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4-8

「人質に傷はつけるなと、伝えられていたはずだぞ」


 オラク・ギアは剣の柄に手をそえて、にらみをきかせた。

 たった一人の男の恫喝に、二十三人の男たちは完全に萎縮した。


 オラクは、トリニア・ギルドの戦士だ。


 戦時中は、神殿の騎士として魔族を相手に立ち回り、今は冒険者として、シルダットの呪いが生んだモンスターたちと戦っている、正真正銘の戦士だ。

 どれだけ人数差があろうと、戦う心構えも持たない男たちに、抗えるものではなかった。


「けどよ、十人以上いたんだぜ。誰も逃がさないように捕まえるには、ちょっとくらい、仕方ないじゃないか」


 小声で言い訳した男も、オラクに聞かせるために言ったのではない。むしろ聞こえないように声量を絞ってつぶやいた。

 しかし日々、東部の危険域を探索して、鍛えられているオラクの鋭敏な聴覚は、それを正確に拾った。


 無言でその男に近づいてゆき、おびえる相手の頬を思いきり張り飛ばす。

 男は悲鳴を上げて吹き飛んだ。


「怪我をさせれば、それだけ恨みを買う。神殿の追及も厳しくなる。そんなことも分からんくせに、一端の口をきくな、クズが」


 さすがに居並ぶ男たちから怒気が立ったが、ちょっとにらみつけてやると、それもあっさり霧散した。

 視線から逃れるように、彼らはいっせいに下を向いた。


 オラクは鼻を鳴らし、背を向けた。

 苛々した。この愚鈍な男たちと同じ空気を吸っていると考えるだけで、気に障った。


「荒れてるですね」


 隣にいたギルドメンバーの余計な一言に、オラクは舌打ちで返した。


「お姫様のことは、あきらめるですよ。ローズ家のご令嬢。イェルシェド最後の聖剣様のご令孫ですよ? たまたまこの町では同じような立場でやってきたですけど、もともと住む世界の違う人なんですから」

「黙れ。この俺を、お前たち下賤の人間と同じにするな」

「同じギルメンじゃないですか」

「ふざけるな」


 同じではない。オラクは内心で吐き捨てた。

 同じであるはずがない。


 冒険者オラク・ギアとは仮の姿だ。

 彼の真の名はオラク・サラサ。首都に根づく神殿騎士の家系に生まれた、生粋のリンネ神の信徒だった。

 イスリスのローズ家とは比べられないが、それでも騎士の血統だ。

 それが、終戦後の軍部大解体により、サラサ家は数々の特権を失った。

 次男であったオラクは、家で禄を食むことができなくなり、東へ流れざるを得なくなった。


 イスリス・ローズのことは、首都にいた頃から知っていた。

 再会は偶然だったが、掃きだめのような東の果てのこの地で、オラクが彼女に惹かれるのは、当然の流れだった。

 彼女の身の内に流れる高貴な血統。そして、あの清廉な美しさ。できることなら、生かしたまま、己のものとしたかった。


 しかし、女に対する執着より、彼の自尊心は上回った。

 自分を捨てた首都の連中に、復讐せずにはおれない。

 東部神殿を利用して、ひと泡吹かせてやるのだ。


 イスリス・ローズが首都の利に動くのであれば、もはや殺すしかない。

 ならば、下賤の者の手ではなく、せめて俺の手で殺してやろう。それが、同胞として彼女にかける慈悲である。

 オラクは本気でそう考えていた。


「どこへ行くです?」

「外だ」

「僕も行くです。こんなところにいたら、視線と匂いで妊娠しそうです」


 ついてこようとするのを、オラクは押しとどめた。


「ゴミだけ残してどうする。ここにいろ」

「大丈夫ですよ。人質は、奥の部屋に閉じ込めてますし。あとは、夜が明けるのを待つだけなんだから、誰にでもできるですよ」

「分かるように言ってやる。邪魔だ。ついてくるな」

「ぶー」


 せま苦しい一室から、オラクは一人で外へ出た。

 水音と虫の軽やかなさざめきが、彼を押し包んだ。


 そこは、ミクズ川をまたぐように作られた、巨大施設跡の一画である。

 ランセット市から北へしばらく、ミクズ川をさかのぼってきた位置にそびえ立つ、グライン材製の建造物だ。


 はるか昔、ランセット市が魔族のものであった時、この施設で都市を流れるミクズ川の水量を調節していたらしいが、今となってはただの廃墟である。

 無用の長物となった魔族の遺跡に、好んで近づく者はめったにいない。

 いるとすれば、何か後ろ暗いところのある人間だけだ。




 川原までおりて、水の流れをしばらく見つめていた。

 ささくれだった気持ちが、少しずつ落ち着いていった。


 俺は、こんなところにいるべき人間ではないのだ。

 心の中で呪文のように繰り返す。それは彼の癖だった。

 必ず、あるべきもとの居場所に戻ってみせる。


 不意に、虫の鳴き声が途切れた。


 何だ? オラクは息を止めて、五感を周囲に張り巡らせた。

 誰だ。クシナか。ついてくるなと言ったのに。使えないガキだ。


 しかし、そうではなかった。闇から染み出すように、小柄な人影が現れた。

 気づいた時には間合いのすぐ外にいる。それほど唐突な出現だった。


「誰だ! 何だ、貴様!」


 不覚だった。気づかない間に、ここまで迫られるとは。屈辱と怒りで、オラクは一気に殺意をみなぎらせた。

 その意をはずす絶妙なタイミングで、影が言葉を発した。


「まずは、話し合いたいんだ」


 全身マントを羽織っており、深くフードをかぶっているので、何者かは分からない。

 しかし男の声だ。まだ年若い少年の声。どこかで聞いた覚えがある。

 どこだ? 分からない。思い出せなかった。


「お前、セリン・ギルドの子供を何人かさらって、閉じ込めてるだろ? 今すぐ開放してくれたら、こちらからは何もしないみたいだけど、どう?」


 事情を知られている。この瞬間、目の前の男は必ず死ななければならなくなった。

 同じことだ。

 自分に屈辱を味合わせた男を、オラクは決して許すことはない。


「ゴミが。面白いことを言うじゃないか」


 オラクは大股で男に近づいていった。

 男はその場にじっとたたずんでいる。

 間合いに入った瞬間、抜き打ちに切りつけた。剣は、空を切った。斬撃が届く刹那に、フードの男は間合いの外まで飛び退っていた。


 なかなか素早いじゃないか。オラクは鼻を鳴らした。


「死んでおけばいいものを。後悔するぞ」

「つまり、人質を解放する気はないってことかな?」

「ネズミめ、顔をさらすがいい」


 男は、今度はあっさりフードを取り去った。


 知った顔だった。オラクは唖然として、次に奥歯を食いしばった。

 先日、彼女の前で味合わされた屈辱が、よみがえった。猛烈な怒りが、胸にふくれ上がった。


「貴様、彼女の周りをうろつくゴミのうちの一人ではなかったのか」

「ユウマ・トランだ。ユウマと呼んでほしい」

「ふざけるな。名前などどうでもいい。誰に命じられてここへ来た。彼女か。この場所をどうやって知った。答えろ!」

「ははは、内緒」


 男は冗談でも言うように笑った。

 オラクの神経は一層逆なでされた。この俺が、抜き身の剣を持ってこれほど威圧しているのに、なぜ萎縮しない。


「しょせんは獣、人間の言葉は通じないらしいな。いいだろう。手足の一本でも切り落として教育してやろう。取り返しのつかない傷をいくつか刻んでやれば、その腐った口もさぞやなめらかになるだろうよ」

「ならないよ」

「……殺しはしない。いくつか聞きたいことがあるからな。だが、死んだほうがましだという目には、間違いなくあわせてやる」

「俺の方は、お前に聞きたいこともないし、殺しちゃうけども」


 オラクは沈黙した。


 体をふるわせて、せき込むような笑いをもらした。それはすぐに大笑に変わった。

 おかしいことなど、一つもない。ただ、そうでもしなければ、胸に渦を巻く激情が爆発して、どうにかなってしまいそうだった。


 殺す? この俺を?

 リンネ神の祝福を身に宿す俺を、殺すと言ったのか。


 よくもそこまで侮ったものだ。

 許してはならない。これは、偉大なる大リンネ神への侮辱だ。反逆だ。

 ただ殺すだけでは、飽き足らない。この愚者には、己の思い上がりを悟らせて、這いつくばって後悔させてやらなければならない。


「勘違いしているようだな。この俺をお前と同じに考えるなよ。俺は、騎士の血を引く正当なリンネ神の信徒なのだ。俺が持つ祝福は、リンネ神のもの。この身に、竜の血を引いているということなのだぞ!」

「はあ。リュウノチ」

「お前のような思い上がったクズどもは、これまでにいくらでも見てきた。

 獣の力を得て生まれて、己こそが特別と勘違いしたか?

 愚物め。すでに息絶えたレビア神の祝福など、いくら受けたところで、しょせんは凡百なのだ。俺とお前には、決して越えられぬ差がある。それをお前は、これより思い知るだろう」

「お前、変なやつだな」


 男は再び笑った。

 それはまるで邪気のない笑顔だったが、オラクには嘲弄の笑みにしか見えなかった。もう何も言うことはなかった。


 一歩、二歩、オラクは進んだ。三歩目には疾走に変わった。


 リンネ神は、この世全ての風雷を司る竜神である。

 その祝福を宿した騎士は、あらゆる生命をはるかに凌駕する速度の中で戦う。


 男は棒立ちだ。何の反応もできていない。必殺の確信とともに、オラクは雷光の斬撃をその首筋に走らせた。

 鋼が肉を断つ。赤い血がしぶいた。

 しかし、それはごくわずかな量だった。

 首を断つはずだった刃は、掲げられた男の右腕にほんの少しだけ埋まり、そこであっけなく止まった。


「ば、馬鹿な!」


 オラクは驚愕に打ちふるえた。

 腕一本。それも骨にも達していない。筋肉にわずかに食い込んだだけで、押しても引いてもびくとも動かない。

 あり得ない光景が、現実のものとして目の前に広がっている。


 とっさに剣を手離して、足を出した。

 まばゆい電撃をまとった蹴撃が、みぞおちに突き刺さる。

 しかし、鉄のかたまりを蹴りつけたような衝撃が返ってきただけだった。


 オラクは焦燥で息を荒げて、眼前の男の瞳を見た。

 濃紫の瞳。人間だ。そのはずだ。しかしそれなら、この異様な硬さは何なんだ?


 男は笑っている。今度こそ、悪意に満ちた嘲弄の笑みだった。


「こんなものか。リンネ神っていうのは、大した力を持たない神なのか? それとも、かわいそうに、お前がそれほど祝福されてないのかな?」

「だ、黙れ!」

「あはは。自信満々だった異教の人間が、こうして顔を青ざめさせるのを見るのは、なかなか気分が爽快だな。なあなあ、お前に宿ったリンネ神とやらの力は、俺にボロ負けしてるみたいだけど、今どういう気分なんだ?」

「ガキが、愚弄するつもりか!」

「俺は、お前よりかなり年上だぞ。ケイゴを使えよ」


 男は、不意に真顔になった。


 猛烈な悪寒が背筋を駆け抜けて、オラクはとっさに飛び退こうとした。

 寸前、かすかな衝撃が走って、目の前に夜の空が広がった。


 上を向いている? なぜ?


 何が起きたのか、とっさに分からない。下半身に灼熱があった。

 足もとを見る。


 両足が喪失していた。オラクは地面に仰向けに倒れていた。

 ドクドクと、冗談みたいな勢いで赤いものが流れ出している。


 視界の向こうに、二本の肉のかたまりが立っていた。太い杭のような肉だ。

 彼自身の、鍛えられた両足だった。

 それが湿った音を立てて倒れた。


 土にまみれながら、オラクは夢見心地で、視線を上げた。

 蒼月を背負って、剣を振り上げている男がいた。それは、おおよそ現実味のない光景だった。


 何だ。何が起きようとしている?


 光沢のない白い剣が、月の光をまとってかすかな燐光を放った。風を置き去りにする速さで、一直線に振り下ろされた。

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