜は息を呑んだ。
「……水月」
名前を呼ぶ。
昨日、確かに聞いたその名。
『うん、それでいいよ』
少し嬉しそうな声。
『やっとちゃんと呼んでくれたね』
その言い方に、小夜はわずかに首をかしげた。
「……やっと、ですか?」
『昨日は半信半疑だったでしょ』
図星だった。
否定できず、小夜は小さく笑う。
「……すみません」
『いいよ別に。それより』
水月の気配が、少しだけ近づく。
『ちゃんと来てくれたの、嬉しいし』
その一言が、胸の奥に静かに落ちる。
――嬉しい。
そう言われることが、こんなにも温かいなんて。
---
「ここは……」
小夜は改めて祠を見上げる。
「なんという場所なんでしょうか」
『名前?』
「はい」
少し考えるような間。
そして、水月はぽつりと言った。
『……水守の社』
その響きは、どこか懐かしくて。
同時に、とても大切なもののように感じられた。
「水を守る……」
『うん。昔はちゃんと、人も来てたし、祀られてた』
少しだけ寂しさの混じる声。
『でも、いつの間にか誰も来なくなってさ』
その“いつの間にか”が、どれほど長い時間だったのか。
小夜には分からない。
けれど――
「……これからは」
自然と、言葉が出た。
「私が来ます」
水月が、ぴたりと黙る。
「毎日、ちゃんと整えて、祈って」
自分でも驚くほど、言葉がまっすぐに出てくる。
「ここを、戻していきたいです」
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少しの沈黙のあと。
『……ほんとに?』
どこか確かめるような声。
「はい」
迷いなく頷く。
『途中でいなくなったりしない?』
「……しません」
一瞬だけ、胸が痛んだ。
“いなくなる”という言葉に、理由もなく引っかかる。
けれど、それでも。
「ここを、放っておくことはできません」
そう言い切ると、水月は小さく笑った。
『そっか』
その声は、どこか安心したようだった。
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『じゃあさ』
少しだけ明るくなる声。
『一緒にやろうよ』
「……一緒に?」
『うん。ぼくと、小夜で』
その言葉は、やけに自然で。
まるで、最初から決まっていたことのようだった。
『ここ、またちゃんとした場所にしたいんでしょ?』
「……はい」
『だったら、ぼくも頑張る』
少し照れたように続ける。
『一人より、二人の方がいいし』
その言葉に、小夜はふっと笑った。
「……そうですね」
---
そのとき。
ふと、背後に気配を感じた。
振り向く。
木々の影の中、じっとこちらを見つめる存在。
白い毛並み。静かな金色の瞳。
「……狐」
思わず息を呑む。
ただの獣ではない。
空気が、わずかに張り詰める。
『ああ、あの子か』
水月が気軽に言う。
『ずっとこの辺りにいるよ』
「……妖、ですか」
『うん。でも、今はおとなしい』
その理由を、小夜はすぐに理解した。
ここが、少しずつ“神域”になっているから。
---
狐は、じっと小夜を見ている。
警戒と、観察と、わずかな好奇心。
その視線を受け止めながら、小夜はゆっくりと口を開いた。
「……ここ、好きですか?」
問いかける。
答えは返ってこない。
それでも。
狐の耳が、わずかに動いた。
「もしよければ」
小夜は、祠の前に小さな供え物を置く。
持っていたわずかな食料。
「一緒に、いてもいいですよ」
静かに、そう告げる。
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しばらくの沈黙。
やがて、狐が一歩だけ前に出た。
ほんのわずかな距離。
それでも――大きな変化だった。
(……来てくれた)
胸の奥が、じんわりと温かくなる。
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『小夜ってさ』
水月が、くすっと笑う。
『そうやって、勝手に増やしてくよね』
「え……?」
『居場所とか、関係とか』
少しだけ、やさしい声になる。
『いいと思うけど』
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小夜は、改めて周囲を見渡した。
まだ何もない場所。
小さな祠と、湧き水と。
そして、ひとりと一柱と一匹。
それだけなのに。
「……ここ、あたたかいですね」
自然と、言葉がこぼれた。
---
そのとき、風がそっと吹いた。
木々が揺れ、光が差し込む。
その光の中で、狐の毛がきらりと輝いた。
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忘れられていた場所に。
少しずつ、気配が戻ってくる。
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それが、どれほど大きな意味を持つのか。
このときの小夜は、まだ知らなかった。
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(続く)
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