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3-10

 暗い地の底に、それはひそんでいた。


 毒の気が立ち込める一室。床も天井も四方の壁も、全てが黒いグライン材であり、ぎゅっと押しつぶされそうなせま苦しい空間だ。

 遠くの方から、うめき声がいくつも重なって聞こえてくる。

 感情のこもらない無機質な声。


 二つの人影が向かい合っていた。

 老人と少女。

 少女は、石の床に尻をつけてだらしなく座り込んでおり、老人はそれに対してうやうやしくひざまずいている。


「今、最後の眷属が失われたようだわ」


 少女がおかしそうに笑った。

 若い女だ。見た感じ十歳前後の、美しい少女だった。


 彼女は明らかに浮いていた。壊れ物のような華奢な肢体に、中が透けて見えるほどの薄布を一枚羽織っただけの無防備な格好であり、それと武骨な部屋とのミスマッチが、彼女を、よりあやしく、美しく浮き上がらせて見せている。


 真っ赤な髪を、床まで長く垂らしており、瞳はそれ以上に赤かった。


「絶体絶命ね、ビジャラン。どうかしら? 羽虫のように弱いはずの存在に、じわじわ追いつめられてゆく感覚は。お前のことも、もうばれてるかもよ?」


 老人が面を上げた。彼の眼も、当然のように赤い。


「私は、今のところ問題ありません。地上の人間たちから信頼が厚く、地位も持つ男の肉体を選びましたゆえ」

「そう。だけど、私の存在は間違いなく知られてるわよ。ここまで、眷属を狙い撃ちにされるんだもの。この場所のことも、もしかしたら」


 嬉々として自らの窮地を語る少女とは対照的に、ビジャランと呼ばれた老人は、あくまで冷静に首を振った。


「いえ、それもおそらくは。ここを知られているのならば、やつらは大々的に討伐隊を組んでやってくるはずです。地上人たちは、今やここにはめったに立ち入らなくなりました。数年の工作が実を結んでいるようです」

「そう。つまらない」

「お戯れを」

「それにしてもお前、やっぱり仕事熱心なやつよね」


 軽やかに笑う少女。

 一方、ビジャランの表情は硬い。


 彼らは、地上の人間から魔族と呼ばれる、強力無比な種族だ。

 本来、こんなふうに追い立てられて逃げ隠れしなければならない存在ではない。彼らは、地上に進出してから何百年も、地上人の飼い主であり捕食者であり、絶対者であった。


 しかし、それも今は昔。


 百年と少し前。

 地上人がこの地に住んでいた三柱の神から力を得て、国家なる共同体を打ち立て、反旗を翻してからというもの、地上における赤目の種族の力は確実に削られる一方。


 そして八年前、彼らはとうとう地上から駆逐されてしまった。


 かろうじて生き延びたビジャランとて、種族の再起を誓ったものの、地上人の肉体を使ってその社会に忍び込み、いつ正体を悟られるか知れない焦燥に神経をすり減らしながら、終わりの見えない工作を続ける日々だ。


 過去の栄華と、現在の悲惨な状況を考えると、明るくいられるわけがない。

 むしろ、笑っていられる少女の方が、異常なのだった。


 そして、そういうことを全て知ったうえで、少女は嗜虐的な笑みを浮かべる。


「だけど、お前がどれだけ頑張って時流を作っても、それに逆らうひねくれものは、必ずいるでしょう。少し前、戯れに冒険者協会とやらをのぞいてみたら、変な女にからまれたわ。迷宮探索をしないかって」


 ビジャランはぎょっと目を見張った。


「そ、そんな、うかつな」

「お前が私を退屈させるのが悪いのよ。ここ、何もないんだから」


 少女は屈託なく笑う。それだけで、ビジャランはもう何も言えない。

 見た目はほんの子供のくせに、仕草の端々に有無を言わせない圧力があった。


「それで、どうするの?」

「そういった冒険者への対処も、考えております」

「ふうん。雑な手を打って、逆効果にならないといいんだけど」

「ご安心ください」


 不意に、少女の笑みが深くなった。

 それは、これまでのものとはまるで意味の異なる攻撃的な笑みだった。


 部屋の中の空気が、がらりと変わった。ビジャランの肩が大きくゆれた。ずっと続いていたうめき声が止まる。瘴気がおびえたように渦巻いた。


「安心するのは、誰なんだ?」


 彼女はついっと立ち上がり、裸足でペタペタ歩いてゆき、ひざまずいたままのビジャランの肩に手をかけた。

 軽く置いただけのそれが、彼の骨を大きくきしませた。


 ビジャランは顔も上げられず、ひたすら歯を食いしばって耐える。それはほんのわずかな間だけだったが、彼には永劫の時間にも思えた。


 少女は肩から手を離し、ビジャランの顎を持ち上げた。


「お前だろう?」

「も、申し訳ございません……」

「よくないな。己の願望を、さも当然のように私に投影するなよ」

「は、はっ。申し訳、」

「そんなにおびえるなよ。傷つくだろう?」


 大きくふるえるビジャランを、少女はようやく解放した。

 息を切らしてうつむく彼を、軽く叩いて、笑いをふくんだ声をかける。


「とはいえ、同族の願いを肩代わりしてやるのも私の務めか。ただでさえ、老いたその肩には重すぎる務めを、背負い込んでるようだし」

「……」

「お前がまだあがきたいなら、そうすればいい。どんな結末になろうとも、私がこの目で最後まで見とどけてあげるわ」

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