九時
「そうか、ベスとはランス伯のところで出会ったのか」
「はい。私は十歳の頃から下働きとしてお仕えしていました。ベスは十四歳くらいの頃からだったと思います。よその土地から来たベスは、仕事以外にも色々と苦労をしているようでした」
「風習も慣習も違うと苦労するよな」
「夏が苦手でしたね。故郷と比べてジメジメすると嘆いていました。私とは歳が近い事もあって、そういった困り事を相談してくれるようになって——」
「親しくなった、と」
キッシャーの顔は見えなかったが、少し照れているようにも、嬉しそうにも見える背中だった。
「そうして半年前に結婚をして、ランス伯からは荘園の農場を二人で任されるようになったのです」
「そうか、二人とも長く勤めて信頼されていたのだな」
饒舌だったキッシャーだったが、塞ぎ込むように無言になった。
心なしか荷車が重たくなった。
「大丈夫か?」
「すみません、少し思い出してしまって」鼻をすする音が声に混じって聞こえた。
「ここでもう大丈夫です。ありがとうございました」
荘園の入口で荷車を止めると、キッシャーは振り向いて頭を下げた。
「中まで押すよ」
高い塀で囲まれた荘園を覗き見て言った。
「いえ、ここから先は——」
「そうか、そうだよな。誰もかれも自由に出入りしてたら良くないよな。それに私は帯刀もしてるしな」
私はそう言ってキッシャーが負担に思わないよう、笑いかけた。それにそろそろ魔術師ギルドに行った方が良いかもしれない。
「じゃぁ」そう言って私は魔術師ギルドへと足を向けた。
中央広場へ戻り、放射状に伸びる馬車道からギルドへ続く通りを向くと、奥に大きな時計が見えた。
魔術師ギルドの大時計だ。時刻は約束の五分前だった。
「マズい!」
私は人混みを縫うように駆け出すと、放射道路の行き止まりにある魔術師ギルドを目指した。
足には自信があったが、これは絶望的な距離だ。馬車でもあれば飛び付くのに、この時間は何処にも見つからなかった。
ギルドに指定された時間は絶対だ。その上、気難しい気位の高い魔術師が相手だ。一分一秒でも待たせたとあれば、依頼なんて受けてはもらえない。息を切らせながら道行く人達を追い抜いた。途中、ぞろぞろしたローブを着たのは魔術師だろうか。ストローを差したカップを片手に、優雅に歩いていた。
汗が入る目をしばたたかせて見た時計は、無情にも長針が頂点を差した瞬間だった。
「ああ」
声が漏れ、口の中に不愉快な血の生臭みを覚えた。
脱力しかけた脚を叩いてギルドの扉を軋ませたのは、二分の刻が進んだ後だった。




