第二十九話
ベルガー子爵領は一丸となって結婚式の準備に取り掛かっていた。
何と言っても領民待望の領主の結婚である。気合いの入り方が違う。
領民は傭兵も職人も農夫も、子供や老人さえも、年齢性別の区別なく皆が自分に出来る範囲で手伝いたがったので、追加作業が発生した瞬間に自分がやると挙手する者が出て仕事を取り合い、壊れた柵の補修やら荒らされた畑の復旧など各種掃除と整備が猛スピードでガンガン進んでいた。
領全体の盛り上がりは過去の喧嘩祭りの熱気をも凌駕し、王都から婚約者が来るといってワクワクソワソワと浮き足立ったあの時以上である。
「ねぇ、ローザ。こっちとこっちならやっぱりこっちの真珠の髪飾りかしら」
「どちらも大変お似合いですわ」
「もう! それじゃあいつまで経っても決まらないじゃない」
そんな中、マリアはローザと共に当日のアクセサリーと髪型を決め直す作業に勤しんでいた。
ほとんど決まってはいたが、例の事件のこともあって、一度リセットして決め直そうということになったからだ。
本当ならドレスの補修作業に入りたかったマリアだが、途中まで手伝ったところで「あとは完成までのお楽しみだ」といって一日も経たない内に職人や使用人たちにやんわりと作業部屋から追い出されてしまった。
花畑の手入れも子供たちが自分たちの仕事だと張り切っていて手を出すのは躊躇われたし、書類仕事は今のマリアでは説明を聞くところから始めなければいけないので余計に手間をかけさせてしまう。野盗たちの監視の手伝いに至っては、マリアには端から無理な話である。
マリアに出来ることと言ったら、野盗の監視を手伝っているヴォルフの姉たちに「若様のお嫁さんかわいい〜♡」と存分に撫で撫でもちもちされて可愛がられることくらいだった。
そういう訳で、結婚式当日までの時間、マリアは準備に携わる人々や書類仕事に追われるベルンハルトに差し入れをしたり、ローザと共にマリアの両親が結婚祝いにと仕立ててくれたアクセサリーの中から婚礼衣装に合うものを改めて探したりして花嫁らしく結婚式に備えていた。
時折書類仕事に疲れたベルンハルトが元気を補充すると言ってマリアの顔を見に来る以外は会う暇がないのは寂しいが、あと半日もすれば書類仕事は一応目処がつくらしいので、その後一緒に結婚式の最終チェックを行うという約束を楽しみにマリアはニコニコと笑いながらローザを振り返った。
「そういえば、ねぇ、ローザ」
「何です、お嬢様」
花嫁支度のレースのハンカチやシルクの長手袋を整えていたローザがマリアに呼ばれて視線を上げると、マリアはどこかそわそわした期待に溢れた目でローザを見つめていた。
「あのね、ローザは、その……フェルゼン様のこと、どう思っているの」
「フェルゼン様ですか。そうですね。良い方だと思います」
「それだけ!?」
「……お嬢様は他の回答をお望みですか?」
「だって! だってだってだって! ローザだってフェルゼン様を名前で呼んでたじゃない!」
それって好きってことじゃないの!?
そうマリアが声を上げたのと同時に、部屋のドアが勢いよく開いた。
驚いた二人が身構えてドアの方を向けば、そこに立つのはヴォルフの四人の姉たちだった。
どうやら野盗たちの監視当番が終わってマリアをもちもち可愛がりに来たらしい。
けれど彼女たちはひどく真剣な顔になってマリアではなくローザを見つめていた。
普段は護衛兼侍女として王弟バルタザールに侍ってはいても、彼女たちは歴としたベルガー領民である。
よって、例に漏れず彼女たちも喧嘩と恋バナが大好きだった。そして新鮮な恋バナ、それも実弟に関係する話らしいと察知した彼女たちは興奮もあらわに、それはもうキラキラした瞳でローザを見つめていた。
「あの話、どうやら本当のようね」
「あらあら。あのヴォルフに好い人が出来るだなんて」
「弟も良いけれど、義妹が増えるのも良いものよね」
「みんな気が早いわ。それで、うちの愚弟は貴方にどのように交際の申し込みを?」
好奇心に溢れた表情のフェルゼンの四姉妹に囲まれてローザはしばらく困った顔をしていたが、しばらくすると何かを決意した様子で口を開いた。
「あの、私はヴォルフさんから特に交際の申し込みなどは受けておりませんし、もしそうなったとしても、お断りすると決めております」
「えっ」
ローザの言葉に室内にしばし沈黙が流れた。
そして四姉妹が「失恋?」「確定かしら」と互いにチラチラと視線を交わし合うこと数秒。
本人からしっかり話を聞こうという方向で落ち着いたのか、彼女たちはローザを取り囲んだまま口を開いた。
「どうして? やっぱりあの子のこれまでの恋愛遍歴がマズかったのかしら」
「それでなければ交際の申し込み方が悪かったとか?」
「身内の欲目もあるかもしれないけれど、顔も良いし根性もあるしそれなりに腕も立つわよ」
「まさかこんな風に弟の失恋に立ち会ってしまうなんて。どんな顔してヴォルフに会えばいいのかしら……」
この言葉に慌てたのはローザである。
ヴォルフに非はないと首を振ってローザは答えた。
「あの方が悪い訳ではありません。個人としては、その、お、お慕いしていると言っても過言ではなく……」
「ならどうして!」
便乗して問い掛けたマリアに、ローザはいよいよ困り果てた顔になって目を伏せた。
「私では彼と身分が釣り合いませんもの。平民と伺っていますが、実際のところは旧王族であるベルガー家の側近なのですよね? 本来であればフェルゼン家というのは伯爵位でもおかしくはないはずです。私のような身寄りも後ろ盾も何もない女が、そんな家門のご嫡男であるヴォルフさんの側になど、例え噂だけでもご迷惑になります……」
ローザは元々は貴族の娘であったが、両親の死をきっかけに親戚に家を乗っ取られ、爵位も財産も奪われて身一つで放り出された過去がある。
それでも彼女はめげることなく自力で生き抜いてやると修道院に送り込まれる寸前に出奔し、家庭教師としての働き口を探していたところをマリアの父親であるラカン男爵に拾われたのだ。
しかし既に奪われた家の名を名乗ることだけは出来ないと、彼女はこれまでただのローザとして生きていた。
何も持たない自分では名ばかりの平民であるフェルゼン家の長男であるヴォルフとは釣り合いが取れない。それが彼女の言い分だった。
「ローザ……。だからお父様が仰ったようにラカン男爵家に養子に入れば良かったのにぃ!」
ほとんど泣きそうな顔のマリアが言うが、ローザはふるふると首を振っている。
大好きなお嬢様の申し出に対してもここまで頑なであると、身分の件はただの口実でヴォルフは純粋に振られただけなのではないかと四姉妹が不安に思った頃、神妙な顔をしたローザがこれはお話するつもりはありませんでしたがと前置いてから言った。
「……私は元々ザフィール王国の生まれで、この国の国民ではありません。ですから、この国の貴族に養子に入るには複雑な手続きが必要になるのです。皆様のお気持ちだけで充分ですわ」
「ザフィール王国って、数年前に内乱で滅んだあのザフィール王国?」
「えぇ。私はそれよりもっと前に……、両親の死後に遺産も爵位も何もかも奪われてこの国に放り出されたので、公的な記録すら残っているかもあやしくはありますが……」
まさかの告白に貴族社会に疎いマリアも何か大変な話になってしまった事を察した。
他国の人間を養子に迎えるには、それが例え縁戚であっても国を跨ぐだけで割と大変な手続きが必要になる。貴族であればもっと手続きは複雑になるだろう。
家名を名乗らないとは言ってもローザが貴族の生まれである事実は変わらない。
ザフィール王国というのは歴史のある小国であったが、近年王族と一部貴族の間に政治的な対立があり、数年前に内乱が起こったのを機に周りの国々に侵略されて結局は滅亡してしまった国だ。
現在旧ザフィール王国はその領土を分割されて周辺国に統治されている。
王族はそのほとんどが内乱時に処刑され、生き残った者も散り散りになって国外に逃亡したとかで行方知れずだという。
そんな状況でほとんど追放と言ってもいい処遇を受けたローザの戸籍が今も記録として残っているかは微妙なところだし、調べるにしても滅亡した国の戸籍である。統括している国に申請を出して、それが通るかもわからない。
難しい、とその場の誰もが同じことを思った。
「私は、本当の名をロザリンド・ディ・リーデルシュタインと申します。ザフィール王国で神事を司っておりましたリーデルシュタイン家の長女にして最後の直系子。……一言で申し上げれば、大変面倒な血筋の女でございます」
背筋を伸ばしてそう言ったローザは、神事を司るというのならそう信じざるを得ないような、どこか神聖で厳かな雰囲気を纏っていた。
しばらくの間、部屋の中を沈黙が満たし、そしてその沈黙はすぐにフェルゼンの四姉妹によって打ち破られた。
「他国の貴族どころかザフィール王国のリーデルシュタインといえば我が国にも知れる相当な大貴族だわ」
「しかもその直系子! これはもう国の再興を願う人には希望の光として祭り上げられてもおかしくないわね」
「世が世なら聖女様と呼ばれていてもおかしくないもの」
「本当に面倒な血筋のお嬢さんだこと」
そして彼女たちは口々に好き勝手なことを言った後で再び揃ってローザを見つめた。
緊張にか、ローザが軽く唇を噛む。
「でもあなた、聞いたところでは弟に随分と気を持たせるような態度を取っていたというじゃない」
「それで付き合わないなんて、それはさすがに弟が可哀想ではないの?」
「それとも男を弄ぶのが趣味なのかしら」
「本当のところどうなの? どうなの??」
ヴォルフの姉たちの追及は止まらない。むしろ加速している。
身内だからだろうか遠慮なくグサグサと突っ込んでくるのだ。この辺はバルタザールの気質にも似たところがありそうだった。
血縁らしくどこかヴォルフと似通った姉たちの目に、萎縮しながらもローザは姿勢を崩すことなく答えた。
「私のような身の上の女ではあの方のお側にいるのは相応しくありません。私自身、今後どなた様ともお付き合いは致しませんし、どなた様にも嫁ぐつもりもございません。ですが、あの、い、一度の思い出くらいなら、と……。どうやら仲の良い女性はたくさんいるようですし、私だって一度くらいなら……」
自分がかなり過激なことを言っている自覚があるのか、ローザの頬は見る間に真っ赤に染まった。
恋人にはなれないが一夜の情人として思い出を貰うくらいなら許されないだろうか。
それはローザなりに精一杯考えたことであったのだが、ヴォルフの一番上の姉を筆頭に彼女たちは溜め息を吐きながら呆れたようにやれやれと首を振っている。
「ローザさん。いいえ。ロザリンドさんとお呼びした方がいいのかしら。私たちからひとつアドバイスをして差し上げる」
「アドバイスというか忠告というか」
「警告と捉えて頂いてもいいわ」
「私たち、可愛い女の子には優しいのよ」
フェルゼンの四姉妹は、ローザは知らないが、ヴォルフが喧嘩の前に浮かべる笑顔と同じ笑顔でにっこりと笑って言った。
「ヴォルフの本気をあまり甘く見ない方がいいわ」
どういう意味かとローザが問う隙もなく、四姉妹は順番にマリアのほっぺをもちもち撫でくり回して足早に部屋から出て行ってしまった。
去り際に「バルタザール様にご報告しなくちゃ!」と聞こえた気がするが、気のせいであってほしいとローザは思った。
これは勝手な憶測に過ぎないが、何となくバルタザールは恋バナがものすごく好きそうだ。変に盛り上がって介入されるのは困る。なまじ権力を持っているのが厄介だ。
やはり言うべきではなかったかとローザが後悔し始めると、その間ずっとローザの様子を窺っていたマリアが小さな声で言った。
「ローザ、あのね」
「お嬢様……?」
マリアはそっとローザの右手を取り、両手でぎゅっと包み込んだ。
柔らかな手から伝わる温もりはマリアの優しさそのもののようだった。
「私、ローザのこと、本当の姉のように思っているわ。ローザがいつも私の幸せを思ってくれるように、私もローザには誰よりも幸せになってほしい。だから、だからね」
ローザの手を握る力がわずかに増し、マリアのふっくらとした唇が花開くように動く。
「──ここが一番の勝負どころだと思うの」
「お嬢様???」
てっきり『きっと大丈夫よ』といつものふわふわした笑顔で慰めてくれるものと思っていたローザは、面食らって目をパチパチさせた。
けれどもマリアはがっしりとローザの手を握ったまま可愛らしく微笑んで続けた。
「お父様だっていつも言ってるじゃない。勝機は逃しちゃいけないわ」
「勝機」
「お金ならラカン家がどうにでもするわ。今なら王弟殿下という権力にもお縋りできるわ。ローザが本当にこの国に骨を埋めるつもりなら、私、そのために必要なものは何だって揃えるし、何だってやってやるわ。ベルンハルト様にもご助力をお願いするわよ」
「そんな、私はそこまでしてもらうような、」
「ローザ。私はちょっぴり怒っているのよ」
怒っている。
その言葉にローザは思わず口を噤んだ。マリアがこうして自分に向けて怒りを口にするのは珍しいことであったし、それはさておき『ちょっぴり怒っている』と言ったマリアがあまりにも可愛かったからでもある。
怒れるお嬢様はぷん!と頬を膨らませて更に続けた。
「私の大好きなローザが、何でも出来て、誰よりも素敵な淑女のローザが、そんな、一夜限りの相手で想いを終わらせるだなんて、そんなの絶対許せない。だって、それはローザの幸せではないと私は思うもの」
「しかし私は、この国では」
「言ったでしょう。私が絶対なんとかしてみせるわ。今まで私がローザにしてもらったように、私だってローザのために何だってしてあげる。だからね、ローザ。言ってちょうだい。ローザはどうしたい?」
「私は……」
ローザの目にはまだ迷いが色濃く渦巻いていた。
今までずっと素性を隠し、一生誰とも愛を交わす事なく生きていくと思っていたのだ。
初恋など実らないのが定石なのだから、自分はいつかヴォルフへのこの思いを何らかのかたちで昇華出来るはずだ。
──本当に?
侵入者に人質にとられ、首に刃物を突きつけられた自分を助け出してくれたあの時のヴォルフを思い出すと、今でもローザの胸は火がついたようにカッと熱くなるのだ。この熱を、自分はいつか消せるのだろうか。
「私、は……」
ローザは唇を震わせた。
今から自分が口にする言葉が、とても罪深いことのようであるかのように。
「……私、諦めたくありません。御免なさい。身の程知らずと理解していますが、やっぱり私、ヴォルフさんのことが好きなんです。諦めるなら、想いを伝えて振られた後がいい、です……」
その言葉を聞いてマリアは満足そうに頷き、ぎゅうとローザを抱き締めた。
「じゃあ今から行って来て!」
「今ですか!? それは流石に……。今は皆忙しいですし」
「でも結婚式の後だって忙しいわよ。それに王弟殿下だっていつまでこちらに滞在されるかわからないし、早ければ早い方がいいじゃない」
今からバルタザールに相談に行くと言うマリアに心底困惑しつつも、ローザは以前にもこんなことがあったなと妙な既視感を覚えていた。
(そうだわ。あの時、ベルガー子爵様に嫁ぐとお決めになった時もこんな風だった)
普段はふわふわニコニコと愛らしいマリアだが、彼女は夜会で助けてくれたベルンハルトに一目惚れし、ベルンハルトが結婚相手を求めていると知るや否や怒涛の勢いで婚約者として名乗りをあげてここまで来ている。
まさに『勝機を逃すな』と言わんばかりの行動力であった。
ローザがそれでも、と言葉を続けようとしたその時、部屋のドアがノックされて外からヴォルフの声が聞こえた。
「すみません。結婚式の流れについて、ローザさんに確認したい事があるのですが……」
部屋の中でヴォルフの声を聞いたローザは驚きにピャッと肩を跳ねさせ、迷子の少女のような表情でおずおずとマリアを振り返った。
マリアは笑顔で頷いてローザを送り出し、部屋を出る彼女の背中に「今夜は戻らなくても構わないわ!」とこっそり声を掛けた。
ローザはそんなマリアを視線で嗜めたが、結局その夜ローザは戻らず、翌朝照れ照れモジモジしながらヴォルフと共に朝食の席に現れたのだった。
同じく朝食の給仕に当たっていた使用人たちは顔色も変えずに仕事に勤しんでいたものの、その内の何人かはヴォルフとローザが手を繋いでいたのをしっかりバッチリ目撃しており、結婚式前日の使用人ホールは一日この話で持ちきりだったという。




