三章
三章
**ユキナ**
友達だから、とか、同級生だから、とか、そういうのは逆だと思う。何かがあるから友達だし、仲がいいから同級生だと言えるのだ。好きだから友達なのであって、友達だから好きなのではない。仲がいいから同級生で、単なる同級生は、同級生とは呼ばない。
ユキナは、それが少し矛盾しているのはわかっていた。
瑞江は、ユキナの根本に働きかけようとしていた。
ユキナは、最初瑞江のその攻撃的な態度が、自己防衛からくるものだと、考えていた。決して動かされることのない冷血の心を溶かそうとするのは、どうしてなんだろう。
「もったいないぜ」
あの喉の筋肉を弾いた、弦奏が、耳から離れない。
「人を変えようとしているの?」
「悪いか?」
「そんなにあなたは偉い人なの?」
「別に。効率が悪そうなのを見ていられないだけ」
「嘘。それは自己顕示欲でしょ?」
「いいや、違うね」
「じゃあ何なの?」
この類の話は、そんなに興味がないみたいだった。瑞江はため息をついて言葉を吐いた。
「啓蒙だよ」
「傲慢ね」
「でも、誰かがやらないと、世界はバカで溢れてしまう。人を助けるのは親切だろ?」
「本当に、そう思っているのね」
一周回って、ユキナが帰着する場所は同じだった。瑞江との間にある見えない壁。苛立ちながら、こちらに声をかける。瑞江はいつも叫んでいた。その声は届くことがなかった。
「あなたより、頭のいい人がいるのに?」
「それが、啓蒙しない理由なのか? ナンセンスだな」
「自分が大した人間じゃないと、思うことはないの?」
「それが仏瀬の結論なわけね。何を恐れているんだよ」
「あなたは他者に影響を与えるのに、他者からの影響を拒むのね」
「ゴミの影響を受けてどうする」
「あなたも大概ゴミだわ。ゴミの影響を受けてどうする」
「仏瀬、お前存外楽しいやつだな」
「滑稽よ。自分のこと頭がいいって思っているの、あなただけよ。みんなに調子を合わせてもらって、実のところ蔑まれているってわからないの? 道化を演じているのなら、もう少し自覚を持った方がいいんじゃない?」
瑞江は、身を乗り出した。久々に興味深い話題になったらしい。
「お前だけだよ。俺のことを蔑んでいるのは。世界でお前一人だ。お前が、最後の一人なんだよ」
「気のせいよ。自慢がすぎる。本当にわからないの?」
「わかったところでなんだ? アニメの悪役に、正義がないと思うのか? そんなに簡単に世の中できていやしないぜ。俺はお前の前では人かもしれないけれど、他の人の前では、神だよ」
「つまり何でもないってことね。何をしているわけでも、何者かであるわけでもなく、ただ、神という属性を持っていると、信じている。神だと何なの? 人と、何が違うの?」
「饒舌になったな」
「それが、あなたの啓蒙の結果ってこと?」
「認めたくない気持ちはわかる」
ユキナはくすくすと笑った。
「変なの。ラノベの読みすぎじゃない?」
「ラノベの読みすぎ?」
「だって、あなた、実質的には、何も生み出していないのに。格好ばかりつけて。本当に、可笑しい」
からからと、堪えきれないというふうに、ユキナは笑い転げた。
「可笑しすぎる」
瑞江は、ユキナの笑い声が、ユキナのどこから出ているのか、わからなかった。面白そうに笑うユキナは、可愛らしく、鈴の音のような笑い声を、りんりんと鳴らしていた。
「あなたっていつも口先だけで、少し論理的だからって、自分のこと頭がいいと思っていて、才能が備わっていると勘違いして、周りの人から否定されないように、先回りして否定して、世界を恐れているのに、その世界に挑戦することもしないで。臆病者」
「いつもそう思っていたのか?」
「本当はもっとバカにしてあげたい。でも、あなたにはもったいない。もったいないよ」
「そんなに、俺の言葉がわからないか?」
「宗教家にでもなりたいの? それとも誰かに憧れてるの?」
「たとえそう思われていたとしても、事実はそれと異なっている」
「一人が怖い?」
「そりゃ怖いさ」
ひどく真面目な声だった。
「私は、怖くない。それが、怖かったんでしょ?」
「ただ、美人だから得をしているだけだ。構ってもらえるんだからな」
「あなたも、私を外形で判断して、どこかステレオタイプに落とし込もうとしている、美人だけど頭の悪い、可哀想な女だと」
「悪いか?」
「それのどこが本質的なの?」
ユキナは、目を伏せた。瑞江は見るに耐えない、ひどい顔をしていた。瑞江は、日に日に憔悴していった。まるで、製品が売れなくなった町工場の社長のような、追い詰められた顔だった。
行く道を封じられている。出した答えのちょうど反対側に、正解が設定されている。
「それってどこが本質的なの?」
この言葉は、瑞江を撃った。
本質的なことは、言語化できない。ユキナはわかっていたのに、瑞江に対しては、それを要求した。絶対に打ち破れないロジックで、彼を撃った。「もう少し楽しめばよかった。ああ言わなくてもよかったのに」と、ユキナは心の中でほくそ笑んだ。それが、彼女が冷血たる所以だった。
**雨音**
横浜国立大学の、呆れるほど遠いキャンパスに通っている。陸上はもう高校で卒業。バイトばかりしていた。
ナヅキは東大に行った。今でも彼女とはやり取りがある。
バイト先の喫茶店は、新宿。たまに通っていた都立の高校生が来る。にゃまいきな。
バイト代は服や化粧に費やす。楽しくてしょうがない。
「わかる! 君の言うことはよくわかるよ!」
同意する時は徹底的に大袈裟に。大袈裟なのが、逆に心がこもっているように聞こえるから。
「そうだよねえ。やっぱり浮気はダメだよ。でも、性欲っていうのは、抑制しなくちゃいけないのかな?」
「どういうこと?」
「ふふふ。お金を払えば、美味しいご飯が食べられる。でもそのご飯は高い。でも今、私たちは、お金を持っている。若い女性の体というものを、持て余しているんだよ!」
同期はうんうんとうなずく。翌日その友達が、晴々とした顔で「昨日ね」と言い出すのを、雨音は楽しんでいる。
人は、そういう言葉を聞きたいのだ。吹き込んであげると、その通りに動く。ただ親切でやってあげているだけだ。みんな不安なのだ。答えを知りたがっている。彼女らが求めているのは解答ではなく回答なのだ。雨音の感情のこもったせりふ回しで、安心したいだけだ。
快活で、感情が豊かで、どこかダークで、憎めない。みんな雨音が好きだった。
「自分が何者か、わからなくなることない?」
「ならないよ。だって、」
「だって?」
「私には家族がいるもの」
「それがどうした? 雨音の存在理由とは、何の関係もないだろ?」
「まあ、実質的にはね。でも、妹のための食卓の席は、今でも私の中では空いたままだ」




