カールの話①
「あの日、ここの詰所に居たのは私とディックでした」
「ディックと言うのは?」
私の疑問にカールは一瞬首を傾げると「ああ、そうか」と独りごちた。そして「剣と羊亭のマスターですよ」と教えてくれた。
「そうか、そうだよな」マスターにだって名前くらいある。そんな当たり前の事を失念していた。そうして納得すると、少し可笑しくて笑った。
「大丈夫ですよ。マスターの名前を知らない人は大勢いますから」カールはそう言うと、私に合わせて笑ってくれた。
「ありがとう、カール。話の続きを、お願いしていいかな」
「はい。詰めていた私たちの所へ青年が駆け込んで来ました」
「それは——日中から夕方だな」
「どうして分かるのですか?」
カールは椅子から腰を浮かして目を丸くした。
「夜だとディックは店に出ているからな」
単純な種明かしに、カールは少し拍子抜けしたような表情を見せた。
「いやでも、だからこそか」
カールは身を乗り出すと、私の顔をじっと見詰めた。
「ボニータさん。貴女は当たり前の事を気付ける人のようです」
「どういう意味だ?」
「人は当たり前に気付かないものです。マスターにも名前があるとか」
カールはそう言うと口の端を上げて見せた。
「そして、当たり前に気付けた人だけが、新しい発見をするのです」
「そんなもんなのか?」
「そんなもんなのです」
カールは人懐っこい笑みを浮かべて、そしてすぐに口を引き結んだ。
「正午を告げる魔術師ギルドの時計の鐘が鳴って、間もなくでした」カールの声が少しだけ低くなった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ドンドンドンドン。
強いノックに揺れたドアを開けたのは、ディックでした。
遅れて私がドアの方を見た時には、怯えた顔の青年が、僅かに開いたドアの隙間から飛び込んで来るところでした。
「死んでる、死んでる!」
四つん這いに倒れ込んで彼はそう喚きました。
あまりに慌てていて要領を得ないので、私たちはピケット(薄めたワイン)を与えて落ち着くのを待ちました。
彼はひと呼吸もすることなく、幾度も喉仏を動かしながら一気に飲み干しました。
「ユーレウス渓谷の川の岩場に......多分、男だ。腹を裂かれた男の死体があったんだ」
「ユーレウス渓谷って、街から半日以上歩くぞ。お前、そこからどうやって——」
「馬だ、アデルの森まで馬で来た。そこからは走って来た」
その言葉に私は鼻白みました。
同じ疑いを持ったディックが「何故ここまで馬で来なかった?その馬は誰の馬だ?なぜお前はそこに居たんだ?」と、答える前に次々と質問を浴びせました。
青年の瞳に、怯えの色がハッキリと見て取れました。
「馬は連れの物で、その——」
「逢い引きか」
「あの渓谷は確かに人目は忍べますね」
「そこまでして人目を避けなくてはいけない相手ということか」
ディックはそう言うと、それ以上の詰問はやめた。
「ただ、場所へは案内させるぞ。そのうえで、必要ならば改めて馬の出どころと、相手の名を吐かせるからな」
ディックはそう言って青年を立たせると「ディックだ。お前さんの名前は?」と続けました。
「シムスです」青年はか細く疲れたように、そう答えました。
「シムス、馬を用意してくるから待っていてくれ」
ディックはそう言って、詰所の裏口に向かいました。途中、私の横を過ぎる時でした。耳元で「キャピュレットの所の下男だ」と小声で告げて行きました。そうなれば人目を偲ぶ相手は一人娘のジュリアでしょう。流石に事情を聞ける相手では無いと思いました。
「シムスくん、当時の状況ですが少し聞いても?」馬の用意まで時間、私はできる限りの情報を集めようと話をしました。
ポツポツと素直に答えてはくれましたが、よほど慌てていたのでしょう。覚えていないことが多い上に、記憶も混乱しているようでした。
「——無理もありませんね。死体を見たことは初めてですか?」
「病死した肉親の遺体以外は......」
「戦争にも行っていないのですか?」
「先の戦争の時は、まだ十五歳でしたので」
志願兵は十六歳から、徴兵は十八歳から。ランス伯の領民の兵役はそう定められていました。死が日常に無い世代にとっては衝撃的な光景でしたでしょう。
「怖いとは思いますが、もう一度だけ頑張ってください」そう声を掛けたところで扉が開きました。
正面扉の方です。
「戻りました」
ヘンリーの声でした。
そこに裏口からディックも戻ってきました。
「ディックさん、怖い顔してますけれど何かあったのですか?」
ヘンリーはそう言いながらも、視線はシムスに向いていました。
「ああ、そこの青年。シムスくんが死体を見付けたんだ。これから調べにいくところだよ」
「自分も行きます」
「それじゃぁ、カールを乗せて行ってくれ」
「えっ、私も行くのですか?」詰所で留守番をすると思っていた私の声は、上擦っていました。
「死体の引き上げもあるだろうから、人手は多い方が助かる」ディックはそう言って、巻いたロープを肩に掛けました。
こうして私も現場へと向かうことになりました。




