第52話
「いっそ、冷たく突き放していれば、彼女も身の程を悟り、危険な野心など抱かなかったのではと今でも思うわ。人には皆『分』というものがあるのよ。それぞれの『分』をわきまえなくなった時、大抵は悲劇が起こる。わたくしはそれを単なる理屈ではなく、態度でエリウッドに教えたかった。グラディスとジェロームにもね」
「…………」
「その効果は抜群で、グラディスとジェロームは『分』をわきまえ、エリウッドの補佐として生きる道を抵抗なく受け入れたわ。その結果、政権移行時のゴタゴタを乗り越え、パーミルは再び安定期に入ろうとしている。でもね、今、ちょっと困ったことが起こっているのよ」
リザベルトは柔らかなひじ掛けに肘を置き、右手の甲で頬杖を突く。
それから天窓を見上げた。月は出ておらず、暗い夜だった。
「オルソン聖王国との最後の会談以来、従順だったジェロームが、エリウッドに対して明らかな反発の意思を見せ始めたの。マリヤちゃん、ジェロームと接することの多いあなたも、それを如実に感じ取っているはずよ」
「それは……」
「それでもエリウッドはジェロームを信頼して、軍部を統括する参謀総長という立場を任せたけど、最近、その軍部の動きがどうにもおかしいのよね」
「おかしい? 具体的に、どうおかしいんですか?」
「ハッキリ言っちゃいましょうか。謀反の気配があるってことよ」
「まさか、ジェロームが軍部を率いて、エリウッドに反旗を翻すと、そうおっしゃるんですか?」
「まあ、そういうことね。弟想いで、過ぎたことにこだわらないグラディスと違って、静かな怒りを胸に秘めるタイプのジェロームの行動には前々から神経をとがらせていたけど、やっぱり来るべき時が来たという感じかしら」
「そんなの、信じられません。確かに最近、エリウッドとジェロームはうまくいっていませんが、二人は幼い頃から……」
そう言いかけて、私は黙った。私は結局、エリウッドとジェロームが『うまくいっている』場面など、一度も見たことがないからだ。幼い頃は仲が良かったというのも、エリウッドから聞いただけで、私と初めて出会ったときから、あの二人の関係は、どうにもぎこちないものだった。
私の言葉を受け継いだかのように、リザベルトが続きを語る。
「確かに、幼い頃の二人は仲が良かったわ。でもね、楽しげに過ごしながらも、ジェロームの瞳には、隠し切れない執念の炎が、消えることなく燃え盛っているような気がしていた。そしてそれは、思い過ごしではなかったということね」
「執念の炎?」
「ジェロームの母親は、自らが太后になるために、ジェロームに王となるための教育を施していたの。彼女の執念がジェロームの心に宿っているのよ。そして、母を殺したわたくしと、その息子であるエリウッドへの復讐心も、淀んだ泥のようにへばりついているはずだわ。あの子、思いつめるタイプだから」
「…………」
「それでも、いつかは憑き物が落ち、エリウッドの良き補佐者になってくれると期待してたんだけどね。……話を戻しましょうか。ジェロームは馬鹿正直で、小細工を嫌う。謀反を起こすとするなら、暗殺ではなく、軍部を率いて近衛兵団と真正面からぶつかるはずよ。その際、この国がどうなるか分かる?」
「いえ……」
「エリウッド派とジェローム派に分かれ、内戦になるのよ。そうなれば、当然国民も巻き込まれ、多くの死傷者が出るわ」
「そんな、ジェロームが国民を巻き込んで反乱を起こすなんて、考えられません。厳しいところもありますが、彼の心の根底には、人を思う優しさがあります」
「そうね。でも、優しさがあろうとなかろうと、戦いが始まったら、多くの人が否応なくその渦に巻かれ、死んでいくのよ。戦争ってそういうものなの。そして困ったことに、ジェロームには民の犠牲を飲み込んででも事を完遂しようとする鉄の意思がある。もう、いかなる説得も通じないでしょうね」
「説得が通じないなら、どうすれば謀反を止められるのでしょうか……」
「まあ、話し合いが通用しないなら、残る方法はひとつよね。マリヤちゃんも薄々わかっているでしょうけど、暗殺よ」
リザベルトの言う通り、薄々その可能性に気づいていた私は、『暗殺』という言葉が出ても、それほどショックを受けなかった。……いや、あの強いジェロームを殺せる人なんていないだろうから、暗殺に対して現実感がわかないだけなのかもしれない。
何も言葉を返さない私の代わりに、リザベルトは話し続ける。
「ただ、ジェロームはこの国いちの剣の達人。最近は参謀総長として、常に数名の手練れを引き連れており、突然の襲撃に対する備えも万全。飲食にも気を配っていて、毒を盛るのも不可能。暗殺と口で言うのは簡単だけど、現実には相当に難しい。……でもね、一人だけ、ジェロームを確実に暗殺できる人がいるの」
私は、相変わらず黙りこくっていた。
ジェロームの暗殺などという話題で、口を動かしたくなかった。




