第35話「ふたりの距離、心の温度」
冬の冷たい風がビルの隙間をすり抜け、都会の街角に小さな季節の足音を運んでいた。
「ほぐし庵」の窓際には、小さな鉢植えのポインセチアが赤く色づき、店内にほんの少しの温もりを添えている。陽菜はいつものように施術台を整えながら、自分の胸の中にある新しい感情に気づいていた。
田中和也との関係が、一歩進んだこと。
「……デート、か。」
ふと口に出してみると、顔が熱くなる。こんなふうに誰かを想うのは久しぶりだった。
午前中、最初の患者は山本玲子だった。
「こんにちは、陽菜さん!」
明るい笑顔で入ってきた玲子は、少し前までの疲れた顔が嘘のように生き生きとしていた。
「最近、趣味の絵をまた描き始めたんですよ。家にいるだけだと気が滅入るけど、筆を持つと時間があっという間!」
「玲子さん、すごい!やっぱり自分の時間って大切ですよね。」
施術をしながら、陽菜は玲子の話に耳を傾けた。ふと、玲子が陽菜の顔をじっと見つめる。
「陽菜さん、なんだか最近いいことあったんじゃない?」
「えっ、な、なんでですか?」
「だって、顔がほわっとしてるもの。」
思わず照れ笑いしながら、陽菜は施術に集中するふりをした。でも、玲子の言葉は胸の奥に小さな温かい灯をともした。
週末、いよいよ和也とのデートの日がやってきた。待ち合わせは、都内から少し離れた温泉街の駅前。
「お、陽菜さん!」
改札を出ると、和也が手を振って待っていた。カジュアルな服装の彼は、いつもスーツ姿で見慣れている陽菜にとって新鮮だった。
「和也さん、私服だと雰囲気違いますね!」
「そう?陽菜さんも、いつもよりリラックスして見えるよ。」
二人は少し照れながら歩き出した。
温泉街は静かで、温泉の湯気がふわりと立ち上る風景に、心もほぐれていく。お土産屋を覗いたり、川沿いを散歩したり、自然と会話が弾んだ。
ふたりの距離が縮まる瞬間
昼食後、二人は足湯に立ち寄った。お湯の温かさが冷えた足元からじんわりと広がる。
「こうしてのんびりするの、久しぶりだな。」
和也がつぶやく。
「仕事、忙しいですもんね。でも、たまにはこういう時間も必要ですよ。」
陽菜が笑顔で答えると、和也は真剣な表情で彼女を見つめた。
「……俺、前は仕事のことばかり考えてて、自分の気持ちに素直になれなかった。でも、陽菜さんと話してると、なんか自然体でいられるんだ。」
心臓がドキンと跳ねた。足湯の温かさだけじゃない、胸の奥までじんわりと熱が広がる。
「私も……そうですよ。和也さんといると、素直な気持ちになれるんです。」
二人の目が静かに重なる。
和也がそっと陽菜の手に触れた。その手は少し冷たかったけれど、すぐに温もりが伝わってきた。
「陽菜さん……これからも、こうして一緒にいたい。」
その言葉は、静かな温泉街に優しく溶けていく。
陽菜は、ゆっくりと頷いた。
「私も……同じ気持ちです。」
帰りの電車の中、二人は肩を寄せ合いながら窓の外を眺めていた。
夕焼けが空を染め、都会へと続く線路がまるで未来への道のように見える。
「ねえ、和也さん。」
「ん?」
「これからも、たくさん話して、たくさん笑いましょうね。」
和也は微笑みながら、優しく陽菜の手を握った。
「もちろん。陽菜さんとなら、どんな日も特別になる気がするよ。」
その言葉に、陽菜の心はまた一つ、温かくほぐれていった。




