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BB  作者: 浅見カフカ
ハルドゥの悪魔篇

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18/19

昔話

「カインの様子はどうだ?」

「落ち着いてるわよ。もう唸ったりしないわ」

「それじゃぁ——」

「お話はムリよ。言葉が話せないから」

ブレアは、私の期待を先回りして吹き消した。

「これ、ふたつに違いはあるか調べて欲しい」

私はそんなブレアに、次の期待を手渡した。教会で手に入れた香油と、マスターから預かった香油だ。

「ふーん」

ブレアは小瓶を指でつまむと、目の高さで軽く振った。

「見た感じは同じね」そう言って机の上に置くと、こちらに振り向いた。

「そうか。調べが終わったら教会から貰った方をカインに塗ってやってくれ」

「分かったわ。もうひとつの方は?」

「それは証拠品だから保全してくれ」

「なんの証拠なの?」

ブレアが小首を傾げた。

「それは——まだ分からない。分からないからこそ、保全が必要だ」

私はまだ、ブレアの問い掛けへの答えは持っていなかった。

「そう。それは真理ね。分からないからこそ、ぞんざいに扱ってはいけないわ」ブレアは何故か嬉しそうに鼻を鳴らすと、分厚い本をめくりながら調べ物を始めた。

「ちょっと出てくる」

私もまだ明るいうちにしておきたいことがあった。


中央広場から商業地区を歩いてみた。

いくつもの食料品店や雑貨屋が軒を連ねてひしめいている。衣料品を扱う店には、若い女性がひっきりなしに出入りしていた。こうして見ると、ランス領は内政的には非常に安定して思えた。

だが現実は、エバのような最下層の怨嗟がこの安定を支えているのもひとつの事実だ。今、流行りの衣服を求めているあの女性も、何かひとつが狂えばエバの隣人となるのだろう。

「危ういな」

私はそう独りごちると、中央広場へは戻らずに、外廓回廊がいかくかいろうを通って隣の放射道路へ移った。

ここは鍛冶屋や金物屋、武器屋が集まった通りだ。

ここだけの特徴だと思うが、この町の通りだけ通りの作りが違っていた。

途中で数カ所、通りがボトルネックのように絞られていた。

推測でしかないが、民衆が武器を手にした時の鎮圧用だろう。

「戦上手のランス伯か」

なるほど、ボトルネック状の場所にはアーチが築かれていた。数箇所のレンガを抜けば崩れる仕組みだろう。

「ああ、ちょっといいですか?」

私は通り掛かった老人を呼び止めた。

「なにかな」

少し腰の折れ曲がった老人が私を見上げた。

「あなたはこの街に住んで長いのですか?」

「生まれた時からそこの鍛冶屋だ。これから死ぬまでもな。それになお嬢ちゃん、普通の人間は土地から出られないものじゃ」

老人は私の出で立ちに、下から上に視線を這わせた。

「ま、羨ましくもあるがな」

そう呟いた老人の表情は、深く刻まれた皺に隠れて読み取ることは出来なかった。

「先代のランス伯について教えて欲しい」

「戦上手の方か」

「ええ。評判として良い話を聞きますが、実際にはどのような領主様だったのだろうか」

私がそう尋ねると「おお、そうじゃ。それはワシの工房じゃよ。ついてこい」と、目だけで周囲を見回してからそう言った。

老人の歩調に合わせて、ゆっくりと通りを歩いた。

二つ目のアーチをくぐった先まで戻ると「ここじゃよ」と、縁と中間を金属で補強した木戸を開いた。

壁には青銅のサインが取り付けられ『ギム工房』と掘られていた。

ギムは工房の椅子にすぐに腰を下ろすと「この通りは監視対象なんじゃよ」と言った。

私も作業用の丸椅子を借りると「どういうことだ?」と声をひそめた。

「先代は確かに戦上手だったが、税が過酷でな」

「負かした相手から随分とぶん取っていたと聞いたぞ」

「そうじゃ。それら戦利品のほぼ全てはこの街の城塞建築に充てられた。そして、課された税の収入もほぼほぼ都市の整備と軍費に充てられたんじゃよ」

「おいおい、マジかよ。それで領民は飢えて、伯爵様は贅沢三昧ってやつか」

「それがな、伯爵様も食い詰めていたんだ」ギムは首を左右に振った。

「は?本当に収入全振りかよ。経済観念が破綻してるだろ」

私は驚いて両手を大きく広げて見せた。

「そのうち——まぁ当然と言えば当然なんだが、一部で暴動や一揆が起きるようになった」

「なるよな」

私はその結果に大きく頷いた。

「でもな、ほとんどの領民はそんなものに参加はしなかった。ランス伯も厳しい生活をしていると知っていたからな」

ギムはそこまで言うと立ち上がって、水で割ったワインを口にした。

「長く話すと口がくっついてしまう」

老人はそう言って笑うと、私の前にも薄いワインを汲んだ木のカップを置いた。

「暴動に参加したのは他国の間者スパイにそそのかされた中毒者が殆どだった」

「おい、それはなんの中毒だ!?」

私は思わず身を乗り出した。

「大麻中毒だよ。重度の中毒者たちが間者の口車に乗せられて街を破壊し、ランス伯の命も狙ったんじゃ」

「大麻はどこで?」

「当時はそこらに当たり前に生えていたからな。人間の背丈よりも遥かに高く茂っている場所もあったぞ」

ギムはそう言って、自分の頭の上に手を掲げた。

「で、連中はまず最初にここを襲ったんじゃよ」

「ああ、武器の調達か」

「もしくは間者たちが、ここの人間をたぶらかしたりもしたんじゃ」

「そうか、それで監視とあの道の作りだったんだな」

「そうじゃ。そしてごうを煮やしたランス伯は、まず大麻草と中毒者、入手経路の駆逐をしたんだ」

「ランス伯の草刈り」

「おお、よく知っておるな」

ギムは目を細めて私を見た。

「ランス伯が名君と呼ばれるのはそれ以降のことじゃ。戦上手のランス伯と呼ばれる前は、戦バカと陰で呼ばれておった」

「まぁ、ほとんどが戦費で自分も飢えてるんじゃぁな」

私も半ば呆れて同調した。

「草刈り以降のランス伯は、重税もやめ、軍備一辺倒の方針も改めたんじゃよ」

「それにしても急激だな」

「それには先代の神父様も関わっています」

「丘の上の教会か」

「そうです。本国から赴任された神父様が領主様を諭されたそうです」

「先代の神父は死んだのか?」

「とんでもない、ご健在ですよ。本国へ戻られて今や大司教です。いつ枢機卿になられてもおかしくないお立場ですよ」

「大出世だな」

「若かりし大司教の説法を受けた我々も誇らしく思っていますよ」

「それじゃぁ今の神父も、ランス伯とは良好な関係なんだな」

「そうじゃの」ギムはまた一口ワインを飲んだ。乾くと上手く口がまわらないらしい。

「教会と対立して良いことなどないからのう。ああ、あれ、バーリントン子爵」

私はギムの口からブレアの家名が出たことに驚いて、彼の顔を凝視した。

「彼は何が気に入らなかったのか、先代の退位と同時に爵位を捨てて平民になってな——」ギムは思い出し笑いをすると「戦上手のランス伯、変わり者のバーリントン」と節をつけて続けた。


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