第二十七話
──頭の上で声が聞こえた。
ぼそぼそと声を潜めて続く会話が、マリアの意識をゆっくりと表層へと引き上げていく。
何を話しているのかしらと気にはなったものの、まだ頭がぼんやりしていて上手く会話を聞き取れない。
それでも目を閉じたまましばらくいれば、次第に頭がハッキリしてきて、情報を正しく認識することが出来るようになった。
どうやら、今回の襲撃の始末について話し合っているらしい。
トビアスの逆恨みが原因だと推測される野盗たちの襲撃だが、領内の被害自体は大したことがなく、領民が何名か怪我を負ったが軽症であると聞いて、マリアは心の中でホッと安堵の息を漏らした。
「……トビアス・ザイゼルと言ったか。裏でペロー伯爵家と野盗らを焚き付けて領内が混乱した隙に俺のマリアを拐おうとするなど、俺が直接手を下してやりたいところだが……とりあえずアレは王都に送り返して貴族裁判にかけるとして、しかし、あの量の野盗をどうするか。俺もさすがに初めて対処する人数だ。王国法に則って処刑するにしても時間が掛かるな」
「確かにな。僕が主導してザイゼルの嫡男と共に王都に移送するとしても全員を移動させるのに何日掛かるやら」
「いっそ縛り上げたまま渓流にでも流すか」
「ベルンハルト、それでは下流の領にご迷惑がかかりますよ」
しかし、話し合いがそんな物騒な話題に移ると、マリアは驚いて思わずパチリと目を開けてしまった。
目覚めとしては割と最悪の部類である。
「……ベルンハルトさま……」
「マリア、目が覚めたか。体調はどうだ? 無理をせずもう少し休んでいても……」
「あの、今、処刑と」
青ざめるマリアの頬を宥めるように指の背で優しく撫で、ベルンハルトは心配しなくて良いと微笑んだ。
「聞こえたのか。野盗の類は人を襲えば死罪と王国法で決まっているからな。スッキリさっぱりやってしまうから、もう怖くないぞ」
微笑みながら言う台詞がコレである。
普通の令嬢なら泣き出してもおかしくはなかったが、マリアはちょっとだけ普通の令嬢ではなかったので困惑した表情で唇を動かした。
「で、でも、とてもたくさんいたのでしょう? それを全員処刑なさるだなんて、そんな恐ろしいこと……」
あぁ、婚約者のこの慈悲深さよ、とベルンハルトは感嘆の息を漏らす一方で、マリアはブルブルと震えたままベルンハルトのシャツを強く握りしめた。
「いけないわ。そんな、そんなことをしては……あまりにコストがかかり過ぎます……! 処刑だなんて恐ろしいほどコスパが悪いわ!」
「コスパ」
「絞首刑にせよ火刑にせよ、死罪だってタダではありませんでしょ? 火刑なら薪だってたくさん必要になりますし、遺体の処理は? 誰かがやるのなら人件費も掛かります。その費用はどこが負担するのですか?」
「それはもちろん国が……」
「それでは民の税金が使われるということでしょう? 税金はもっと有意義なことに使われるべきです」
プンプン!と処刑反対を主張するマリアに、ベルンハルトとヴォルフは顔を見合わせ、ローザはお嬢様はお優しいわと頷いていた。
野盗なんてものは処分してしまった方が後腐れもないし、後々の処理も楽だ。
けれどそれではコストばかりがかかり過ぎるという。
そこで口を開いたのは王弟バルタザールだった。
「しかし、野盗の処刑は治安維持のためでもある。その辺についてそなたはどう考えるのだ」
「王弟殿下。お、恐れながら、申し上げます。私は、しょ、処刑ではなく、強制労働が妥当かと存じます」
「それは何故? 命を奪うのは忍びないか? しかし放っておけば奴らが無辜の民の命を奪うやもしれぬ」
試されているとマリアは直感で悟った。
試されている。貴族子女として、ベルンハルトの婚約者として、そしてこれからベルガー子爵領を預かる子爵夫人として。
王弟を前に萎縮し、つっかえながらも、マリアは必死に言葉を紡いだ。
「野盗というのは、た、他人を襲って金品や食料を奪うものです。それであれば、彼らには他人を襲うことを常套手段に出来る程度の腕力と体力があるということですから、有り余っている体力を、その、有効活用した方が良いのでは、と愚考致しました」
「労働力にするのは良いが、その間の衣食住は誰が担保する」
「処刑する場合にかかる費用と同額までは国が、超過した分は領の運営費用から出すのがよろしいかと」
「それこそ税金だろう。民は納得するか?」
「通常労働には報酬が与えられます。強制労働の分は報酬を納税することとし、定められた期間遅滞なく納税することを義務とします。逃亡や反乱を企てた場合は致し方ありませんから処刑を認めます」
「ほう。ただ処刑するのではなく、せめて金を生めというのだな。では、具体的に強制労働とは何をさせるつもりか」
マリアがバルタザールから具体的な施策を求められているのを見て、ベルンハルトはそれを考えるのは領主である自分の役目だと口を挟もうとしたが、マリアは大丈夫と頷いて見せてから再びバルタザールへと向き直った。
「まずは街道の整備を。野盗などやるくらいですから道には詳しく、体力もあり、街道の整備はそこそこに重労働です。ベルガー子爵領から王都への街道を整備させることを提案したく存じます」
「あえて王都への街道を選んだ理由は?」
「王都と子爵領の行き来が楽になれば、ベルガー傭兵団には野盗討伐や各地の小競り合いの鎮圧に加えて、商隊や貴族の移動時の護衛任務に需要が生まれます。あと、ベルンハルト様が王都に行くのも楽になりますし……」
「なるほど、ベルンハルトが僕に会いにきやすくなるということだな! 素晴らしい! よし、認めようではないか!」
許可する!と高らに宣言したバルタザールを見て、マリアはホッと息を吐き、ベルンハルトはそんなマリアの肩を軽く叩いて彼女を労った。
バルタザールは一見ふらふらチャラチャラした自認兄の放蕩王弟だが、これでも頭の回転が早く仕事が出来る切れ者である。
新興貴族の娘がいきなり対峙してここまで問答が出来るだけ大したものだ。
ベルンハルトはまだ緊張の抜けないマリアの手を取り、壊れ物を扱うかのようにそっと握って口付けた。
「マリア。このベルガー領の行く末まで考慮してくれたのだな」
「ベルンハルト様。えぇ、私、子爵夫人になりますのよ。領地の皆様は私の家族も同然ですもの。出来るだけ安全に過ごして頂きたいと思うのは当然です」
二人の遣り取りを見て、バルタザールは大袈裟に肩を竦めて「見せ付けられたな!」と声を上げると、行儀悪くクッキーを一枚口に咥えて立ち上がった。
パキンとクッキーを割り、彼はやはり兄貴面をしてふふんと尊大に笑った。
「ベルンハルトよ。お前の婚約者の案は、オマケしてギリギリ及第点というところだな。とりあえず今回の件は僕から兄上に手を回しておいてやるから、お前は結婚式の準備に集中すると良いぞ。旧王族たるベルガー家に手を出したのだ。僕が何もせずとも兄上は顔を青くして早々に対応するだろうがな!」
「殿下。我々は遠い昔に王権を放棄し、現王家を支えると誓った日陰の一族でございます。過分なお言葉はどうか……」
「フォルクハルトよ、固いことを申すな。大体な、お前達の初代当主が王家の権利を放棄したいが為に爵位を固辞などするからいかんのだぞ。大人しく辺境伯として侯爵家辺りにおさまっていれば、僕も兄上ももう少し楽が出来たというのに」
「ははは、我々は騎士身分か男爵家辺りでも十分だと今でも思っておりますぞ」
「お前たちがそんなだからフェルゼン家が平民扱いのままなのだ。僕がフェルゼンの乙女たちを娶ろうにも平民だからとなかなか認められん!」
「では諦めて一度どこぞの貴族の養子に入れるしかありませんな」
「えぇい、この話は王都に戻ったら続きをするとしよう。とりあえず僕はザイゼル家とペロー家、それから野盗どもの処断について兄上に手紙を書いてくる。ヴォルフ、お前も手伝いなさい」
姉たちが捕らえた野盗たちを監視していることもあってか、バルタザールに指名されたヴォルフはやれやれと溜め息を吐きながら立ち上がる。
同時にここに来るはずだった人物と姿がいつまで経っても見えないことにふと気付いて首を傾げた。
「うっス。……そういやミア姐さんは?」
「ミアならジャンヌに叱られるのを察して執務室で雑務処理に徹している」
「何それズリぃ」
「案ずるな。後から個別にみっちり詰められるからな」
「う、ウワァ……」
それはそれで怖いなとヴォルフは口元を引き攣らせたが、当のジャンヌ本人は涼しげな表情でお茶を飲んでいる。
そうして今回の襲撃に関する面倒な部分の始末を請け負ったバルタザールがヴォルフを連れて退室し、残った前ベルガー子爵夫妻とベルンハルトはようやく結婚式の準備に取り掛かれると息を吐いた。
が、同席していたマリアとローザは情報量の多さに今にも目を回して卒倒しそうな有り様だった。
ローザはこっそり自分の手の甲を抓って何とか気を保っていたし、マリアは震える指先でベルンハルトのシャツを握りしめていた。
「べ、ベルンハルトさま、あの、先ほど旧王族?がどうのとか、なんだか色々聞こえてしまったのですけれど……っ!」
「あぁ、その話か。ベルガー子爵家の初代当主は王族の生まれでな。だが、政治は性に合わないと城を飛び出し傭兵として各地を回っていたんだそうた。当時の王家が何とかとっ捕まえて、せめて爵位をと言って揉めに揉めた末にこの領地と子爵位を与えたらしい」
それが何か?とベルンハルトは首を傾げているが、マリアにとっては大事だった。
世が世なら、王家の血を引くベルンハルトは王子様と呼ばれていたかもしれないのだ。
そんな人にポッと出の新興貴族である自分などが嫁いで良いものだろうか。
だが、そこでマリアはふと思った。
(でも初めてお会いしたあの時からベルンハルト様は私にとって王子様のようなものだったし、例え王家の血を引いていても今は子爵家の御当主で、この婚約だってちゃんと然るべき機関に届を出して受理されているのだから問題ないのではないかしら)
そうだ。今必要なのは子爵夫人として立派に務めてみせるというマリアの覚悟だけだ。
結婚式では神と領民の前で堂々とベルンハルトへの愛と領地に尽くす覚悟を誓ってみせる。
王都のお父様、お母様、何があってもマリアは絶対くじけないわ。
そう気を強くしたマリアだったが、しかし、同時に向き合わなければならない現実を思い出してキュッと唇を噛んだ。
「ベルンハルト様……、結婚式ですが、申し訳ありませんが支度が間に合いそうにないのです……」
「な、何だって!? ほとんど準備は整っていたはずでは」
「そうなんですが、でも、」
説明しようとマリアが口を開いたのと、慌ただしく使用人が部屋に飛び込んでくるのが同時だった。
「何事ですか。ノックくらいなさい」
ピシャリとジャンヌに言われて肩を竦めた使用人は、眉尻を下げて、でも、と口を開いた。
「も、申し訳ありません。しかし、屋敷の前に領内に滞在していた商人や、領民たちが集まっていて、今すぐ領主様に会わせろと言っていて……」
使用人の言葉にベルンハルトはぐうと喉の奥で唸り声を上げた。
間違いなく今回の件の説明と、結婚式の日程について詰められる。
しかしこれも領主たる己の務め。
ベルンハルトは意を決し、実は今までずっと膝の上に乗せっぱなしだったマリアをそっと降ろして立ち上がった。
「……行ってくる」
その言葉にすかさずマリアも立ち上がってベルンハルトの腕を引いた。
「私も参ります」
「いや、マリアはここで待っていてくれ」
「嫌です。だってこれはベルンハルト様と私の結婚式の話なのですもの。皆に説明するのであれば私も一緒に参ります」
ジッと見つめ合うこと数秒。
二人はお互い真剣に見つめ合っていたはずだが、次第にちょっと気恥ずかしくなって同時に頬を染めて目を伏せた。
そして二人まとめて「さっさと行け」とフォルクハルトに部屋からつまみ出され、使用人と共にそそくさと正面玄関に向かったのだった。




