二章
二章
**ユキナ**
「瑞江は、雨音のことが好きだったの?」
「さあ、どうだろうね」
「私のことは嫌い」
「ああ、嫌いだ」
「でも、そばは一緒に食べてくれる」
「何笑ってんだよ」
「別に。恋人はいいの?」
「別れたよ」
「へえ、残念ね」
「お前って、相槌がゴミだな」
「……」
「凹むなよ。本当のことだぞ。凹め」
「相槌って何? どういうのが正解だったの?」
「そういう小説のト書きみたいなせりふで、誰がお前を好きになるんだ?」
ユキナは笑った。そばを啜る音は達人級だが、誰も褒めてくれない。
「人は、人の言葉で人を好きになるの?」
「それ以外何があるんだ?」
「それもそうね」
「お前さ、もっとあるだろ? 容姿とか、気持ちとか」
「瑞江が、それ以外ないって言ったのに」
「自分の頭で考えろよ。わかんねえのかよ」
「瑞江がそう考えているんだって、了承しただけ。私は私の意見があるけど、わざわざ表明するまでもない。瑞江はそう考えているんだから。そうじゃない?」
「じゃあ、何のために話すんだよ?」
瑞江は声を落とした。
「あなたは論破したいだけでしょ?」
そば湯を入れてつゆを飲む。瑞江は、言葉を失った。
「お前は、論破されるのが怖いのか?」
慎重になった声色で、瑞江は口を再度開いた。
「自分の気持ちなんて、自分でわかっていればいい。見せても、誰もわからないし、私は人のお墨付きが欲しいほど、不安に駆られているわけじゃない」
「俺が、不安がってるって言いたいのか?」
「さあ、正直どうでもいい。そばが美味しければそれでいい。どうして、そば一緒に食べに来てくれたの?」
「お腹が減ってたからだ」
「そう」
「美人を隣に置いていると、箔がつくからだよ」
「冗談はおよしんす。そういえば、大学どうするの?」
「慶應」
「そう。やっぱり頭がいいのね」
「そういうところ。一ミリも思ってないこと言うのやめろよ」
「あなたは、自分のこと頭がいいと思っているでしょ?」
「俺は、お前の、冷淡な相槌に遺憾の意を表明したんだよ」
「じゃあなんで、慶應って言ったの? 他の子は言ってくれる? えー、すごーい。そちらの方が、確かに自然かもしれない」
「お前は?」
「大学で何をするかなんて、何も考えていない」
「もったいない、頭いいのに」
「その冗談は面白い」
ユキナは、笑わなかった。瑞江は大きな声で笑った。自分を嘲笑ったのかもしれない。ユキナにそこまではわからなかった。
「慶應は、きっと受かるだろうね」
「言われるまでもないよ」
「そう。結構頑張ってお世辞を言ったのだけど」
瑞江は、目をつぶされたように、くしゃりと眉間を寄せた。
徹底的に噛み合わない本音のぶつかり合い。自己開示をしているはずなのに、わかり合えない言葉の応酬。無駄と不可解の交換。
「そもそも、頭がいいって何?」
「さっき自分で、言ってただろ? わからないお世辞を言っていたのか?」
「お世辞ってそういうものじゃない?」
「線を引くなよ!」
瑞江が声を張り上げた。ユキナはびくっと肩を震わせた。
「なんで線を引くんだよ! 同級生だろ? 一緒にそば食べてんだろ? 頭悪すぎるだろ! 人の気持ち踏みにじっていくなよ。猫と話してんじゃねえんだから。なんでわかんねえんだよ!?」
目を射抜かれた。ユキナは、目を逸らそうとして、苦い唾液を呑み込んだ。
戸惑いが表情に出て、ハッとした。戸惑ったことなんか、今まであっただろうか。自動的に笑顔が浮かんで、失敗したと思った。
「笑うなよ。俺の前で二度と笑うなよ! 誤魔化すんじゃねえよ。俺は、お前を論難してんだよ。お前を否定しているんだ。何のためだかわかるか?」
「あなたが生きるため」
「そうだよ。俺の生き方の反対が、目の前にあったとしたら、潰すしかねえんだよ。そんな笑い如きで、俺の人生を踏みにじっていくんじゃねえよ」
「でも、私、笑うことしかできないから」
「もったいないぜ」
喉で弦を弾いていた。綺麗な声だった。
「私は、瑞江が残念がっているのはわかる。でもどうしてそんな顔ができるの?」
「そいつぁ、いい質問だな」
瑞江はリュックサックを背負い直すと、二歩三歩前へ歩くと、踵を返した。
夕焼けが山並みにかかって、灰色はいよいよその色を濃くし始めた。
「少しくらい、話してくれたっていいだろうが」
小さな声で言うと、瑞江は手を振って別れた。
**雨音**
部活を引退して、塾通いを始める。雨音は、気合い入れて勉強した。浪人する選択はなかった。最近、浪人は流行らない。でも推薦を使えるほど、高一高二の成績がいいわけでもなかったから、一般入試の勉強に励んだ。基本的には塾の自習室で。
国語だけはいつも散々な成績だったが、そのほかの科目は、結構いい線いっていた。
共通テストの対策に時間を費やし、国立を狙った。
学校での立ち位置が徐々に変わる。明るいムードメーカーから、英数の質問受付箱へ。
塾のクラスも順調に上がり、周りの個性が面白くなってきた。都立の雑多な感じとは違う、私立の尖った雰囲気がちらちら見えてきて楽しい。耳をぴょこぴょことさせて、大手塾の最上位クラスの会話を聞く。案外普通のことを話しているのに、口調だったり、語彙の選択だったりが、特徴的で面白い。
短かった髪はどんどん長くなり、時間が過ぎるほどに、塾にのめり込んだ。
「浪人すれば東大でも狙えるよ」
そうチューターに言われた。
「そういう人、七万人くらいいそうなので、遠慮します」
「どうするの?」
「横国です」
「頑張って」
「ありがとうございます、っと?」
「もったいない」
次の面談の人が、つぶやいた。斜め上から蔑むように、でもどこか残念そうに。
「何で?」
喰いつくのが雨音流だった。
「仏瀬さんでしょ?」
「そだよ」
「塾のクラス分けテスト、無双してる。どんどん美人になっていくって、男子が噂していた」
「気のせいだよ」
「メガネも似合うとも」
「そりゃどうも」
その女生徒は、女子校っぽい制服を着ていた。
「春花ナヅキ」
「よろしくナヅキ。私は雨音っと」
「っと?」
「なーにが無双だよ。ナヅキさん? それって、この塾で一番成績がいい人の名前だよね?」
ナヅキは笑った。
ひらひらと手を振って謙遜する。
「またね、仏瀬さん」
「雨音でいいよ」
「さようなら、雨音」
「さようなら、ナヅキ」
雨音とナヅキは、時折世間話をするようになった。ナヅキは、暇な時は、本を読んでいるから、話しかけどころはとてもわかりやすかった。元来お喋りな雨音は、ナヅキとの会話で久々に呼吸した心地がした。
部活に軸足を置いていた時は、底抜けに明るいかったから、バカとまでは言わないけれど、勉強ができるなんて、誰も知らなかった。そういうやつが、ごぼう抜きで都立の上位に君臨して、にこにこしている。塾でナヅキと話している。バカと侮っていた奴らは、自分の向けた刃で喉を抉られる痛みを感じているはずだった。
敢えてバカを装うのは、もう遅すぎる。ナヅキは、とてもありがたい友達だった。
「ふうん、心が無いねえ」
「わからない?」
「雨音は国語苦手だもんねえ」
「関係あるのかな?」
「自分の論理があるってことでしょ?」
「そんなの、みんなそうじゃないの?」
「雨音は結構特殊なOS積んでる」
「それだとどうなるの?」
「ステレオタイプがわからない」
「しょうがないじゃん」
「ある程度、俗人にならないと、国語は解けないよ。あんなの、頭使うところないし」
「ナヅキはそういうけどさあ」
「でもさ、それって、頭いいってことではないと思う。雨音が自己分析しているのとは、ちと違うんだな」
「あ、それ痛いやつだ。やめてー」
「人の気持ちがわからないってやつでしょ」
「やめてー」
二人は大笑い。授業の合間の衆目を集めた。
「人の気持ちがわかるって、どういうことなんだろうなあ」
「作るってことでしょ」
「つくるー? 何じゃそりゃ?」
「ゲームを遊ぶ、ゲームを作る。アニメを観る、アニメを作る」
「人の気持ちがわかりたいよ」
「一ミリも思ってなさそう」




