アデルの森
鬱蒼と繁る森は、秋の入口だと言うのに、未だ陽の光を遮っていた。
「半年前だと春先の話か」
私はそう独りごちて枝葉を見上げた。
真夏や残暑が厳しい今時期ならば、この涼しい森に来ようと思うだろうけど——
片膝を着いて地面に触れた。
湿り気を帯びてひんやりとした土は、良い土のように感じた。
なのに下草がほとんど生えていないのは、やはり陽射しのせいなのだろう。
だからこそ、香油の瓶が転がっていても見つかったのだろうが、この森に入る理由が見つからなかった。
不意に背中に気配を感じた。
いや、雑に近付く足音は葉ずれに紛れて聞こえていた。
私は片膝を着いたまま前に転がって距離を取ると、振り向きざまに腰のショートソードを抜いた。
その切っ先の向こうには、目を丸くして両手を振る、丸太のような腕の男が立っていた。
「待て待て、俺は木こりだ。ハルドゥの事件があった森で、アンタ何してるんだ」
「アンタこそ、そんな事件のあった森に一人で来るなんて、いくら木こりでもおかしいだろ」
私は切っ先も視線も真っ直ぐに向けたまま、そう言った。
「あれは若い女と子供だけを狙う悪魔だからな」
木こりはそう言うと、腰に提げた斧をゆっくりと外して遠くに放り投げた。
「アンタを信じる根拠は?」
「あの斧に俺の手は届かない」
木こりは、遠くの草むらに落ちた斧に視線を向けた。
「ああそうか、そうだった。済まなかった」
私もそう言って剣を下ろした。
「女房がな、怖がって外に出なくなってな。買い物どころか、洗濯物を干すのも俺がやってるんだ。若い女だけだって言っても聞かねぇんだ」
男がそう言って人懐っこく笑うものだから、私もつい釣られて笑ってしまった。
「ただ、アンタは若い女だ。こんな所に居ちゃいけない」
木こりは少し怖い顔をして、人差し指を私に向けた。
「そうはいかないんだ。酒場のマスターから依頼を受けてね」
私は立ち上がって土を払いながらそう言った。
「ああ、アンタがあの流れ者か。もう噂になってるよ」
「なら話が早いな。少し聞かせてくれないか」
私はそう言って協力を仰いだ。
「——そうか、クリスが香油の瓶を見つけたのか」
クリスが瓶を見つけたのは、ベスの行方が分からなくなってから三日後のことだった。
街中の人間が総出で探した翌日。
クリスが仕事でアデルの森に入ると、中身が入ったままの香油の瓶が転がっていた。
「ちょうどその辺りだよ」
クリスは、私が立っている辺りを指差した。
「ベスが香油を買って、他の礼拝者達よりも後から帰ったと聞いていたからピンと来てな」
「ピンと来て、その瓶は?」
「捜索の指揮を執ってた自警団に届けたよ」
このクリスという木こりの目に、嘘は無さそうに思えた。
「なぁ、このアデルの森は昔から曰く付きなのか?」
私にはこの清浄な空気と静謐が、悪魔なんてものと、どうしても結びつかなかった。
「バカな事を言わんでくれ。このアデルの森は土地の水源を守ってくれている有り難い森だ。そんな悪魔の巣のような話なんて全く無い」
クリスは声を荒らげて否定した。
「じゃぁハルドゥの悪魔ってのは?」
「それは昔話の悪魔の名前で、今回の事件になぞらえて、誰とはなく言い出したんだ」
「昔話?」
少し拍子抜けして私は聞き返した。
正直、本当の悪魔退治かと思っていた。
「女、子供を攫ってしまう悪魔なんだ。攫われてしまえばそのまま行方不明に。たとえ戻ってきても全ての記憶を失って、名前すらも言えなくなるんだ」
「クリス、さっき"なぞらえて"と言ったよな。戻ってきた奴が居るのか?」
「ああ、居るよ。ただ、昔話の通りだ」
「全ての記憶が......無い?」
クリスは答える代わりに深く頷いた。




