普通の日常
「地獄の沙汰も金次第なら、現実世界は尚更よね」
ブレアはそう言うと、何が可笑しいのか小さく笑った。
「修道士の作るワインよりも、手っ取り早い集金システムの完成か。これって他の派閥の連中は黙認か?」
「いいえ。それならきっと、他の派閥の神父が後任に来てるわよ。この街は辺境とはいかなくても、中央から遠いわ」
「そうだな。それなりに国境を接している訳だし」
私はカールから聞いたユーレウス渓谷を思い浮かべていた。あの場所が天然の要害でなければ、紛争の回数も規模はもっと多く激しいものだっただろう。
「ランス伯は、何を見返りにしていたのかしら?」
「そうだな。善人が私財を寄附するにしたって、天国での良い暮らしってのが下心だ。ランス伯に私心が無いなんてわけは無いな」
「ボニータ、後でお父様に先代の昔話を聞いてくるわ。そろそろ急いでお茶会の支度をしないといけないの」
ブレアはそう言うと、昨日淹れたハーブティーのポットや茶葉を箱につめ始めた。
「なぁ、昨日の今日で茶葉って乾燥するのか?」
私がそう言うと、ブレアは答えずに人差し指を立てた。そうして口の端を柔らかく上げて目を細めると、その指先に光球を宿らせて見せた。
「便利なもんだな、魔法ってのは」
「便利だから研究するのよ。おとぎ話の強大な魔法ばかりじゃ夢が無いわ」
「私としては、一撃で敵を屠ってくれる方に夢を見たいな」
「世の中は、普通を日常としている人の方が多いのよ。例えば、家事から水汲みが無くなるなんて女性の夢だと思わない?」
「いつでも好きな時に望む量の水か」
私は子供時代の井戸への水汲みを思い出した。そして「夢があるな」と答えると「でしょ」とブレアは嬉しそうに言った。
「それがお前のギルドでの研究か」
「それだけじゃないけどね。水って、制御が難しいの。いっそ洪水を起こす方が簡単なのよね」
「物騒だな」
思わず苦笑いを浮かべた私は「エバ達を見てくる。準備が出来たら呼んでくれ」と言って、部屋をでた。
石造りの階段に靴音を響かせて降りた。
少し涼しい空気が心地よかったが、同時に高めの湿度が煩わしくもあった。
(早くここから出してやらないとな)
事件の着地が見えないが、そうしてやりたい気持ちを強くした。カインの年頃なら外を走り回って当然なのだから。
足音気付いたのだろう。階段を見つめるエバと視線が合った。
「おはようございます。ボニータさん」
「おはよう、エバ。カインの様子はどうだい」
私がそう尋ねると、エバの背中に隠れたカインがこちらを覗くように顔を出した。
「おいおい、急に照れてるのかよ」
この数日で打ち解けたと思っていたのだが、母親に会ったせいで、私はよそのお姉さんに分類されたらしい。
「この子は昔から、綺麗な女性を見ると照れて隠れるんですよ」
エバは嬉しそうに背中を振り向いて言った。
「将来有望な美的センスだな」
私はそう言うと「これからゼンの店でパンを買ってくるから、少し待っててくれな」と続けて、カインの頭を撫でた。
照れたような困ったような、そんな表情で私を見上げるカインは年相応なあどけなさを取り戻したように見えた。
「出れるわよ」
階段の上からブレアの声が響いた。
私はその声に返事をすると、階段を駆け上ってブレアの元に向かった。
(普通の日常——か)
靴音が響く中、エバとカインにブレアの言葉を重ねていた。




