第28話「小さな特別な日」
冬の朝、冷たい空気がほぐし庵の窓ガラスに白く息を吐かせていた。陽菜は暖房をつけながら、年末の賑やかな街の様子を思い浮かべた。12月も半ばを過ぎ、街はどこもクリスマスムード一色だ。
「今年もあっという間だったなぁ。」
独り言をつぶやきながら、ふと田中和也のことを思い出す。最近、施術の合間に交わす会話はどこか柔らかく、お互いの距離が少しずつ縮まっているように感じていた。
「少しずつ、ね……。」
そう思っていた矢先、玄関のベルが鳴った。
「おはようございます、桜井さん。」
笑顔で現れたのは常連の山本玲子だ。今日は予約のない日だったので少し驚いたが、陽菜はすぐに笑顔で迎えた。
「玲子さん、おはようございます。今日はどうされたんですか?」
玲子は少し照れくさそうに言った。
「実は、少しお話したくて。お邪魔じゃないですか?」
「そんなことないですよ。どうぞどうぞ!」
陽菜はお茶を用意しながら施術室ではなく談話スペースに玲子を招いた。
「桜井さん、この間お話ししてくれた趣味のこと、覚えていますか?絵を描くのがいいリフレッシュになるって。」
「もちろん覚えてますよ。どうですか、始めてみました?」
玲子は少し誇らしげに微笑んだ。
「はい、子どもが寝た後、少しずつ描いています。最初は落書き程度だったんですけど、描いているうちに楽しくなってきて。」
「すごい!それはいいですね!」
玲子は続けて言った。
「おかげで、少しずつですが、夫との会話も増えてきたんです。私が絵を描いていると、彼も興味を持って見てくれるようになって……。」
陽菜はその話を聞いて心から嬉しく思った。
「よかったですね。玲子さんが自分の時間を大切にするようになったから、きっとご家族も変わってきたんだと思いますよ。」
玲子は目を細めて微笑んだ。
「桜井さんのおかげです。本当にありがとう。」
玲子を見送った後、陽菜は昼休憩を取ろうとしていたところ、スマホにメッセージが届いた。
田中和也:桜井さん、今週末の予定は空いてますか?
突然の誘いに、陽菜の心臓は少し早くなった。
陽菜:今週末ですか?特に予定はないですけど……どうかしましたか?
少しの間を置いて、田中から返事が来た。
田中和也:実は、会社の仕事が一区切りついたので、少しお礼がしたくて。お時間があれば、ランチでもどうかなと思いまして。
陽菜は画面を見つめ、しばらく考えたあと、意を決して返信した。
陽菜:わかりました。楽しみにしていますね!
送った後、陽菜は思わず顔を覆った。
「これって、もしかしてデート……?」
週末、田中との待ち合わせ場所は街中の小さなカフェだった。店内に入ると、既に田中が席に座って待っていた。
「桜井さん、こっちです。」
田中の声に気づき、陽菜は席に向かった。
「こんにちは、田中さん。今日はお誘いありがとうございます。」
「こちらこそ、来てくれてありがとう。今日は仕事のことは忘れて、ゆっくり話したいなと思って。」
二人はランチを楽しみながら、仕事の話や最近の出来事について語り合った。田中がふと真剣な表情で切り出す。
「桜井さん、改めてありがとう。いつも施術だけじゃなくて、いろんな話を聞いてくれて。」
「そんな、私こそ田中さんの話を聞いて学ぶことがたくさんありますよ。」
田中は少し照れたように笑った。
「でも本当に、桜井さんがいるから仕事も頑張れてる気がするんだ。だから……これからもよろしくお願いします。」
陽菜はその言葉に少し驚きながらも、嬉しそうに微笑んだ。
「こちらこそ、よろしくお願いしますね。」
ランチを終え、田中と別れた帰り道。陽菜は冬の冷たい風を感じながら、胸の中の温かさに気づいていた。
「少しずつ、だけど……進んでる気がする。」
田中との時間は、陽菜にとって特別なものになりつつあった。そして、それを大切に育てていきたいと思う自分がいることに気づいたのだ。




