第32話「揺れる心、交わる想い」
休日の朝、陽菜はいつもより少し早く目を覚ました。今日は田中和也との約束の日。心のどこかで「デート」と期待しながらも、自分の気持ちをどう伝えたらいいのか迷っていた。
「こんなに緊張するなんて、私らしくないな……。」
明るい性格で、どんな患者とも自然に会話ができる陽菜だったが、こと恋愛となると話は別だ。鏡の前で服を選びながら、胸の高鳴りを抑えることができなかった。
待ち合わせ場所は駅近くのカフェだった。陽菜が店に着くと、和也はすでに席に座って待っていた。いつもスーツ姿の彼が、今日はラフなシャツとジーンズを身に着けており、少し新鮮に見えた。
「お待たせしました!」と陽菜が笑顔で声をかけると、和也も少し照れたように笑った。
「いや、俺も今着いたところだよ。休日の陽菜さん、なんだか新鮮だね。」
「和也さんもですよ。普段のスーツ姿とは全然違いますね。」
二人はカフェでコーヒーを飲みながら、仕事や趣味の話で盛り上がった。普段は施術台を挟んで話す関係だったが、こうしてフラットに向き合うと、また違った一面が見えてくる。
「陽菜さんって、本当に話しやすいよね。仕事の愚痴ばっかり言っちゃうけど、なんかそれも許される気がするんだ。」
和也の言葉に、陽菜は少しだけ顔を赤らめた。
「そんな、私はただ聞いてるだけですよ。和也さんが頑張り屋さんだから、いろんなことを抱えちゃうんだと思います。」
その後、二人は近くの公園を散歩することにした。冬の冷たい空気の中、和也が選んだ道を歩きながら、陽菜はふと彼の手元に視線を移した。手袋をしていない彼の手が、少し冷たそうに見えた。
「寒くないですか?」と陽菜が気遣うと、和也は「これくらい平気だよ」と笑う。そのとき、遠くから見覚えのある姿が近づいてきた。
「陽菜さん?」
声の主は、昨日ほぐし庵に初めて訪れた遠藤紗英だった。彼女は驚いた様子で二人を交互に見つめた。
「紗英さん!偶然ですね。」
紗英は少し戸惑ったような表情を浮かべながらも、「近くで仕事の材料を探してたんです」と答えた。
「今日はお仕事なんですね。寒い中お疲れさまです。」
和也は横で静かに二人の会話を聞いていたが、陽菜が彼を紹介すると、紗英は少し柔らかい笑顔を見せた。
「お友達と一緒だったんですね。お邪魔してすみません。」
そう言い残して立ち去る紗英の背中を見送りながら、陽菜は少しだけ胸がざわつくのを感じた。
散歩を再開した二人だが、陽菜の心には紗英の笑顔が引っかかっていた。和也が口を開く。
「さっきの人、陽菜さんの知り合い?」
「はい。昨日、初めてお店に来てくれたんです。肩こりがひどいっておっしゃってて。」
「陽菜さんの仕事って、いろんな人と関われるからすごいよな。俺なんか、毎日同じ人たちとしか話さないから、羨ましいよ。」
その言葉に、陽菜は少し考え込みながら答えた。
「でも……和也さんがいる職場の人たちも、和也さんがいるから頑張れるんじゃないかなって思いますよ。」
和也は少し驚いたような表情を見せたが、すぐに照れ隠しのように笑った。
「陽菜さんって、本当に人を褒めるのが上手いよな。」
「本当のことです。」
そのとき、陽菜の胸にあった不安が少しだけ軽くなった気がした。
一日を終えて家に帰った陽菜は、ベッドに横になりながら今日の出来事を振り返っていた。
紗英の出現は少し驚きだったが、彼女の表情の裏にある疲れや孤独が、どこか自分と重なるような気がしていた。そして、和也との時間は確実に彼女の心を満たしてくれていた。
「私も、もう少し自分の気持ちに素直になろうかな……。」
そう思いながら、次の和也との約束を心の中で楽しみにする陽菜だった。




