第55話
「はい……」
そして私たちは、すぐ近くにあった客間に入り、二人で大きなソファの上に腰かけた。エリウッドはゆっくりと深呼吸し、それから天井を見上げ、過去を懐かしむように語り始める。
「こうして二人きりになるのは、どれくらいぶりかな」
「どれくらいぶりでしょう。最後にお話しできたのがいつだったか、もう、忘れてしまいました。エリウッド様は王位を継いでから、内に外に大忙しでしたから。私にも何かお手伝いができれば良かったんですけど……」
「いいんだ。お前はお前で、聖女の役目を立派にこなしてくれている。これ以上望むことはない。……さっきも言いかけたが、近頃は話す時間すら作ってやれなくて、すまないと思っている。ゴタゴタがすべて片付いたら、また以前のようにゆっくりと過ごそう」
ゴタゴタがすべて片付いたら――
その言葉を聞いた時、私の頭によぎったのは、ジェロームのクーデターだった。
本当のゴタゴタは、これからやって来る。
それも、国を二分するほどの大惨事だ。
このことを、エリウッドに話すべきだろうか。
……当然、話すべきだろう。ただでさえ忙しいエリウッドに、更なる難題を吹っかけるようで心苦しいが、こんな大切なことを黙っている方が問題だ。私は慎重に言葉を選び、私の知りうるすべてを、エリウッドに伝えた。
意外にも、エリウッドは冷静だった。
深く瞳を閉じ、「ふぅっ」と息を吐いてから、淡々と口を開く。
「俺の戴冠と時を同じくして、王宮内で大きな派閥闘争が起こった。その争いに負け、それまでいた地位を追われた重臣や将校たちに担ぎ上げられるような形で、ジェロームがおかしな動きをしているのは知っている。少し前から、その動きがさらに顕著になってきており、気を揉んでいるところだ」
「そう……ですか。あの、それで、エリウッド様は、どうするおつもりなのですか……?」
「どうもしない。今まで通り、参謀総長はジェロームに任せる」
「えっ、でも、それじゃ……」
「マリヤ。俺はジェロームを信頼している。内戦など起こせば、多くの民が犠牲になることはジェロームも重々承知のはずだ。そのような修羅の道を、彼が選ぶとは思えない。誰よりも、誠実で優しい男だからな」
「…………」
「ジェロームはもはや俺のことを信頼していないかもしれないが、彼が俺を信じなくても、俺は彼を信じる。腹違いとはいえ、俺の兄だぞ。信頼しなくてどうする。そうだろう?」
エリウッドの言葉は、まるで自分自身に言い聞かせているようだった。とても、『その信頼が裏切られるかもしれない』などとは、口に出せなった。
私に言われなくても、エリウッド自身、その可能性があることは覚悟しているだろう。それでもなお、ジェロームを信じることに決めたのだ。ならば、これ以上何も言えるはずがない。
エリウッドは、どこか自嘲的な笑みを浮かべ、話を続ける。
「いや、『俺の兄』などと、今さら血族の情に訴えるのも卑怯かな。君臣の分別をつけるためという母上の意向で、いつ頃からか、俺はジェロームを兄としてではなく、臣下の一人として見て、尊大な態度で接するようになった」
「…………」
「母上の指導は常に正しかったし、ジェロームもすぐにそれを受け入れ、誰よりも忠実な補佐者となったので、これで良かったんだと思っていたが、いつまでも彼を兄と慕っていれば、俺たちの関係は、あるいはこんなことにはならなかったかもしれない……今さら、詮無いことだが」
エリウッドは、まだ微笑を浮かべていた。だがそれはもう、自嘲的な笑みではなく、たった一人で頂点に立った者の、孤独な笑みだった。
私はごく自然な動きでエリウッドの手を握り、慰めの言葉を発する。
「おかわいそうなエリウッド様。王位を継いでから、あなたはますます孤独になってしまったのですね。唯一、気を許せる身内だったグラディスさんも、ラング王国へと嫁いでいく。それは、パーミルとラングを強く結びつけ、パーミルに大きな国益をもたらすとはいえ、おつらいことでしょう」
エリウッドは、私の手を握り返した。
その彼の手が、ふるふると震えている。
もしかして泣いているのでは?
そう思ってエリウッドの顔を見る。
……エリウッドは、笑いをこらえていた。
「ぷっ……くくっ……マ、マリヤ、先程から、妙にしおらしいとは思っていたが、その貴族の娘のような言葉遣いはどうしたんだ? 顔だけそっくりな別人と話しているようで、絶妙に気持ち悪いぞ」
その言いように若干ムッとし、私はエリウッドの手をギュギュっと握り締めた。
「あつつ、なんて握力だ。少しは加減してくれ」
「あら、エリウッド様は、しおらしい女より、こういう女の方がお好きなんでしょう?」
「すまんすまん、失言だった。……しかし、しばらく話をしない間に、お前の言葉遣いは流麗になった。王宮での暮らしがそうさせたのか?」




