第14話 揺れる心と、そばにいる理由
凛が去ったあの日から、数日が経っていた。
水守の社は相変わらず賑わっている。祈りを求める人々、恵みを分け合う村人たち。その中心にいる小夜の姿も、以前よりずっと自然で、明るくなっていた。
けれど——
「……はぁ」
ふとした瞬間、ため息がこぼれることが増えていた。
「また考えてるのか」
すぐ隣から、低い声が落ちてくる。
小夜はびくりと肩を揺らし、振り返る。
「じ、迅さん……いつからそこに」
「さっきからだ。気づいてなかっただろ」
図星を突かれて、小夜は視線を逸らす。
「……少しだけ、考えごとを」
「“少し”って顔じゃないな」
さらりと言われて、小夜は苦笑するしかなかった。
境内の掃き掃除をしながらも、どうしても頭から離れない言葉がある。
——選ばれる理由が必要なのよ。
凛の声が、何度も蘇る。
「わたし……ちゃんとできてるのかなって」
ぽつりと零す。
「ここに来てくれる人たちに、応えられてるのかなって……」
その言葉は弱さではなく、前に進もうとする中で生まれた迷いだった。
迅はしばらく何も言わず、小夜の手元を見ていた。
掃き残しを、そっと足で寄せる。
「……お前さ」
「はい?」
「“全部応えよう”としてるだろ」
小夜ははっとする。
「それは……だって、巫女ですから」
「違う」
即座に否定され、小夜は目を見開いた。
迅はゆっくりと小夜の方へ向き直る。
「お前は“全部を背負うため”にいるんじゃない」
その視線は、まっすぐだった。
「ここに来る奴らが、お前に全部預けてるわけじゃない。少し楽になりたくて来てるだけだ」
「……」
「だから、お前も全部抱え込むな」
静かな言葉。
けれど、その一つひとつが胸に落ちてくる。
小夜はしばらく黙っていたが、やがて小さく頷いた。
「……はい」
そして、少しだけ笑う。
「なんだか、少し楽になりました」
「ならいい」
短く返す迅。
その不器用な優しさに、小夜の胸がじんわりと温かくなる。
その時だった。
「——あら、ずいぶんいい雰囲気じゃない」
軽やかな声が割り込んだ。
二人が同時に振り向く。
そこに立っていたのは、やはり凛だった。
「また……来たんですか?」
小夜が驚いて言うと、凛はくすりと笑う。
「ええ。ちょっと気になってね」
その視線は、真っ直ぐに迅へ向けられる。
「ちゃんと守ってるみたいで安心したわ」
「用がないなら帰れ」
冷たく言い放つ迅。
だが凛はまったく気にした様子もない。
むしろ楽しそうに、小夜の方へ歩み寄る。
「今日はね、あなたに教えてあげようと思って」
「……何を、ですか?」
「“選ばれる巫女”になる方法」
小夜の心臓が、どくんと鳴る。
「そんなもの……」
「あるわよ」
きっぱりと言い切る。
「人はね、“理由”に惹かれるの」
凛は境内を見渡す。
笑う子ども、祈る老人、談笑する村人。
「あなたの力は確かにすごい。でも、それだけじゃ“唯一”にはならない」
一歩、近づく。
「“この巫女だからお願いしたい”って思わせる何かが必要なの」
その言葉は、厳しいけれど真実でもあった。
小夜は唇を噛む。
「……わたしには、まだそれがないです」
正直な言葉だった。
凛は、少しだけ目を細める。
「いいえ。もう持ってるわよ」
「え……?」
「気づいてないだけ」
ふっと笑う。
「それに——」
ちらりと迅を見る。
「強すぎる護衛がいると、自分の強さに気づきにくいものね」
その一言に、空気がぴりっと張り詰める。
「……余計なことを言うな」
迅の声が低くなる。
凛は肩をすくめる。
「事実でしょ?」
そして、小夜に向き直る。
「あなたは守られてる。でも、それだけじゃダメ」
優しく、しかし逃がさない声。
「“守られるだけの巫女”で終わるか、“共に立つ巫女”になるか」
小夜の胸が、大きく揺れる。
守られている自覚はあった。
安心も、していた。
けれど——
それだけでいいのかと問われると、答えは出なかった。
その沈黙を破ったのは、迅だった。
「……こいつは、俺と並ぶ必要はない」
低く、はっきりと言う。
「俺が守る。それで十分だ」
その言葉は、迷いがなかった。
だが——
小夜の胸に、わずかな違和感が生まれる。
「……迅さん」
思わず名前を呼ぶ。
迅は小夜を見る。
その視線は、いつもと同じように優しい。
けれど——どこか“遠い”。
凛はその様子を見て、小さく息を吐いた。
「……ほんと、不器用ね」
そして、くるりと背を向ける。
「まあいいわ。今はまだ、ね」
去り際、小夜にだけ聞こえる声で言う。
「あなたがどう選ぶか、楽しみにしてる」
そのまま、凛はまた風のように去っていった。
残されたのは、微妙に揺れた空気。
小夜はしばらく黙っていたが、やがて小さく息を吐く。
「……迅さん」
「なんだ」
「わたし……」
言葉が詰まる。
それでも、ゆっくりと続ける。
「守られてるだけじゃ、ダメなんでしょうか」
その問いは、弱さではなく——願いだった。
迅は答えない。
ただ、少しだけ視線を逸らす。
沈黙が落ちる。
その静けさの中で、小夜は気づく。
——ああ、わたし。
この人の隣に、立ちたいんだ。
守られるだけじゃなくて。
同じ景色を、見たい。
胸の奥が、じんと熱くなる。
小夜はぎゅっと手を握った。
「……わたし、頑張ります」
小さく、でもはっきりと。
迅は何も言わなかった。
けれどその横顔は、ほんの少しだけ柔らいでいた。
風が吹く。
新しい季節が、また一歩近づいていた。
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