第34話「心に触れる、その瞬間」
冬の寒さが増してきたある日の朝、陽菜はいつもより少し早く「ほぐし庵」にやって来た。
カーテンを開けると、外には吐く息が白くなるほどの冷たい空気が広がっている。店内のヒーターをつけ、タオルを温めながら、ふと自分の心の奥にある感情に気づく。
田中和也。
最近、彼のことを考える時間が増えた。彼が来ると、心が弾む。でも、それが恋愛感情なのかどうか、はっきりとは分からなかった。
「……なんで、こんなに意識しちゃうんだろう。」
そんなことを考えていると、店のドアが開いた。
「おはようございます。」
低く落ち着いた声に、陽菜の心臓が一瞬跳ねる。振り向くと、そこには和也が立っていた。
「和也さん、今日は予約入ってなかったですよね?」
「うん、ちょっと近くまで来たから、寄ってみたんだ。」
和也の表情はどこか穏やかで、いつもの疲れた様子がない。
「なんだか、すっきりした顔してますね?」
陽菜が笑いながらそう言うと、和也は少し照れくさそうに頭をかいた。
「最近、仕事のことでちょっと考え方を変えてみたんだ。異動して最初は慣れなくて大変だったけど、やってみたら意外と面白くてさ。」
「それはよかったです!頑張りすぎないようにしてくださいね。」
和也の成長が嬉しくて、陽菜は自然と笑顔になった。そんな彼女をじっと見つめて、和也がふと口を開く。
「陽菜さん……俺、今度の休みにどこか行かない?」
唐突な誘いに、陽菜の心臓がドクンと跳ねた。
「え?」
「前からちゃんと誘おうと思ってたんだけど、なかなか言えなくて。……その、二人で。」
和也の声は少し緊張しているようだった。でも、その目は真剣で、いつもの冗談っぽさはない。
陽菜はしばらく言葉を探して、それからゆっくりと頷いた。
「……はい。行きたいです。」
二人は休みの日に、ちょっとした遠出をすることになった。目的地は、和也が選んだ温泉街。
「肩こり解消には温泉が一番だろ?」
そう言って笑う和也の顔は、どこか嬉しそうだった。
陽菜も、和也との時間を素直に楽しみにしている自分に気づいた。
仕事を終えて自宅に戻ると、陽菜は布団にくるまりながらスマホを見つめた。
和也とのデートが決まったことが嬉しい反面、何かが心の中で引っかかっている。
(これは、ただの友達としての時間じゃない。)
そう思うと、少し怖くなった。
今まで、誰かとこんな風に意識しながら過ごしたことはなかった。
「私……和也さんのこと、好きなのかな。」
そう呟いた瞬間、心がドキンと跳ねる。
答えは、もう出ているのかもしれない。
翌日、仕事終わりに「ほぐし庵」の掃除をしていると、店のドアがそっと開いた。
「まだ、閉めてないよな?」
和也の声に、陽菜は驚いて振り向いた。
「和也さん?どうしたんですか?」
「いや……帰る前に、ちょっと話したくて。」
和也は少し照れくさそうにしながら、陽菜の前に立った。そして、少しの沈黙の後、ゆっくりと口を開く。
「陽菜さん。俺……本当に陽菜さんと一緒にいたいと思ってる。」
陽菜の心臓が、大きく跳ねる。
「え……?」
「ずっと前から好きだった。でも、どう伝えたらいいかわからなくて……でも、もう待つのはやめようと思った。」
和也の真剣な瞳が、まっすぐ陽菜を見つめる。
陽菜は言葉を失い、胸がいっぱいになるのを感じた。
「……私も。」
かすかに震える声で、陽菜はそう答えた。
和也の表情が、一瞬で安堵と喜びに変わる。
「……本当?」
「はい。」
次の瞬間、和也はそっと陽菜の手を握った。
陽菜の心は、もう迷っていなかった。




