6-5
神殿の練兵場も冒険者協会の地下も、今は都合が悪いということなので、彼らはミクズ川の河川敷まで向かった。
道中、ユウマはイスリスに言う。
「俺はお前よりも、あの男の方がいいんだけどな」
「私じゃ、不足かい?」
イスリスは不敵に笑った。
さっきまで、自分が目をつけた男の力量を疑われて、むっとしている様子だったのに、今はそんなことなど忘れてしまったようで、むしろユウマとの立ち合いが楽しみだと言わんばかりの顔をしている。
割と脳筋なところがあるらしい。
だが、もちろんユウマが問題にしているのは、力量ではない。力量など、どちらにしたって不足に決まっている。
問題は、今イスリスが死ぬと、せっかく立てたオーファに近づく計画が狂ってしまうことである。
どうしたものかと考えて、まあ仕方がないかという結論を下した。
他ならぬイスリス自身がそれを望んでいるのである。どうしようもない。
それに、オーファに近づくのに、どうしても彼女が必要というわけではない。
すぱっと切り替えて、他の方法を考えよう。
「安心しろ。お前が死んだ後でも、約束は守るよ。セリン・ギルドのやつらが、簡単には死なないように、俺に教えられることはちゃんと教えるから」
ユウマの中ですでに亡き者として扱われている女は、顔をひきつらせた。
「君、立ち合いの意味、分かってる?」
「合図と同時に、二人で戦うんだろ?」
さっきイスリスに教えられたことを、そのまま口にする。
「まあ、そうなんだけど、目的は、相手を打ち負かすことじゃなくて、互いの力量を把握することだから、殺したり、死ぬような大怪我をさせたりは、駄目だよ?」
ユウマは、イスリスをまじまじ見つめた。そして、どうやら彼女は本気で言っているらしいことを見て取って、思わず沈黙した。
「分かってなかった?」
「うん。怪我をさせないようになんて気を使って、戦えるものか?」
「まあ、今回はそんな難しく考えなくていいよ。全力でかかってきてくれていい。それを受け止めるだけの力は、持ってるつもりだ」
壁外へ出て、さらにしばらくミクズ川を下って行き、都市の内なのか外なのか、あいまいになってきた辺りで、コルムは足を止めた。
「この辺でいいだろう」
静かな場所だった。
ひと気はほぼないが、遠い対岸で釣りをしている男がいる。
その隣には子供が二人、川遊びをしている。親子だろうか。
子供の一人が手を振った。ユウマとイスリスが振り返す。子供はキャッキャとはしゃいだ。兄らしき方が、ぺこりと一礼した。
青い空が広がり、日の光が穏やかに降り注いでいる。ほとんど流れのない水面がそれを反射して、銀鏡のようである。
ゆるやかな時間と空間だ。
つい八日前、国の進退にも関わるような戦いが、すぐそこの都市内で起きていたことなど、信じられないほどに。
コルムから少し離れて、イスリスが振り返る。
持っていた木の棒を、感触を確かめるように何度か振り回した。彼女が常に持つ短槍と、ほとんど同じ長さの棒である。そのためか、取り回しは実に様になっている。
ユウマは、コルムをはさんで反対側に立った。木剣を持っている。刃のない武器を持つのは初めてで、こちらは何となく落ち着かない感じだった。
「勝敗は、私の判断、各々の判断、そしてあそこからあそこまで、その範囲外まで相手を吹き飛ばした時に決まるものとする」
コルムは、川原とそこに生えた目立つ二本の木で、範囲を区切った。
「異論は?」
「いや。とにかく、水に叩き落せば終わりってことだな」
ユウマは、簡潔に取りまとめて納得した。
「そう簡単にいくかな?」
イスリスが、静かに棒を構えた。
「私はこう見えて、かなり強いよ。リンネの騎士に恥じない力を、見せてあげよう」
「そうか」
コルムが、ユウマの方に目をやった。
「貴様が、何か一つでも目を見張るものを見せてくれることを、期待する」
「そうか」
「では――始めよ」
少しの間、二人は動かず見つめ合った。
イスリスは半身になって構え、ユウマは自然体で立ちつくしている。
「来ないのかい?」
「うん」
ユウマは、手に持つ木剣に視線を落とす。
何とも頼りない棒きれだ。だがこの場合、それがかえっていいかもしれない。
「俺は、ここの人間がどこまで行けば死ぬのか、実はまだよく分かってないんだ。ある程度は手加減するけど、死んだらごめんな」
それを最後に、ユウマの姿がかき消えた。
風が吹いた。
人一人を吹き飛ばすような暴力的な風が、ユウマが消失した場所を中心に吹き荒れる。
次の瞬間、イスリスも消失する。
音は、遅れてやって来た。
ドッパァァン――
ぬれた革袋を、思い切り叩きつけたような鈍い音が弾け、同時に河川の水面が割れ、弾けた。
馬鹿げた速度で、水面を滑空する物体があった。
イスリスの体が、腰の辺りを軸に横向きに高速回転しながら、シュババババババッと見事な水切りを見せていた。
「何だぁ?」
それを見るコルムの口から、間の抜けた疑問符がもれた。
その瞬間、彼はようやく事態を認識したようで、
「イスリス!? イスリス・ローズ!? ううぉおおあああ!?!!?」
思わず膝をついて、左腕を伸ばす。
しかし、届くわけがない。
イスリスの体は、一度も沈むことなく速やかに対岸まで到達し、そこにあった巨大な岩に激突して、巨岩に深刻なダメージを与えつつ跳ね返され、バグったような動きを見せて、水面に叩きつけられて、今度こそぶくぶく沈んでいった。
そして、浮かんで来ない。
日が照っているのに、大量の雨が降り注いでいる。
やがてそれも終わって、キラキラと輝く虹が生まれた。
「……」
いかんともしがたい沈黙が流れた。
コルムがゆっくり振り返り、そこにいるユウマを血走った目で見つめた。
「な、なな、な、な――」
「な?」
「なな、な、何を……何をしたぁ!?」
ユウマは首を傾げ、手に持つ木剣を見せつけた。それは、内側から破裂したみたいに粉砕されており、まるで短い箒のようになっている。
「見てたろうに」
「うるせえ、答えろ!」
「これで、水に向かって殴りつけたんだ。こうやって」
ユウマは協会でやったのと全く同じように、腕を振り回して見せた。今度は目の前で見せたんだから、信じてくれるかな?
「んなわけがあるかぁぁああ!?!!?」
信じてもらえなかった。
引き上げられたイスリスは、心肺を停止しており、あわやと思われたが、電気ショックを交えたコルムの救命行動により、幸いにも一命をとりとめた。
結果的には、大した怪我も残らなかったようで、一安心といったところである。
しかしそれは、彼女がこの国でも特別に頑丈な人間だったからのようで、普通の人間であれば二十回は死んでいたらしい。
少し、考える必要があった。
このままでは、ユウマにその気がなくても、セリン・ギルドの子供たちを大量虐殺してしまう未来は、確定的である。
混乱冷めやらぬイスリスとコルムをその場に放置して、ユウマは、壁外都市南側にある例の酒場へと向かった。
そこには、ユウマの事情を詳しく知り、なおかつこの国の一般的な感覚も持っているであろう人間がいる。
現状、ユウマにとって最も必要な人材である。




