第33話「心の隙間に触れる指先」
陽菜の朝は、いつもと同じように始まった。窓の外には冬晴れの青空が広がり、冷たい空気が街を包んでいる。
「さて、今日も頑張ろう!」
自分に言い聞かせるように声を出し、ほぐし庵の暖簾をくぐる。しかし、心の奥には昨日の和也とのデートがまだくすぶっていた。紗英と偶然出会ったことで胸に生じた微妙な違和感。それが何なのか、自分でも整理がついていなかった。
午前中の予約が落ち着いたころ、受付のベルが軽やかに鳴った。顔を上げると、そこに立っていたのは紗英だった。
「こんにちは、また来ちゃいました。」
軽い口調とは裏腹に、その表情にはどこか陰が見える。紗英は前回と同じように肩こりの施術を希望した。
施術台にうつ伏せになった紗英の背中に触れると、陽菜はすぐに彼女の緊張が伝わってきた。
「今日は肩だけじゃなくて、背中全体が張ってますね。何かありましたか?」
陽菜の柔らかい声に、紗英は少し間を置いて答えた。
「ちょっと仕事で詰まってて……まあ、いつものことなんですけど。」
「いつものこと、ですか?」
「そう。デザイナーって自由そうに見えるけど、実際は納期とかクライアントとかいろいろあって、思った通りにいかないんですよ。」
陽菜は「そうなんですね」と相づちを打ちながら、慎重に施術を進めた。紗英の言葉には、どこか諦めが混じっているように感じた。
「紗英さん、頑張り屋さんなんですね。でも、無理しすぎると自分を追い詰めちゃいますよ。」
「……陽菜さん、そういうこと言うの、上手ですね。」
施術が終わるころには、紗英の表情は少しだけ和らいでいた。
午後に入ると、和也がほぐし庵に顔を出した。休日デートの翌日に現れるのは珍しいことだった。
「和也さん、こんにちは!今日はどうされたんですか?」
「いや、肩がまたガチガチになってきてさ。昨日歩き回ったせいかな?」
陽菜は笑って彼を施術台に案内した。
施術を進めながら、陽菜はふと紗英のことを思い出し、少し躊躇しながら尋ねた。
「昨日、公園で会った紗英さん……和也さん、どう思いました?」
和也は少し驚いたように顔を上げたが、すぐに穏やかに答えた。
「明るそうな人だなって思ったよ。でも、なんか無理してる感じもあったかな。」
その言葉に陽菜は少し驚いた。和也も紗英の抱えるものに気づいていたのだ。
「陽菜さん、気にしてるの?」
「え?いや、そんなことは……」
「陽菜さんって、誰にでも優しいよな。それがいいところなんだけど、時々心配になるよ。」
和也の真剣な眼差しに、陽菜の胸が少しざわついた。
その夜、陽菜は一人でベッドに横たわりながら考えていた。
紗英の抱えるもの、和也の優しさ、そして自分の中の不安や期待。
「私は一体、何を怖がってるんだろう?」
和也に対する気持ちは明確なのに、紗英の存在がなぜか心をざわつかせる。陽菜はまだ、自分自身の感情を整理できていなかった。
翌朝、陽菜のスマホに和也からメッセージが届いていた。
「昨日はありがとう。また時間があるとき、どこか行こう。」
その短い言葉に、陽菜の胸が温かくなった。そして同時に、紗英のことをどう扱うべきか、自分の中で答えを出さなければならないと感じた。
「和也さんとの時間を大切にしよう。紗英さんのことは……私らしく向き合えばいい。」
陽菜はそう心に決め、新しい一日を迎えた。




