第43話
「しかし、酒の席で、自国の王子の顔を傷つけられたのですよ。それこそ、見栄っ張りの彼らにとって、我慢しがたいほどの屈辱のはず。多少の体裁などかなぐり捨てて、すぐに攻め込んでくるのでは?」
「酒の席ってところがいいんだ。エリウッドもそうだが、オルソン聖王国の王子も、かなり酔っていた。未熟な若い王子同士の酔った諍いがもとで、ただちに全面戦争を始めるほどオルソンの王も愚かではない。何より、聖女マリヤの凄まじい破壊の力を目の前で見せつけてきたのだ。奴らだって、そう簡単には動けぬよ」
「理屈としては分かりますけど、少々楽観的すぎる気もします。何もかもこちらの思惑通りになるとは思えませんが……」
「だから、『たぶん』と前置きしただろう。何事にも絶対はない。しかし、少なくとも今夜のところは、心配ないだろう。オルソンの騎馬隊は素早い。激情に任せて攻め込む気なら、とっくに来ているはずだ」
「なるほど」
そこでひとまず、ジェロームは納得したようだった。一瞬だけ表情が緩むが、ジェロームはすぐに顔を引き締め、厳しい目をエリウッドに向けた。
「殿下。先ほどの会食での愚劣な振る舞い。あれは、いったいどういうおつもりだったのですか。何か、深いお考えがあって、やったことなのでしょうか?」
口調そのものは丁寧だが、まるで、石のつぶてを投げつけるような、硬い言葉だった。煮えたぎる怒りを抑えようとし、それでも抑えられぬ感情が、ふつふつと溢れ出しているような言葉でもあった。
これまで、いかなる時もエリウッドに対して平伏し、反抗心の『は』の字も見せなかったジェローム。そんな彼が今、エリウッドを詰問している。その緊張感に、私は身を硬くして固唾を飲んだ。
エリウッドは、先程私にそうしたように顔を伏せ、沈痛な面持ちで言う。
「すまん……」
「『すまん』の一言ですまないことは、殿下も分かっているでしょう。……目の前でマリヤ様を侮辱され、心身煮だつ思いであったのは理解できます。しかしあなたの行動は、マリヤ様を更なる窮地に追い込んだだけだ」
「…………」
エリウッドは唇を結び、反論しなかった。
自分でも、自分のやったことを、よく分かっているからだろう。
「姉上の機転のおかげで、奇跡的に一人の死人も出さずに済みましたが、普通にやり合っていれば、私たち全員、どうなっていたか分からない。何より、そういう状況に追い込まれた場合、マリヤ様も、神聖な破壊の力を人間相手に振るわなければならなかったでしょう。私は、彼女に殺人の業を背負わせたくはない。あなたはどうです?」
「無論、俺だって、マリヤに人殺しなどさせたくはない……」
「そうでしょうか? オルソン聖王国の王子の言う通り、あなたもまた、彼女を、魔人を駆逐するための便利な道具あつかいしているだけなのではないですか?」
「なんだと……」
「私はあなたと違う。マリヤ様と共に魔人討伐におもむき、私が倒せる相手であった場合は、私の手で斬り捨てます。出来得る限り、マリヤ様の手を汚させたくありませんからね。あなたはどうでしたか? 自分の手で魔人を倒すこともできず、彼女に助けてもらったのでしょう? それで、よく正当な王位継承者などと……」
怒りのままに冷たい言葉を投げかけ続けるジェロームの肩を、グラディスが強く引いた。彼女の目は鋭い。先程までの豪快で朗らかな笑顔とは違う、刺すような眼差しだった。
「よせ、ジェローム。言いすぎだ」
しかしジェロームは止まらなかった。
「いえ、姉上。この際ですから言わせてもらいます。病床の国王陛下のご意思を尊重し、正統王位継承者であるエリウッド様のことを、私は影となって支えていくつもりでした。しかしこの腹違いの弟は、短気で傲慢、あまりにも浅はかすぎる。ハッキリ言って、人の上に立つ器ではありません」
「ジェローム……」
「今日の騒動をきっかけに、これからパーミル周辺を取り巻く状況は劇的に変化するでしょう。姉上は、今夜の攻撃はないとおっしゃっていましたが、決して楽観はできません。私は念のため、今から軍隊を編成し、夜襲に備えます。それでは」
そしてジェロームは一礼し、去って行った。
彼の向かう先は砦だ。
いま述べた通り、軍隊を取りまとめるのだろう。
会談に同行した二人の近衛兵も、ジェロームの後を追い、大臣たちは疲れた顔で自らの館に戻って行った。その結果、残されたのは私とグラディス、そして、エリウッドだけとなった。
エリウッドは、唇を強く噛みしめていた。
怒っているようにも、悔しがっているようにも、悲しんでいるようにも見えるが、いったいどういう感情が彼の心の中を渦巻いているのか、明確に悟ることはできなかった。
重苦しい沈黙。
その沈黙を和ませるように、グラディスがあえて軽い調子で言う。
「やれやれ。普段真面目な奴ほど、一度怒ると手が付けられんな。エリウッド、そんなに気にするな。ジェロームも、100パーセント本気で言ったわけではあるまいよ」




