第13話 風が運ぶ、新しい波
実りの季節を迎えた村は、かつての静けさが嘘のように賑わっていた。
畑には黄金色の穂が揺れ、道には行商人の荷車が行き交う。人の声が絶えず、笑顔があふれるこの場所は、もはや“村”というより、小さな町へと変わりつつあった。
水守の社の前にも、朝から人の列ができている。
「恵みの巫女様、どうかこの畑にも祝福を……!」
「この子の体調が良くなるように、祈っていただけませんか?」
次々と差し出される願いに、小夜は一つひとつ丁寧に向き合っていた。
「はい……大丈夫ですよ。ゆっくり、深呼吸してくださいね」
その声は、以前よりもずっと柔らかく、あたたかい。
祈りを終えた人々が、安心したように帰っていく。その背中を見送りながら、小夜はふっと微笑んだ。
「……みんな、元気になってくれるといいな」
「お前がそう願えば、だいたいは叶ってるだろうな」
隣で腕を組んでいた迅が、軽く言う。
「そんなことないですよ……でも、少しでも力になれているなら、嬉しいです」
そう答える小夜の横顔は、どこか誇らしげだった。
その時だった。
「——へえ。ずいぶんと、立派な“巫女様”になったものね」
ふいに、澄んだ声が割り込んだ。
振り向いた先に立っていたのは、一人の女性だった。
長い黒髪を風になびかせ、凛とした佇まい。旅装束でありながら、その立ち姿には隠しきれない気品がある。
そして何より——その瞳には、鋭い光が宿っていた。
小夜は思わず息を呑む。
「……どちら様、ですか?」
女性はゆっくりと歩み寄り、社を見上げる。
「噂は聞いていたけれど……本当に“水守の社”がここまで再興しているなんて」
その言葉に、迅の表情がわずかに変わる。
「お前……どこから来た」
低い声で問うと、女性はくすりと笑った。
「そんなに警戒しなくてもいいじゃない。旧知の仲でしょう?」
そして、視線をまっすぐ迅へと向ける。
「久しぶりね、迅」
空気が、一瞬で張り詰めた。
小夜の胸が、どくりと鳴る。
「……知り合い、なんですか?」
おそるおそる尋ねると、迅は短く息を吐いた。
「昔の……知り合いだ」
その歯切れの悪さに、小夜は小さな違和感を覚える。
女性は、その様子を見て楽しそうに目を細めた。
「ふふ。ずいぶん素っ気ないのね。あんなに一緒にいたのに」
「余計なことは言うな」
ぴしゃりと遮る迅。
だがその一言が、かえって何かを裏付けているようで。
小夜の胸の奥が、きゅっと締め付けられた。
女性は改めて小夜の方へ向き直る。
「ごめんなさい、自己紹介がまだだったわね」
すっと背筋を伸ばし、優雅に微笑む。
「私は——凛。各地の社を巡っている巫女よ」
その名乗りには、どこか誇りがにじんでいた。
「巫女……」
小夜は思わず呟く。
自分と同じ立場の人間。けれど、その在り方はあまりにも違って見えた。
凛は小夜をじっと見つめる。
「あなたが、“恵みの巫女”?」
「は、はい……」
その視線は、優しくもあり、同時に試すようでもあった。
「なるほど……確かに、不思議な気配を持っているわね」
一歩、近づく。
「でも——」
ふっと、声の温度が変わる。
「それだけで、人の信仰を集め続けられると思っているの?」
その言葉に、小夜は息を呑んだ。
「信仰はね、“力”だけじゃ続かないの。導く覚悟と、選ばれる理由が必要なのよ」
静かに、けれど鋭く刺さる言葉。
小夜は、何も返せなかった。
すると、迅が一歩前に出る。
「……やめろ。ここに来た目的は何だ」
凛は肩をすくめる。
「そんな怖い顔しないで。ただ、興味があっただけよ」
そして、意味ありげに微笑んだ。
「あなたが守ると決めた巫女が、どれほどのものか」
その一言に、小夜の心臓が跳ねる。
迅は黙ったまま、凛を睨んでいる。
だが凛は気にした様子もなく、小夜に視線を戻した。
「ねえ、小夜」
名前を呼ばれ、小夜ははっとする。
「あなた、本当にこの場所を背負えるの?」
問いかけは、静かで——逃げ場がなかった。
小夜は、ぎゅっと手を握る。
胸の奥で、何かが揺れる。
不安と、悔しさと、そして——負けたくないという気持ち。
ゆっくりと顔を上げる。
「……はい」
その声は、小さいけれど確かだった。
「まだ足りないことも多いです。でも……ここに来てくれる人たちのために、わたしは——この場所を守りたいです」
まっすぐな瞳。
凛は一瞬、驚いたように目を見開き、それから——ふっと笑った。
「……いい目をするじゃない」
その笑みは、先ほどまでとは少し違っていた。
「なら、楽しみにしてるわ」
くるりと背を向ける。
「あなたが“本当に選ばれる巫女”になれるかどうか」
去り際、ちらりと迅を見る。
「迅も——ちゃんと見極めなさいよ?」
そう言い残し、凛は人波の中へと消えていった。
静寂が戻る。
小夜は、その場に立ち尽くしていた。
胸がざわついている。
あの言葉が、何度も頭の中で繰り返される。
——選ばれる理由。
「……気にするな」
不意に、迅の声が落ちてくる。
小夜は顔を上げる。
「でも……」
「お前は、お前のやり方でいい」
短い言葉。
けれど、それは不思議と心に沁みた。
小夜は、少しだけ笑う。
「……はい」
けれど胸の奥には、新しい火が灯っていた。
ただ守るだけじゃない。
選ばれる巫女になる。
その想いが、静かに燃え始めていた。
そして——
それはきっと、恋も、運命も。
少しずつ動かしていく。
新しい風が、この場所に吹き始めていた。
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