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2-8

 そしてそのとたん、地面が揺れた。

 激しい揺れだった。三人とも立っていられず、その場に投げ出された。


『何だ今のは!』


 ラが悲鳴を上げた。


「人の眼球と口に見えたな。びっくりするくらい大きな口だった」

『言ってる場合か。何が起きている!』

「地面が揺れてるな」

『そんなことは分かってる!』

「なら、なんで聞く」


 揺れは収まらず、むしろますます激しくなる。一切の明かりのない闇の中では、立ち上がることすらできない。


 ユウマが再び光源を放った。空気のことを気にしない、激しく燃える光源だった。空間が明るく照らされた。


 無数の目も巨大な口も、すでに消えていた。


 代わりに、岩盤全体が激しく蠕動していた。

 床だけではない、天井も、壁もだ。その場に存在するもの全てを、奥へ奥へと引きずり込もうというように、硬いはずの岩のかたまりが、不気味に波を打っている。


 散りばめられた骨が、粉砕されながら奥へ運ばれてゆく。ただの骨も、抵抗しようと身をくねらせる屍人も、全てが等しく飲み込まれていった。


「目を疑う光景だな」


 ユウマは波打つ床に片手をついたまま、腰の短剣を引き抜き、突き刺した。何の意味もなさなかった。蠕動運動に巻き込まれて、抜け落ちた。


 その、開けられた穴から、粘性のある透明な液体がしみ出してきた。いや、穴からだけではない。彼らを取り囲む岩壁全体から、液体がしたたり落ちてきた。


 試しに触れた指先に激しい痛みを感じ、ユウマは手を引いた。その一瞬で肉が溶け落ち、指の骨が露出していた。


「ラ、来い!」


 ユウマはとっさに自らの懐をくつろげ、叫んだ。阿吽の呼吸で、ラが体を小さくしてその中に飛び込んできた。

 あと、もう一人。


「アーリィ、液体に触れるなよ!」


 視線を巡らせたユウマは、宙に浮かんで、岩壁の運動から逃れている彼女を発見した。正確には、宙に浮かぶ黒曜の櫂に腰かける彼女の姿を。


「ユウマ様、手を」


 アーリィは、地を這うユウマに手を伸ばす。二人の手が重なった。

 強引に、彼女はユウマの肉体を引き上げた。華奢に見えて、彼女の体は鍛えられていた。


「助かる」

「いえ、遅滞なく明かりを灯してくださればこそでした。天井からしたたり落ちてくる粘液にお気をつけください。王水です」

「オウスイ」

「触れると、生命を構成しているマナが奪われます。全身つかれば、人程度の大きさであれば瞬きの間に骨となります。あれを」


 アーリィの指さす方を見ると、床上に溜まりつつある粘液は、動きを見せないただの白骨には何の影響も及ぼさず、のたうち回る屍人だけをものすごい速さで浸食していた。

 そこかしこで、屍人が粘液にぬれて、ただの白骨と化し、砕かれ混ぜ合わされていった。


「すごいな」


 その懐から、ラが顔を出した。


『指は無事か?』

「ああ、うん。もう治った」

『そうか。……しかし、外界はつくづくとんでもないところだな。炎を伝達する植物から始まって、動く死体、無数の目玉と巨大な口、踊り狂う岩肌、あげくの果てに《炎の手》の肉体を溶かす液体とは。さすがにうんざりだ』

「まあだけど、アーリィのおかげで楽に突破できそうだね。どうする。いつの間にやらかなり奥まで運ばれてしまったみたいだけど、撤退するのか?」


 ユウマは、彼女を振り返って言った。


「常は一人で乗っているので、他の誰かを乗せて飛び回るというのは、あまり慣れてはいないのですが……」


 答えるアーリィの額には、汗が浮かんでいる。


「この広間を、抜けるくらいのことはできるでしょう。撤退しましょう」


 三人を乗せた黒曜は、ゆるやかに宙をすべり出し、やがてスピードに乗って風を切った。揺れは全くなく、快適な乗り心地である。



 やがて遠くに出口が見えてきた。

 同時に、ラがユウマの懐から飛び出し、するどい警告を発した。


『見られているぞ』

「また目か」

『出口の上だ。現れるぞ!』


 そこから、今度は巨大な顔貌が浮かび上がってきた。先ほどの目と口の主だ。

 視線を一身に受けたユウマは、直感した。顔は、やはり憎しみを込めてユウマをにらみつけている。大きく口を開けて、何かを叫んだ。


 地鳴りが大きくなった。

 床に溜まっていた王水が、意思を持って大きくうねる。重力のくびきから解き放たれ、粘液が一本の触腕となって、持ち上がる。


 中空でしなりを込めて、ユウマたちに襲いかかってきた。


「アーリィ、このまま止まるなよ」


 ユウマが腕を一振り。触腕の攻撃を防ぐように、炎の壁が立ち上がった。


 衝突する。

 触腕が炎の中で大きく膨れ上がり、四散した。一滴残さず蒸発し、同時に炎の壁も幻だったかのように消失した。


「こんな程度かな?」


 そうではなかった。

 巨大な顔がうごめき、ぐ、ぐぐぐ、とさらに浮かび上がった。岩肌からゆっくりと分離してゆく。


 完全に独立した一個の個体となって、巨顔は再び絶叫した。

 岩壁からしみ出す王水の勢いが強くなった。雨のように降り始めたそれが、空中で再び融合して、今度は三匹の大蛇となって黒曜を囲んだ。


 これは、防げない。とっさに、アーリィは黒曜を止めようとした。


 しかし、


「止めるなよ」


 その声に、スピードを保った。


 背後から、ユウマの手がアーリィの肩をつかんだ。


「回避も迎撃も考えなくていい。目を閉じて耳をふさぎ、ただまっすぐ行け。俺を信じろ。敵は必ず殺してやる。俺もお前を信じる。ここから連れ出してくれるな?」


 アーリィは体を強張らせていたが、やがてうなずいた。


「お任せください」


 巨顔が、跳ねるように襲いかかってきた。大きく口を開けて、三人を一飲みにせんと迫ってくる。三匹の蛇も空中で一度身を縮め、もとに戻る勢いのままに飛びかかってきた。


 一つでも防ぎきれなければ、終わりだ。それは三人の死を意味する。


「ラ! 顔を一瞬!」


 止めろ、と、ユウマは言った。


『無茶ぶりを』


 言いつつ、ラは前に出た。

 瞬時に巨獣に変異して、地下の空間全てを揺るがすような咆哮を放った。声は大気のゆがみとなり、一直線に巨大な顔にぶつかった。


 無形のエネルギーがその鼻面で爆発する。すさまじい衝撃が放射状に広がった。


 顔面にビシッと小さな亀裂が走り、それは空中でバランスを崩した。


 そこに、ユウマが立ちふさがる。背後は火の海だ。

 飛びかかってきた王水の蛇は、すでに燃やしつくされ、影も形もない。


 ユウマは短剣を抜き、振りかぶった。投擲する。

 破裂音を発して飛んだそれは、ラが作った顔面の亀裂に吸い込まれた。

 ユウマはアーリィに覆いかぶさり、こぶしを開いた。


「はじけろ」


 亀裂の中で、短剣が、内包していたエネルギーを一気に解放した。

 巨大な顔を木っ端みじんに粉砕し、爆炎が岩壁に囲まれた空間いっぱいに広がった。ラの咆哮の衝撃で、もろくなっていた岩盤が、今度こそ崩落してゆく。


 その中を、三人を乗せた黒曜が突っ切った。

 出口はすぐそこだった。

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