第12話 恵みの名
それから、さらに時は流れた。
水守の社を中心に生まれた変化は、村の外へと広がり始めていた。
畑は、見違えるほど豊かになった。
土はやわらかく、水は均等に巡り、作物は季節を待たずして力強く育つ。
青々とした葉が揺れ、実りは重く、収穫の手が追いつかないほどだった。
「今年は……いや、今年“も”か」
「こんなに穫れるなんてな……」
村人たちは驚きながらも、その恵みを受け取っていた。
そして、その変化がどこから来ているのか、誰もが知っていた。
水守の社。
そして、そこにいる巫女。
小夜だった。
ある日、村の入り口に見慣れない荷車が止まった。
布や乾物、道具を積んだ行商人が、興味深そうに周囲を見渡している。
「ここが噂の村か……」
男はそう呟き、畑の様子に目を留めた。
明らかに、他の土地とは違う。
土の色も、水の巡りも、作物の勢いも。
「これは……ただ事じゃないな」
その日を境に、行商人の出入りが増えた。
村の作物は外へと運ばれ、代わりに様々な品が持ち込まれる。
布、道具、塩、薬種――
生活は少しずつ豊かになり、人の往来も増えていく。
やがて、村は“通り過ぎる場所”ではなく、“立ち寄る場所”へと変わっていった。
社にも、その変化ははっきりと現れていた。
「こちらが、噂の……」
「恵みの巫女さま、でいらっしゃいますか」
訪れる者の言葉が、変わっていた。
小夜は一瞬だけ戸惑いながらも、静かに頷く。
「……はい。水守の社の巫女、小夜です」
“恵みの巫女”。
いつの間にか、そう呼ばれるようになっていた。
最初はくすぐったく、少しだけ落ち着かなかった。
けれど今は――
その名に、応えようと思える。
小夜は祠の前に立ち、静かに手を合わせる。
意識を巡らせる。
水の流れ。
地の息吹。
人の想い。
すべてが、以前よりもはっきりと感じられる。
そして、それらを“整える”ことも。
手をかざすと、見えない流れが動く。
遠くの畑へ、水が巡る。
乾きかけた土が、やわらかく潤う。
無理はない。
負担もない。
ただ、自然に――そこにあるべき形へと整えるだけ。
「……すごい」
近くで見ていた旅人が、思わず声を漏らす。
小夜は小さく微笑む。
「特別なことではありません」
そう言いながらも、その力が特別であることは理解していた。
だからこそ、丁寧に使う。
誰かのために。
この場所のために。
夕方。
社のまわりが落ち着きを取り戻す頃。
迅は、少し離れた場所からその様子を見ていた。
人の流れ。
整った空気。
安定した結界。
そして――中心にいる、小夜。
「……変わったな」
小さく呟く。
以前の危うさは、もうほとんどない。
力は安定し、流れも整っている。
何より――
迷いがない。
そのとき、小夜がふとこちらに気づいた。
「あ……迅さん」
少し嬉しそうに、手を振る。
その仕草が、どこか柔らかい。
迅はわずかに目を細め、近づく。
「今日も人が多かったですね」
「ああ」
「少し、驚いてしまいます」
「慣れろ」
短く返す。
だがその声は、以前よりもわずかに穏やかだった。
小夜はくすりと笑う。
「はい、努力します」
少しの沈黙。
風がやさしく吹く。
「……無理はしていないな」
迅が、ぽつりと確認する。
「はい。今は……とても自然にできています」
小夜はそう言って、自分の手を見る。
温かく、安定した感覚。
もう、冷えに怯えることはない。
「ならいい」
短い言葉。
けれど、それだけで十分だった。
小夜は、そっと空を見上げる。
人が集まり、恵みが巡り、場所が育っていく。
この流れの中に、自分がいる。
そのことが、誇らしかった。
水守の社は今、村を越え――
ひとつの“拠点”として、形を持ち始めている。
そしてその中心には、“恵みの巫女”がいる。
その名は、これからさらに広がっていく。
静かに、確かに。
(続く)
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