第15話 「隣に立つということ」
朝の光が、水守の社をやさしく包み込んでいた。
境内には、今日も人の気配がある。祈りを捧げる者、恵みを分けてもらいに来る者、ただ静けさを求めて訪れる者——それぞれの想いが、この場所に集まっていた。
小夜は社の前に立ち、ゆっくりと息を整える。
手を合わせる前に、ふと空を見上げた。
「……大丈夫」
小さく、自分に言い聞かせる。
以前よりも、心も身体も軽い。水月の力に支えられているのもあるけれど、それだけじゃない。
ここに来てくれる人たち。
そして——
(迅さんが、いる)
その存在が、確かに支えになっていた。
けれど同時に、昨日の言葉も胸に残っている。
——守られるだけじゃ、ダメなんでしょうか。
あの問いに、迅は答えなかった。
それが、少しだけ寂しくて。
そして、悔しかった。
「……よし」
小夜は軽く頬を叩き、気持ちを切り替える。
「今日は、ちゃんとやろう」
そう呟いて、最初の祈りを始めた。
手のひらに、静かに力を込める。
水の気配が、ふわりと広がる。
それはこれまでと同じ——けれど、どこか違っていた。
優しいだけではない、芯のある流れ。
祈りを終えたあと、目の前の女性がほっと息をついた。
「……あたたかい。なんだか、元気が出てきました」
「本当ですか?よかった……」
自然と笑みがこぼれる。
そのやり取りを見ていた周囲の人たちも、安心したように頷いていた。
小夜はその様子を見て、胸の奥がじんわりと満たされていくのを感じる。
(これが……わたしのやりたいこと)
その時だった。
「——いい流れになってきたじゃない」
聞き慣れた声。
振り向くと、やはり凛がいた。
「また来たんですね……」
苦笑しながら言うと、凛は楽しそうに肩をすくめる。
「ええ。見届けないといけないものがあるから」
その視線は、小夜から——すぐに迅へ移る。
迅は無言で立っていたが、その空気は明らかに張り詰めている。
「……用件は」
短く問う。
凛は少しだけ考えるようにしてから、にこりと笑った。
「小夜に、少し試してもらおうと思って」
「試す……?」
小夜が戸惑う。
凛は境内の外、少し離れた林の方へ顎で示した。
「最近、あのあたりの水の流れが乱れてるの。気づいてた?」
小夜ははっとする。
確かに、今朝少しだけ違和感を覚えていた。
「でも……大きな問題ではないかと」
「今は、ね」
凛の声が少しだけ低くなる。
「でも放っておけば、いずれこの土地全体に影響が出る」
その言葉に、小夜の表情が引き締まる。
「……どうすればいいですか」
凛は少しだけ満足そうに微笑む。
「簡単よ。乱れた流れを、正しい形に戻すだけ」
さらりと言うが、それが簡単ではないことはすぐにわかった。
「それって……」
「“整える力”が必要」
凛はまっすぐ小夜を見る。
「あなた、できるはずよ」
その言葉に、小夜は一瞬迷う。
けれど——
「……やってみます」
はっきりと答えた。
迅がわずかに眉をひそめる。
「無理はするな」
「大丈夫です」
小夜は振り返って、少しだけ笑う。
「ちゃんと、できるところを見せたいので」
その言葉に、迅は一瞬言葉を失う。
凛はくすっと笑った。
「いいじゃない。そういう顔、嫌いじゃないわ」
三人で林へと向かう。
奥へ進むにつれて、空気が少しずつ重くなっていく。
水の音も、どこか歪んで聞こえる。
小夜はその場に立ち、目を閉じた。
(流れ……感じて)
足元から、水の気配を探る。
細い糸のような流れが、いくつも絡まり、乱れている。
(これを……ほどく)
手をかざす。
冷たくはない。
むしろ、やさしくあたたかい。
ゆっくりと、流れに触れる。
最初はうまくいかなかった。
絡まった糸が、さらに強く結びつこうとする。
「……っ」
息が乱れる。
だが、その時——
「落ち着け」
背後から、迅の声。
「全部を一度にやろうとするな。一つずつだ」
短く、的確な言葉。
小夜ははっとする。
(……そうだ)
深く息を吸う。
一番乱れている流れを見つける。
そこにだけ、意識を集中する。
(ここから……)
そっと、ほどく。
水が、静かに応える。
一つ、また一つ。
絡まりが解けていく。
やがて——
すべての流れが、すっと整った。
空気が軽くなる。
さっきまでの重さが、嘘のように消えていた。
小夜はゆっくりと目を開ける。
「……できた」
その声は、震えていた。
だがそれは恐れではなく、達成の震えだった。
凛が静かに拍手する。
「合格」
あっさりと言うが、その目は確かに評価していた。
「ちゃんと“整えた”わね。力だけじゃなく、意志で」
小夜はほっと息をつく。
そして、振り返る。
「……迅さん」
その瞳は、まっすぐだった。
「わたし、少しは……隣に立てますか?」
その問いに、迅は数秒沈黙する。
だがやがて、ゆっくりと口を開いた。
「……ああ」
短い一言。
けれど、それだけで十分だった。
小夜の胸が、ふわっと軽くなる。
凛はその様子を見て、どこか満足そうに微笑む。
「まあ、まだ“並んだ”っていうより、“追いつき始めた”ってところだけどね」
「……厳しいですね」
「当然でしょ」
くすりと笑う。
「でも——」
少しだけ優しくなる。
「ちゃんと見てるわよ」
その言葉に、小夜は少しだけ照れたように笑った。
帰り道。
夕日が、三人の影を長く伸ばしていた。
その中で、小夜はふと思う。
(隣に立つって……こういうことなんだ)
守られるだけじゃない。
支え合うこと。
同じ方向を見ること。
そして——
少しずつ、距離を縮めていくこと。
ちらりと隣を見る。
迅はいつも通り無表情だが、その歩幅は自然と小夜に合わせられていた。
そのことに気づいて、小夜はそっと微笑む。
恋も、力も。
少しずつでいい。
確かに、前に進んでいた。
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