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3-5

 ものすごく雑な理由で拒絶されたイスリスは、さすがにひどく落ち込んだようで、自分の無体を重ねて丁寧に謝罪した後、名残り惜しそうに去っていった。


 それですんだのは、実は彼女にとって幸運だった。

 危うく死ぬところだったのだ。


 他人の服の中にいきなり手を入れようとするなど、毒を仕込むつもり以外に考えられないというのが、ユウマの主張である。

 とっさにラが止めなければ、イスリスの首は飛んでいたに違いなかった。


「なんで止めたんだ?」


 宿に戻ってから、ユウマは聞いてみた。

 あんな妙ちきりんな女、あの場で殺してしまった方がよかったのでは?


 ラはあきれたように言った。


『お前、今日一日都市を歩いて、気づかなかったか? そこかしこで、言い争いや殴り合いが頻発していた。しかしその中のいずれも、殺しにはならなかった』

「だから何だよ?」

『ここでは人殺しは大事ってことだよ。頭を切り替えろよ、ユウマ。この土地では、人が人を殺すのは、どうやら禁忌なんだ』


 ラの言うことは、ユウマにはあまりよく理解できなかった。

 人間とは、誰かを殺さなければ生きていけない、そういうもののはずである。


 彼の故郷では、人が人を殺すのは日常風景だった。

 氏族間の戦いだけではなく、氏族内でのちょっとしたじゃれ合いが白熱して、そのまま命のやり取りとなるのも、めずらしいことではなかった。

 彼らにとって命とは、それが己のものであれ他人のものであれ、生きるために消費するものでしかなかった。


 それが、この地では事情がまるで違うらしい。


『この地には、どうして何万という人間がいるのか。どうしてこれほど巨大な建造物を建てられるほど、発展したのか。ずっと考えていた。

 それは、戦わない人間がいるからだ。戦わない人間が多くいて、そういう人間を守り、活かそうとする仕組みがあるからだ。

 そうやって形成されたのが、国というこの集団なのだ。

 ユウマ、この在り方には敬意を払うべきだ。

 私は少し感動している。こいつらは、個で見れば驚くべきひ弱さだが、全体として見れば、私たちよりよほど強いのかもしれないぞ』


 ラは、いかにもロマンチストなことを言った。

 一方、そんな情緒などかけらも解さない野蛮な男は、大いに首を傾げている。


「そうかなあ? 一通り見て回ったけど、大して戦えそうなやつもいないようだし、俺たちがその気になれば、簡単に全員ぶっ殺せると思うけども」



 と、大言壮語を吐いた男は、その三日後、宿の部屋で途方に暮れていた。

 アーリィに渡された金が尽きたのだ。


 未知の遊びを体験してしまったせいだった。

 それは全く楽しくないくせに、なぜかやめ時が分からず、いつの間にか手もとから金が消えているという、とんでもない遊びだった。

 つまりギャンブルだ。

 都市を適当に徘徊していたところ、あやしい客引きに捕まって、訳も分からずほいほいついて行ってカモられたのだ。


「何が何だか、よく分からない体験をしてしまった」

『お前なあ』


 ラは、前足で器用に頭を抱えている。


 彼ら二人は、しばらく別行動していたのである。

 ユウマが、アーリィから与えられた金銭を握りしめて、後先考えず、欲望のおもむくままに行動している間、ラは、数冊の書とともに部屋にこもっていた。

 この地で使われている、文字とやらを習得するためだった。


「どうしよう?」


 さすがにユウマも反省していた。

 この国では、たいてい何をするにしても『金』という乳白色のピカピカしたものが必要になる。それを持たない者はひどく生きにくいのだ。

 三日の間に何となくそれを把握していた。


「アーリィは、まだ帰って来ないのかな?」

『来ないな。来たとして、また金をせびるのか。今後、この国で生きていくのに必要な物資の全てを、あいつに頼るのか?』

「それは確かにまずいな……」


 物資の調達を一人に依存すれば、その一人がいなくなったとたん干上がってしまう。

 ちょうど今そうなっているように。


「仕方ない。なるべく俺たちでどうにかする方法を考えよう。まあ、大したことはない。なくすのが簡単だったんだから、手に入れるのもそんなに難しくないだろう。俺たち二人が生きていくだけなら、どうにでもなるさ」



 どうにもならなかった。

 彼らが文無しになって、五日が過ぎた。


 初めユウマは、ないものはあるところから持ってくればよいという蛮族的思考にのっとって、彼の知る金銭を持っていそうな施設、つまり賭博場へ押し込み、存分に略奪することを考えたが、それは、書物からいち早くイェルシェドの価値観を習得していたラに、止められた。


 この地では、殺人だけでなく略奪も禁じられているらしい。


 それは、やはりユウマにはよく理解できない価値観だったが、幸い彼は自分が異邦人であることを知っており、また、可能な限りこの地の慣習を尊重しようという意思を持っていた。


 続けて彼は、彼の知る唯一の食糧調達、狩猟に取り掛かろうとしたが、近隣の獣の生息地が分からず、また、狩猟をするのにも、一定額の金品を神殿に納める必要があることが判明したため、これも断念せざるを得なかった。


 ならばどうするのか。


 ユウマはしばらく考えて、自分にできることはもう何もないことを知った。

 はっきり言って彼は都市での生活力にどうしようもなく欠けていた。


 もはや物資の調達先の問題とかどうでもよくなってしまい、アーリィが帰ってくるのを待つことにしたのだが、そうやってだらだらしている間に五日が過ぎており、ぼんやりと餓死する未来が見えてきたのだった。


 ほとんど不死身に近いクドの氏族だが、お手軽に死ぬ手段がないことはない。

 それは餓死であり、窒息死である。


 ベッドの上でぐったりと、ユウマはつぶやいた。


「えらいことになった」

『当たり前だ。ここは、私たちにとって初めての土地なんだぞ。お前は、最初から気楽すぎたんだよ。せっかくアーリィという味方も手に入れて、順調なすべり出しだったのに、お前が愚かすぎて、全部台無しじゃないか』

「これが、ミラの試練か。なんて恐ろしいんだ」

『お前、ほんといい加減にしろよ』


 ラは、ユウマの枕もとでしょんぼりしている。

 耳を伏せて情けなさそうにする獣を、ユウマは虚ろに見つめた。


「お前が、肉に見えてきた」

『や、やめろよ』

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