第27話「言葉の贈り物」
冷たい冬の風がほぐし庵の窓ガラスに霜を描いていた。陽菜は開店準備をしながら、心の中で昨日の田中和也との会話を反芻していた。
「少しだけ時間をください。」
そう伝えた自分の言葉に、田中が笑顔で頷いてくれたことが心を温める。だが、それ以上に、自分の中で少しずつ芽生えつつある想いが、どう成長していくのかが気になって仕方がなかった。
「焦らず、少しずつだよね。」
そう自分に言い聞かせながら掃除を終えた頃、玄関のベルが鳴った。
「こんにちは。予約していた水野涼です。」
若い男性の声に振り向くと、そこには21歳の大学生、水野涼が立っていた。彼は最近、友人関係や進路について悩みを抱えていると言って来店するようになった患者の一人だった。
「涼くん、いらっしゃい。どうぞ入って。」
陽菜は笑顔で涼を迎え入れ、施術室へ案内した。涼は少し疲れた様子で首を回しながら言った。
「最近、首がガチガチで。大学の課題とか、バイトとか、いろいろ詰め込みすぎたみたいです。」
「それは大変だね。でも大丈夫。今日はしっかりほぐしていこう。」
陽菜は涼の首と肩を中心にマッサージを始めた。
「陽菜さんって、どうして今の仕事を選んだんですか?」
施術中、ふいに涼が問いかけた。
「どうしてっていうのは……。うーん、人を癒す仕事がしたいって思ったからかな。でも、正直に言うと、最初は自分でもよく分からなかったよ。」
陽菜は手を止めずに答える。
「大学を辞めた後、何もかもが中途半端で。でもある日、マッサージを受けてみて、自分がすごく癒されたの。それで、人を癒す側になれたら素敵だなって思ったんだ。」
涼は目を閉じたまま小さく頷いた。
「そっか……。僕も何か、自分が本当にやりたいことを見つけたいな。でも、周りの期待とか、将来のことを考えると、どうしても怖くなってしまう。」
陽菜は優しい声で言った。
「怖いって思うのは、涼くんがちゃんと自分の未来を考えている証拠だよ。焦らなくていい。少しずつ、自分の好きなことや気になることを探していけばいいんじゃないかな。」
涼は施術台の上で微かに笑った。
「陽菜さんの言葉、なんだか不思議と安心するな……。」
その日の夕方、田中がいつものようにほぐし庵を訪れた。
「陽菜さん、今日は予約してたけど、大丈夫?」
「もちろんです。どうぞお入りください。」
田中は施術台に横たわると、陽菜は静かに彼の肩を押し始めた。
「最近、肩の調子はどうですか?」
「肩は相変わらずだけど、気持ちは少し軽くなったかな。昨日、陽菜さんが話してくれたこと、嬉しかった。」
田中の穏やかな声に、陽菜は少し頬を赤らめた。
「私も、田中さんとちゃんと向き合いたいと思ってます。でも、まだ自分の気持ちがまとまらなくて……。」
田中は微笑みながら言った。
「陽菜さんがそう言ってくれるだけで十分だよ。俺も焦らないから。」
その言葉に、陽菜の胸がじんと温かくなった。
施術を終えた後、陽菜は田中を見送りながら、小さく手を振った。
「また来週、お待ちしてますね。」
田中は手を振り返しながら微笑んだ。
「うん。またね。」
その姿を見送りながら、陽菜は心の中で小さな確信を感じていた。
「少しずつ、私も進んでいこう。」
陽菜にとって、それは田中との関係を深めるための大切な一歩だった。




