3-1
メドヴェの遺跡を脱出してから、月が巡るほどの旅路を経て、ユウマたちはイェルシェドの要塞都市ランセットを臨んだ。
真っ赤な夕焼けをバックにして、黒いシルエットになった巨大な建造物群が、浮かび上がってきた。
都市を一望できる丘の上。ユウマは呆然として、その威容をながめた。
「何だあれ……」
「ランセット市です」
「あのかたまりに、人が住んでるのか。人が住むだけなのに、なんであんな巨大なかたまりが必要なんだろう?」
「それは、住む人の数が多いからかと」
「人、何人くらいいるの?」
「壁の外に広がる町もふくめれば、二万人に満たない程度でしょうか。もっとも、かなりの速度で増えておりますので、正確には不明ですが……」
ランセット市は、魔族との大戦末期に、人間側が東部における前線基地として使用した要塞都市だったのだと、アーリィは語った。
それが今では、東部の探索と開拓のための最前拠点として使われているらしい。
そのための人材が、全国から集まってくるのだ。もともとあった都市の壁外に、急造の街並みが広がっているのは、そういうことらしい。
それにしても、二万人とは。ユウマには想像もできない数だった。
彼にとって、人の暮らす住居とは、荒野に掘っ建てられた天幕のことである。
雨の降らないクド高原で、農耕文化も持たず、常に食料と敵を求めて移動する彼らの住居は、それ以外にはあり得なかった。
それがいきなり、二万人が住む石造りの建造物群である。
その衝撃は並大抵のものではなかった。
「二万のうち、お前と同程度か、それ以上に戦えるやつは、どのくらいいる?」
突然不可解な質問をされて、アーリィはこてんと首を傾げた。
「それは、どうでしょうか」
「お前の他に、魔導士はいるのか?」
「あ、それは。申し訳ありません。魔導士の所在は、国家の機密事項になっておりまして、申し上げられないのです」
「なら、魔導士以外で戦力は?」
「神殿の兵。あとは、冒険者くらいでしょうか」
「それぞれ、どのくらいいる?」
「あのう、これは、何をお聞きになっているのでしょう?」
「念のためだから、大丈夫だよ」
ユウマは意味不明なことを言って、アーリィに答えをうながした。彼女はやや不安そうにしながらも、いたって素直である。
「兵士は、この都市に百名少しでしょうか。冒険者は日ごとに増えて、数えきれないほどおりますが、ほとんど戦う力を持ちません。が、危険域の探索で功績を上げているギルドも、五つほどあります。彼らと競えば、私も大変な思いをするでしょう」
「ギルド?」
「人数でいうと、こちらも百人程度でしょうか」
「ふむ。……」
つまり、あの集落の戦力としては、多く見積もった場合、アーリィ並、もしくはそれ以上の戦力が二百人。それより少し劣る戦力が一九八〇〇人であると考えられる。
あれを落とすには策を練った方がいいだろう。
総人口と総戦力を等しく考えて計算するのは、彼の民族性上仕方のないことであり、初めて訪れた集落を目にしてまず考えることが、攻め落とす方法であるというのも、仕方のないことなのである。
べつに実行する気はない。
その気がなくても考えておくと安心できる、生活習慣病のようなものである。
アーリィから、何とか都市の有力な人間の情報を得たうえで彼女を始末し、ラを都市に侵入させて有力者を殺していく。
警戒が高まって動きが取りづらくなれば、外から俺が攻めて内ではラが暴れ回る。
二面作戦でどこまでやれるかな?
壁外に広がる雑多な街。
通りを二つほど中に入って、人の気配がなくなった一画に、宿屋があった。アーリィはそこを常宿にしているらしい。
ユウマたちと彼女で一室を取る。
部屋に入ったアーリィは、扉に鍵をかけ、窓を閉め、万が一にも風で開かないよう、ついたてをして、照明に火をつけた。
人の目を完璧に追い出して、ようやく安心したように、フードを取って真っ白い素顔を露わにした。
「お前、誰かからか隠れてるのか?」
ほっと息をついている彼女を見て、ユウマはいぶかった。
「そういうわけではないのですが、私の姿を世間にさらしてしまうと、あまりよい結果を生まないのです」
「よく分からんことを言うね」
「私は、この国では、少し、特別な存在なのです」
何となく、アーリィはそれ以上言いたくなさそうにした。
もともと、大して気になって聞いたわけではない。ユウマもそれ以上は問い詰めなかった。
ただ、なじみのある物が何もない部屋に押し込まれ、その上閉め切られてしまったので、落ち着かないだけの話だ。
硬い壁で区切られたせまい空間にいるだけで、息が詰まりそうになる。かろうして寝台と分かるものに腰をかけるが、異様な柔らかさだった。
ラが、ユウマの懐から飛び出してきて、彼の心をそのまま代弁した。
『落ち着かない』
「すみません。別の部屋にした方がよかったでしょうか」
『そうではない。風の音の聞こえない場所というのが、どうもな。まあ仕方ない。この地の人間はこういう家に住むんだろう。慣れるよ』
「恐れ入ります」
アーリィは外套を脱いでたたみ、ベッドに腰をかけた。
「お二人は、この先どうなさるのですか?」
「どうもしない。とりあえず、この場所で生きるだけかな。お前は?」
「私は、国に仕える身です。次の聖務に就くでしょう」
「ふーん」
ユウマは寝台に寝そべった。ラがその腹の上でちんまりと丸まる。
アーリィは二人の様子を横目でうかがっている。
「ユウマ様、ラ様。もし、よろしければ、今しばらく私と、」
彼女はそこで言葉を切り、喉を上下させた。
「お二人との旅は、大変心おどるものでした。どうやら私は、お二人と離れがたく感じているようなのです。……いかがでしょう。今後しばらくの間、この部屋で暮らしていただくことは可能でしょうか?」
アーリィは、一心にユウマを見つめている。
ユウマは、ラをちらりと確認した。
ラは目を閉じたままである。しかし、耳をピンと立てて興味津々の様子であり、何を望んでいるかは明らかだった。
「いいよ。いつまでかは分からないけど、しばらくなら。俺たちも、この地に慣れてる人間がそばにいてくれると、助かるしね」
アーリィは、何度かこくこくうなずいた。
あいかわらず気の抜けた無表情で、ユウマとラをぼーっと交互に見つめ、意味なく立ち上がり、またすぐに腰を下ろした。
無駄にきょろきょろした後、もう一度立ち上がり、今度は頭を下げた。
「よろしくお願いします」
『ふん。とはいえ、不要と思えば、私たちは容赦なく去るからな。せいぜい役に立てるように気張るんだな』
しっぽを振りながら、ラはえらそうな軽口を叩いた。
アーリィは本気にしたらしい。神妙な面持ちでうなずいている。
「見捨てられぬよう、励みます」
彼女は、さっそく役に立とうというように、食事を持って来ると言い出した。旅の携帯食ではなく、きちんとしたものを用意したいらしい。
「お酒も飲みたい」
『甘いものも、できれば頼む』
そして遠慮というものを知らない二人は、だらしなく寝そべったまま、ずうずうしい要求をしている。
アーリィは嫌な顔一つせず了承し、しっかり外套を着こんでフードもかぶり、心のつかえが取れたような軽い足取りで部屋を出て行った。
柔らかそうな白パンと、湯気の立つ肉のかたまり、クリスタルの瓶に杯を二つ、色彩豊かな果物を持って、アーリィは戻ってきた。
香辛料の香りが食欲をそそる。
テーブルに並べて、それでは、ということになった。
杯が二つあるので、アーリィも飲むのかと思いきや、彼女は一度唇を湿らせただけでぶるりと体をふるわせて、杯を置いた。
「苦い。のですね」
心なしか涙ぐんでいるようで、あとは手に取ろうともしなかった。
ユウマも一口飲む。複雑で豊かな味わいが広がって、強烈な熱が喉を焼いた。
鼻から頭まで突き抜ける感覚。乳酒しか飲んだことのない彼にとって異次元のアルコールであり、大変おいしい。いっぺんに気に入った。
ラは、果物をがつがつ飲み込んでいる。
『うまい。旅の途中にも思ったが、お前の用意する食べ物は刺激が強いな。やけに塩気がきいていたり、濃厚な甘さがあったり。癖になってしまう味だ』
「あれは、保存食でしたから」
『いや、これも甘くてうまいぞ。止まらない』
「お酒もおいしい」
「お口に合ったようで、幸いです」
アーリィ自身は何も口にせず、行儀悪く食べこぼす二人の世話をせっせと焼くだけで、表情はやはりぴくとも動かないが、何となく幸せそうにも見える。




