表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/12

五章

五章


**ユキナ**


 東京の雪は雨に変わった。湿気がある分、寒さは余計に堪える。


「あの男を彼氏にするのは、ハードルが高いよね」

「あいつは、バカなんです。単に、私の容姿が好きなだけです。あとは全て、後からくっついてきた尾ひれですから」

「そんな単純には見えなかったよ?」

「何か、あいつにあるんですか?」

「何か、見えてるのかもね、知らんけど」(重ねていたのかもね、私と)

「ん? 何か言いましたか?」

「いいや」


「お世話になりました!」

「東京の部屋探しは手伝うよ。何なら一緒に住んでもいいし」

「受かっているかはわからないですよ」

「大丈夫だよ。心配するな」


 新宿駅まで見送ってもらい、特急あずさに乗った。

 姉の笑顔が移ったのか、何度も思い出して笑顔になってしまう。

 甲府を抜ける頃から、雪になった。しんしんと雪が地面を埋める。


「お前、あんな笑顔するんだな」

「あんな? どんな笑顔?」

「自然で、安心した、反吐が出るほど嫌いな笑顔だ」

「私を指弾して、何か得られるものはありました?」

「あの笑顔は悪くなかった」

「反吐が出たのでは?」

「でも、悪くなかった。写真に収めておけば良かったと思った」

「大変お世話になりました」


 その笑顔は、自然で、好意に満ちあふれていた。


「慶應で、会うだろ?」

「あなたが、話しかけてくれるのなら」


 それは美しい「非」対称性だった。興味や好意といった人間的関心を全て後ろに追いやった、意味のある社交辞令だった。本音、というやつだろう。


「受からないと思ったか?」

「いいえ。あなたは、受かるだろうなと思っていました」

「まるで、見透かしたように言うんだな」


 首を傾げると、髪がさらりと肩からこぼれた。


「でも、残念ですね。頭の悪い私が、受かってしまいました」

「黙れ」

「でも、あなたは、私に言葉以外では迫ることがなかった。感謝しています」

「そんなの、当たり前だ」

「まあ、いいです。取り憑かれたままではやっていけない。雨音が好きだったんですか?」

「もう覚えていないよ。久々に会った時、その人だとはわからなかった。言葉遣いも、化粧も、顔つきも、変わっていた」


 意気消沈したように、言葉を漏らす。瑞江は、肩を落とし、表情も老けて見えた。


「気をつけて。東京で会いましょう」

「仏瀬、俺は、お前に本音で話してほしかったんだ」

「何でですか? どうでもいい相手から、世辞や嘘を吐かれても、普通は気にしないですよね」

「だから、俺にとって、お前は、どうでもいい相手では、なかったん、だと、思う」

「私にとって、あなたは、最初はどうでもいい相手でした。でも、どんどん、重要な人になっていった。逆ですね。あなたにとっての私は、徐々に重要性を失っていった。当然です。私は、雨音の代わりではないのですから」

「お前さ、なんで敬語になったんだ?」

「さあ、何ででしょう? あなたに親近感が湧いたのかもしれません」


**雨音**


 鎌倉に、2LDKの部屋を借りて、雨音とユキナは、暮らし始めた。

 ユキナはかなりしっかりしていて、家事をこなし、リビングと自室の平穏は、維持し続けた。


「あまねーっ」

「ごめ、ごめって。ゴミでしょ? 洗濯物? お菓子の食べ残し? ごめー」

「全てです、全て。虫が湧きますよ?」

「それは嫌だ。あ、シャワー浴びるから、風呂掃除しておくよ」

「それは終わりました。早く浴びてください。知ってますよ? 三限終わりからデートですよね? 服は私が見繕い、クリーニングに出しておいたので。洗面所に畳んでありますから、それを着てください。レストランも予約しました。渋谷ですよね?」

「そうだよおー、ごめんて」

「じゃあ、私先出ますからね? 二度寝しないでくださいね」


 あくびをしつつも雨音は、授業を割と真面目に受けて、昼ごはんを食堂で食べ、三限終わりに渋谷まで急行する。渋谷のTSUTAYA前で待ち合わせするのは、昔っからやり方が変わらない。相手が、どんな奴だろうと、TSUTAYA前で会い損ねることなどないのだ。


「んん〜、そっかあ。音楽やってんだ。私、音楽は詳しくないんだよね。でもでも大丈夫。きっと好きになるよ。だって、私は君が好きだからな」


 髪を纏めて、うなじを出す。握る手のひらが、運動していたからか、少し硬いのが、気になるだろうなとは思う。


 わかりやすい趣味みたいなものはない。特に器用でもない。

 ただ、相手が、どんなことを言われたいかが、わかるだけだ。男の子には、「好き」と言ってあげることにしている。言いづらいだろうから。それに、女から言っても、誰も困らない。どうせ、本当のことではないのだから。


「雨音は、そう言いますけど、私のことも、好きではないんですか?」

「そうだよ」

「少し傷つきます。でも、そのことを教えてくれるのは、私だから、ではないですか?」

「どうだろうねえ。私って、客観性ってものが欠落しているから。全ては自分の中の流行り廃りだよ」

「今どんな気分かってことですか?」


 コーヒーを置いて、夜の勉強に備える。最近は二人で勉強している。


「気分っていうのは、私の心そのものだからさ」

「心そのものなんて、ないですよ。空洞に決まっています。でも、雨音は心があると思っているんですよね?」

「誠実なんだよ。そうは思わない?」

「主観的であることを、誠実だと言い換えたのは、雨音が初めてだと思います」

「面白いことを言うねえ」


 鎌倉には冷たい雨が降っていた。二人で、鎌倉を散策する。二人の傘が、近づいたり、離れたりを繰り返しながら、峠とも言えるような坂を登り、中国式の長大な寺社を巡った。

 海岸沿いの入り組んだ道の奥にある、二人の隠れ家的喫茶店で、窓の外を見ながらコーヒーを楽しむ。鎌倉に移ってから何度か来ているから、もう常連さんだった。


「チーズケーキおいひいね」

「ええ。雨音は、本当に甘いものを食べるのが好きですね」

「ユキナは? なんか好きなものないの?」

「私は、松本のそばが、本当に好きなんです」

「そばねえ。東京ではそばは食べないね」

「おいしくないし、高い」

「そうかもねえ」


 唇でティースプーンを咥えながら、窓の向こうを見る。

 夜になりかかっていた。点灯する街路灯が、鎌倉の輪郭を浮き彫りにする。


「綺麗だね」

「ええ。私は、雨音と暮らせて幸せです」

「お父さんは、何をしているんだろうね」

「さあ。微塵も噂を聞かないですね」


 しばらく時間をおいて、ユキナが言った。


「お母さんはどんな人だったんでしょうね」

「そんなふうに言うの、初めてでしょ?」


 雨音はユキナを指差した。


「育ててくれたお父さんとお母さんには、感謝していますよ」

「私もだよ」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ