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BB  作者: 浅見カフカ
ハルドゥの悪魔篇

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9/19

ゼンメル

「おはようございます。どうしたんですか、こんなに早くに」

小麦粉で白くなった前掛けを巻いたゼンが、店の奥から出て来た。

「おはよう、ゼン。昨日の話だと、ランス伯はこの店のパンを食べているんだよな」

「ええ、もちろんです。当店をご贔屓にしてくださっていますよ」

ゼンは誇らしげに少し胸を逸らした。

「納品に行くのか?」

「いいえ、遣いの方が引き取りに来るんです」そう言うと「そろそろ来る頃ですね」と、大きなガラス窓の外を見た。

釣られて外に目を向けると、キッシャーが荷車を停めるところだった。

マルシェで仕入れたのだろう、多くの食材が荷台の上に載せられていた。

「おはようございます。伯爵様のパンを受け取りに来ました」

キッシャーの声は、先日よりずっとやつれて聞こえた。

「おはよう、キッシャー。こんな仕事までしているなんて大変だな」

私がそう声を掛けると「妻の仕事だったのですが、戻るまでは私が代わりに」とキッシャーは答えた。

戻るまでは——

私はそんなキッシャーに掛ける言葉を持ち合わせていなかった。

ゼンもそうだったのだろう。

「ささ、たった今焼き上がったパンですよ」一度厨房に戻ると、両手に抱えるようにトレーを持って現れた。その声は努めて明るく「お二人とも、ぜひ試食してくださいな」とニスを塗ったように艶やかで、小さなパンを差し出した。

「ゼンメルに似てるな」

千切ってみると、湯気と共にバターの香りが鼻腔を満たした。

「ランス伯はこんなに美味いパンを、毎日食べているのか!」

ひと口含むとバターだけではなく、ミルクとタマゴの風味が舌に沁みるように広がっていった。

私が普段口にしている、スープに浸さなければ歯が折れそうな石パンとは随分な差だった。

キッシャーも「美味しいです」と頬を緩ませた。

(ああ、この男もこんな表情が出来るのか)その瞬間だけ、年相応の瑞々《みずみず》しさを感じた。

「マルシェにはエバは店を出していたか?」

「ええ。でも今は仕入れが難しいのか良い物が無いので、伯爵様用の品は買えませんでした。私用のリンゴをひとつだけ」

「そうか、キッシャーは優しいな」

確かにあれだけ金が無ければ、ロクな仕入れも出来ないだろう。

「いいえ、彼女の幸運にあやかりたかっただけです」

そう言ってポケットの丸い膨らみに手を遣った。

「あとは戻るだけか?」

「はい、戻って厨房に運びます」

「よし、私が荷車を押そう。引き止めたお詫びだ」

「そんな、ダメですよ。申し訳ない」

「気にするな。それにまた歩きながら話を聞かせてくれ」

私はそう言うと「ゼン、パンをありがとう」と手を挙げて店を出た。


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