第三十話
明けて翌朝。
結婚式当日を迎えたベルンハルトは窓の外を見上げていた。
結婚式という日に相応しく、空はよく晴れていて、何だかマリアが初めて領地に来たあの日のようだった。
(対面して初っ端号泣された時はこんな日が来るとは予想もしていなかったな)
マリアが領地に来てベルンハルトを見て最初に口にした言葉が『嫌っ!』だったのだ。
今ではあれは自分のことが嫌だった訳ではなく、ドレスの選定を間違えてしまった自分自身に対する言葉であったと理解出来るが、あの時は内心「ここから巻き返せる結婚生活などあるのか?」と諦めの境地に立っていた。
それが今はどうだ。
ベルンハルトは自分がマリアに世界一愛されている男だと胸を張って自負するまでに自己肯定感を育てられている。
これまでずっと令嬢たちからは泣かれるか気絶されるかで、化け物扱いの自分は愛されることなどないのだと思っていたあの頃が既に記憶に遠くなるほど、マリアは溢れるほどの愛情を自分に与えてくれた。
マリアがベルンハルトを辺境の化け物から一人のただの男に変えてくれたのだ。
子供の頃、ヴォルフの姉が読み聞かせてくれた本では姫の愛が王子かけられた呪いを解いていたが、ベルンハルトは王子ではない。
だがベルンハルトは子爵であり、傭兵団をまとめる頭領であり、マリアを愛するただの男である自分のことが気に入っている。
だからこそ、予想外の妨害こそあれど、何とか準備を整えてこの日を迎えられたことが何よりも嬉しかった。
「ベルンハルト〜。会場の準備出来たってよ」
「わかった。……なんだ、お前。随分とめかし込んだな」
「姉ちゃんたちにやられたんだよ! お前だって新郎らしくきっちりめかし込んでるだろ」
「あぁ。今日は鎧ではないぞ」
「でも剣は持ってくのな〜」
言いながらヴォルフは慣れた様子でベルンハルトの毛皮の飾りがついたマントを手に取り、真剣な様子で着付け始めた。
ベルンハルトはじっと動かずに大人しくしていたが、ヴォルフが首の後ろで髪をくくっているその髪留めに薔薇の彫刻が施されていることに気付くと、我慢出来ずに「お前それはさすがにあからさま過ぎるだろう」と口に出してしまった。
しかしヴォルフは照れもせずに「見せびらかしてんだよ」と笑うだけだったので、ベルンハルトはちょっとだけ悔しくなって、自分だって後で存分にマリアといちゃつく様子を見せびらかしてやると決意した。
「よし、終わり。まぁ、そこそこイイ感じなんじゃん?」
「そこそこ? 素晴らしく男前だろう」
「自分で言うなよな」
「ならお前が言え」
「やーだーね」
小突きあいながらも二人はどこか浮かれた足取りで、結婚式の会場となる中庭へと向かったのだった。
***
同じ頃、マリアは支度部屋の椅子に座り、俯いて美しい刺繍の施された靴のつま先を見つめていた。
窓の外を見る余裕すらなく、ひたすらにそわそわとする気持ちをつま先を見ることで何とか抑えつけている。
(私、もしかして、またやらかしてしまったのではないかしら)
補修された婚礼衣装は、破れた部分を繋げる際に縫い目を全て刺繍の模様として取り込んでしまうことで、更に華やかさを増していた。
ベルガー領の職人たちが布を器用に縫い合わせて作った花飾りや裾を彩る輝くビーズも美しい。
目立たないようにドレスの布地と同じ色の糸で施された刺繍はこの地方のお守りの刺繍であるという。
追加でたっぷりと使われた布のせいで多少重くなったが、夜会の度に着ていたドレスに比べたら余程動きやすい。
けれど、マリアの愛らしさを引き立てるその婚礼衣装は、ベルンハルトと並んだら子供じみて見えないだろうか。
ただでさえ身長差があるのに、可愛いを突き詰めてしまったドレスでよかったのか。考えればキリがない。
「お嬢様。何かご心配事がおありですか?」
「ローザぁ」
化粧が滲んでしまうから泣いてはいけないと思うのに、不安で涙が込み上げてくる。
マリアは絹の手袋を嵌めた手でローザの腕を掴んだ。
「私、またドレスを間違えたのではない? もっと、もっと綺麗めの、シンプルなドレスの方が良かったのではなくて?」
「どうしてそうお思いです?」
「だって、このドレス、とっても可愛くて私はとっても気に入ってるけれど、私は子爵夫人になるのだし……」
モニョモニョと言い淀むマリアに、ローザは思わず笑みを浮かべた。
この領地に来た時も同じことを言っていたからだ。まったく可愛らしいお嬢様である。
「お嬢様はこのドレスを気に入っておられますか?」
「もちろんよ。だってこんなに可愛いのよ。ふわふわで刺繍も素晴らしくて、何よりも領民の皆が心を込めて直してくれたドレスだもの。こんなに素敵なドレスを着られるなんて、何て幸せなのかしらって思うわ」
「ならばそれで良いではありませんか。皆様、お嬢様にそう思って頂きたくて、こんなに素敵に仕上げてくださったのですもの」
「私のために、こ、こんな、世界一可愛いドレスを……」
「えぇ。お嬢様は世界一お可愛らしいので全くもって問題ございませんわ。可愛いは正義です」
胸を張ってくださいまし、とローザに背を叩かれ、マリアは思わず背筋を伸ばした。
ゆっくりと椅子から立ち上がり、姿見の前に立って大きく深呼吸をする。
鏡に映るのはちょっぴり不安そうな顔をした、今日世界中の誰よりも幸せになる一人の令嬢だった。
鏡の中の自分と見つめ合い、もう一度深呼吸をするとマリアは両手で己の頬を包み、ヴォルフの姉たちがしたように、もにゅもにゅと数度揉む。
そして小さく頷いてよし!と気合いを入れ直した。
「うん、そうね。きっと今日の私はとっても可愛いわ! ベルンハルト様だって可愛いって仰って下さると思うけれど、もしもそうじゃなかったら……」
「その時はいかが致しましょう」
「決まってるわ。新しくドレスを仕立ててもう一度結婚式を挙げるのよ!」
「素晴らしいです、お嬢様」
パチパチと拍手をするローザに、マリアは先ほどまでとは打って変わってそれはそれは幸せそうに笑って見せたのだった。
「そろそろお時間ですが、お支度はいかがでしょうか」
様子を伺いに来た侍従長にマリアが今行きますと返事をする。
ローザが仕上げにヴェールを被せ、二人は他の使用人たちと共に厳かな足取りで廊下を進む。
長いトレーンと美しく波打つ柔らかなヴェールはもう何者にも脅かされない。
会場である中庭への道は、マリアにはとても明るいものに見えた。
***
「──王家の蒼き血の血統と我が名においてベルンハルト・フォン・ベルガーとマリア・アーシェ・ラカンの婚姻を認める! 今日のこの素晴らしき日に夫婦となる二人に祝福を! 二人の未来に幸多からんことを心から願おうではないか!」
水面下で進んでいた激しい争いの末、王族の権力を振りかざすことで見事に結婚の証人の座を勝ち取ったバルタザールが声高らかに宣言した瞬間、中庭に集った領民たちからウオォオオ!と地鳴りのような音量の歓声が上がった。
祝いの鐘もジャンジャンガラガラ鳴り響いているし、鐘を聞いて町の広場からは爆竹の音までしている。
ベルガー子爵領の挙式は総じて賑やかなのである。それが子爵当人のものともなればこうなるのは避けられない。
「おめでとうございまーす!」
子供たちが駆け回りながら祝いの言葉と共に花びらを撒き、使用人たちの手によって中庭に用意されていた酒樽がヨッシャオラという掛け声で景気良くパカパカ開けられていく。
ちなみに会場の一角には四方をフェルゼンの娘たちに囲まれたトビアスが猿轡を咬まされた状態で拘束されており、バルタザールから「僕の方が先に好きだったのになどと妄想甚だしい感情で他領を侵略するなど不届千万!」と直々に与えられた『現実を見る刑』を実行されている真っ最中だった。
マリアは自分のことを好きなはずだ、自分と結ばれた方が幸せになるはずだと喚くトビアスに対し、バルタザールがお前ちょっと現実見えてないのではないか?と言って下した、ベルンハルトとマリアの結婚の瞬間からその後のイチャイチャチュッチュしてる様までを直視させ、最終的に結婚式の引き出物まで渡されるというちょっと人の心が無さ過ぎる刑である。
これには流石のベルガー領民もアリンコの足の先ほどの同情を禁じえなかった。つまり誰も特に同情はしていなかった。むしろやったれやったれと乗り気だった。
このままだと使用人たちが順番にトビアスの前でベルンハルトとマリアのラブラブエピソードを披露しそうな勢いだ。
結婚式が終われば正式に今回のベルガー子爵領襲撃事件に関する取り調べと裁判が行われ処罰が与えられるが、そんなことは領民には知ったこっちゃなかった。ベルガー領民らしい殴れる内に殴れの精神である。
この場において、トビアスを除く全ての人間がこの結婚を祝福し、領全体が喜びに沸き立っていた。
「ねぇ、ベルンハルト様」
「どうしたマリア」
婚礼衣装を纏い、咲き誇る花も恥じて俯きそうなほどに愛らしいマリアに袖口を引かれ、ベルンハルトは息をするように自然な流れでマリアをひょいと腕に抱き上げた。
婚礼衣装などベルンハルトの前には絹のハンカチ程度の重さでしかなかったらしい。
スカートのボリュームのせいで腕の上にちょこんとおさまるまでコツが必要だったが、それでも何とか居心地良く腕の中におさまることに成功したマリアはベルンハルトの耳元に唇を寄せてそっと囁いた。
「ベルンハルト様、私、とっても幸せだわ」
「俺もだ。マリア」
中庭の真ん中で二人は誰よりも幸せそうに微笑み合い、そしてそうするのが何より自然であると言わんばかりに唇を重ねた。
誰かがヒュウと口笛を吹けばそれに便乗して歓声が上がり更に花びらが舞い踊る。
……しかし、そんな口付けの時間は長くは続かなかった。
「……馬の蹄の音?」
「馬車? 車輪の音もしない?」
馬車といっても荷馬車の車輪の音ではない。これは鉄で覆われた車輪の音である。
遠くから響くその音にベルガー領民たちは耳を澄ませ、また襲撃かと視線を鋭くした。
ベルンハルトも例に漏れず状況を把握するべく、マリアをしっかりと抱き締めたまま音のする方へと視線を向けた。
「ん?」
しかし、子爵邸へと続く道を猛スピードで進む馬車から何やら叫ぶ声が聞こえ、皆は一斉にこてんと首を傾げる。
聞こえた声は聴き慣れた怒号などではなく、少なくとも襲撃でないことだけは確かだった。
「あ、あれは……!」
そして、マリアが小さく叫んだのと
『マリアーーーーー!!!!』
馬車の窓から危なっかしく身を乗り出した男性がブンブンと手を振っているのを領民たちが確認したのが同時だった。
「パパ!」
「何故だ!? 王都にいるはずでは……」
「えぇ、代理結婚式だって済ませたし、そのはずなのですけれど……」
困惑しながらもマリアはベルンハルトに抱き上げられたまま、父の乗る馬車を迎える為に屋敷の正門へと向かう。
そこには既にベルンハルトの両親が揃っており、正門の前で停車した馬車から転がるように男性が降りてくるところだった。
父を出迎え、マリアは驚いた顔で問い掛けた。
「パ……、お父様! どうしてここに!?」
「来ちゃった!」
「来ちゃったって……、王都からはとても遠いのに」
「だってだって可愛いマリアがお嫁に行くんだよ? パパ、王都でじっとなんてしてらんないよ」
「もう、パパったら……」
「ママもいますよ!」
「ママまで!?」
続いて母親まで馬車から出て来たので、マリアは大きな瞳を更に大きく見開いて声を上げた。
ベルンハルトはこんなの聞いていないぞとヴォルフを振り返ったが、ヴォルフも俺も聞いてないと首を振るばかりだった。最近こんなやりとりが多い気がする。
マリアの父は両手の人差し指の指先をつんつんくっつけたり離したりしながら、もしょもしょと言った。
「やっぱりね、代理結婚式はしててもね、本当にマリアが嫁に行く姿をこの目で見ないことにはって思っちゃってェ……」
「でも長旅は危険だわ。私の時は領の皆さんが護衛についてくださったから安全だっただけなのよ?」
「うん、だからね、パパ頑張っちゃった」
その言葉と共に、馬車と並走していた騎士が手綱を操りカポカポと近付いてきたかと思うと、馬上で徐ろに兜を脱いだ。
「まったく、君の父君は本当に大した商人だよ」
「ミア様! えっ、でもそのお姿……。それは王国騎士団の制服では……」
馬上の騎士は誰であろうミア・ゼットであった。
そういえば、あの野盗襲撃事件のすぐ後から姿を見ていないが、ベルンハルトの母であるジャンヌが仕事を任せてあると言っていたので、フェルゼン家のヴォルフの姉たちのように野盗の監視に立っているとばかり思っていたのだが、どうやら違っていたらしい。
「ミア様、これは一体何がどうなっているんですか」
「そうだ。俺も何も聞いていないぞ」
馬上のミアは二人から詰め寄られてやれやれと肩を竦めた。
「それはジャンヌ様に言ってくれ。私は野盗襲撃事件の責任をとって遣い走らされているだけなんだからな」
聞けば彼女はジャンヌから「野盗の襲撃を許し大切な婚約者とその侍女を危険に晒した原因はお前の慢心にあったのではありませんか」と大層責め立てられ、隠居など早過ぎた、まだ鍛錬が足りないと言って前から断り続けていた王国騎士団の客員剣士の任を受けざるを得なくなったのだとミアは語った。
「それで最初の任務がこれだ。王都から騎士団を率いてこちらに来るところでラカン男爵と合流してな。こうして同行したと言う訳だ」
「……つまり義父殿は王国騎士団を私的な移動の護衛につけたというのか? 一体どうやって?」
じっと皆に見つめられ、マリアの父はマリアとよく似た丸い瞳を細めてえへへと笑いながら答えた。
「商人ネットワークで王都からベルガー子爵領に向けて騎士団が出るって情報を得てね、あとは金の力かなぁ。到着はちょっと遅れちゃったんだけど」
「まぁ、あなたったら、あんなに圧力をかけておいてそんな可愛子ぶって……」
ラカン男爵夫妻の会話に、なるほど、とベルンハルトは頷いた。
マリアの父親はおそらく野盗の護送のためにバルタザールが騎士団を呼び寄せたという情報を掴み、うまくそこにつけ込んで便乗してここまで来たらしい。一介の男爵にしてはとんでもない話術と胆力である。
「帰りはベルガー子爵領の傭兵の皆さんに護衛して貰えば良いかなって。あ、もちろんしっかり報酬はお支払いしますよ!」
滞在費も用意したし!と胸を張る父と母に、マリアは勢いをつけて思い切りよく抱き付いた。
「もう、パパもママも過保護なんだから! でも来てくれて嬉しい! 大好き!」
「パパもだよ!」
「ママもよ、マリア!」
ぎゅうぎゅうと三人で団子になっている様子は何だか身を寄せ合う野うさぎのようで、それを見たベルガー領民は何となくほっこりした。
マリアの両親もベルガー領民に比べると小柄で、ちいちゃくて可愛い部類に属している。童顔でもあるのか、もう年齢がわからない。それがベルガー領民にはとにかく可愛く見えたのだ。
「義父殿、義母殿、この度は……その……」
そんな中、野盗の襲撃があってお宅の娘さんが危険な目に遭ってしまいましたとは流石に言いづらく、ベルンハルトは何と言ったらいいものかと歯切れ悪く挨拶の言葉を口にしたが、それを遮るようにマリアの父は笑ってベルンハルトの肩を叩いた。少しだけ背伸びしていたのは見なかったことにした。
「やぁ、ベルガー子爵。何だか大変なようだったけれど、うちの娘を守ってくれてありがとう。これからもよろしく頼むよ。ほら、マリアってとっても可愛いからね。危険が多いだろう?」
「は? え、あ、はい。それはもう。約束します」
「ん、なら良いんだ。無欲なあの子が初めてこんなに欲しがったものだからねぇ。取り上げたくはないものねぇ」
その言葉にベルンハルトは正直ギクリとした。
義父は今、笑顔でベルンハルトを脅迫したのである。
戦場での駆け引きですらここまで肝が冷えたことはない。
これまで出会ったどんな強敵よりも、ベルンハルトには目の前でマリアによく似た顔でニコニコと笑う義父が恐ろしく思えた。
「それよりも、いつ見ても本当に逞しい御仁だねぇ。新しい鎧とか防具に興味は? 何か新調したかったり取り寄せたい物があったら何でも言っておくれね」
「あ、ありがとうございます……」
ベルガー子爵家は旧王族の血統を継ぐ名ばかりの子爵であるが、ラカン男爵家というのも実は名ばかりの男爵家なのではないか。ベルンハルトはそう思ったが口に出すことはせずに一人言葉を飲み込んだのだった。
その後、マリアの両親はベルンハルトの両親と和気藹々と最新の武具について話し込み、ミアは連れて来た騎士らと共に監視のために利用している仮宿舎へと向かった。
客員剣士というが、次に会う時は正式に王国騎士団に復帰していることだろう。
「うむ、良きかな良きかな。二人の門出に相応しい晴れの日だな!」
まぁ万事オッケーだな!と笑うバルタザールにつられて、確かにベルガー領らしいと皆も笑い出す。
笑顔に溢れた結婚式はそのまま宴会へと突入し、領民たちの乾杯の音頭が繰り返し晴れた空に響いていた。




