エバ
「ここだ 」
ゼンが足を止めた家は、一際粗末な家だった。崩れた壁には割れた瓶や壊れた桶を無造作に積み重ねてあり、その隙間を藁を混ぜた泥を塗って塞いでいた。
「男手は無いのか?」
「エバの夫は前の紛争で戦死したんだ」
「そうか。ここはランス伯の領地だったな」
私は戦下手のランス伯という悪名を思い出していた。先程の井戸端の女たちの話題にも上っていた。
「先代は戦上手、勇猛果敢のランスと国中に名を轟かせていたのですが」
ゼンは明らかな失望の色を隠さずにそう言った。
「あのう......ウチに何か御用でしたか?」
振り向くと、擦り切れたボロ布を被った、とても服とは呼べないものを着た女が怯えるように立っていた。
「お金でしたら月内には必ず——」
「ああ、違うんだ。済まない、家の入口で立ち話なんか」
私がそう言うと女は息を吐いて安堵の表情を見せた。
「そうでしたか。それでは」
そう言って私とゼンの間を通ろうとする女の手首を掴んだ。
「アンタがエバだろ。借金取りじゃないが、アンタに用がある」
エバの顔に再び怯えが戻った。
瞳孔が開き額に汗を滲ませ、血の気が一瞬で引いていった。
「大丈夫、怖がらないで。俺は自警団のゼン。この人は自警団が雇った冒険者のボニータだ。ハルドゥの悪魔事件について調べている。協力して欲しい」
冒険者ではないのだが、ゼンのお陰でエバの表情が再び和らいでくれた。以前旅を共にした相棒にも言われたことがあるが、私は時々怖いらしい。
「エバ、カインが行方不明になった日のことを教えて欲しい」
私は努めて、親しみやすい笑顔を絶やさずに話し掛けた。
「二ヶ月前のマルシェが終わった頃です。あの子が姿を消したのは」
「朝なのか?夕暮れや、夜ではなくて」
「はい。店先の路上で遊んでいたカインを、人混みの中に見失いました。でもそれはいつもの事ですし、その時は気にも止めていませんでした」
エバはそれを悔いるように瞳を伏せた。よく見ると整った横顔だった。見た目よりもずっと年若いのだろう。深く刻まれた皺と、日焼けと垢のせいで老女にも見えた。
「誰にも未来のことなんて分からないさ」
陳腐だが、最もこの場に相応しい言葉だと思った。
「一通り店の物を売り切ったので、店をた畳もうとしました。いつものようにカインに手伝ってもらおうと姿を探したのですが——」
「どこにも居なかったのですね」
ゼンが言葉を引き継いで、エバがそれに頷いた。
「カインの悲鳴や物音、見慣れない人間とか、何か気になったことはなかったか?」
私のそれらの問い掛けに、エバは首を振って答えた。
「戻ってきたカインの様子はどうだ?以前との違いとか」
「何もかも——姿形はカインそのものですが、それだけなんです。あの人の形見にすら何の反応もしないんです。ハルドゥがあの子の魂だけを抜いてしまった」
最後は消え入りそうな震え声だった。
「最後に、カインに合わせてくれないか」
「中にいます。明るいところを嫌がるんです」
エバはそう言ってドアの代わりに下げられた、分厚い布をめくった。




