第38話
そこでオルソン聖王国の王子は、初めて私の方を見た。長いまつ毛に綺麗な二重の、相変わらず美麗な瞳ではあるが、じっくりと値踏みをするような、嫌な目だった。私はなんとなく、ここに来るまでの道中で遭遇した魔物の目を思い出した。
「パーミルの黒き聖女、マリアさん。おひさしぶりです。我がオルソン聖王国を追い出されたのに、隣の国であっという間に出世なさるとは、その生命力、まるで野生の獣並みですね。いやいや、本当に驚きましたよ」
先程父親を侮辱されて、まだ怒りが収まっていない様子のエリウッドが、腹立たしそうに言葉を挟む。
「名前を間違えないでいただきたい。彼女の名前はマリヤだ。マリアでもマリナでもない」
今度は、オルソン聖王国の王子が、若干苛立った様子で言い返す。
「誰もマリナだなんて言ってませんよ。私は今、彼女と話しているんです。少し黙っていてもらえませんか。おい、エリウッド君のグラスが空になっているぞ、ワインをついで差し上げろ」
そう指示され、侍女が慌ててエリウッドのグラスにワインを注いだ。きっと、かなりの高級品だろうに、エリウッドは香りを楽しむこともなく、「ふん」と鼻を鳴らし、それを一息に半分ほど飲み込んでしまった。
その間に、オルソン聖王国の王子は私に向き直り、話を続ける。
……それは、驚くべき話というか、あきれ果てた話だった。
「マリヤさん、単刀直入に言いますよ。オルソン聖王国に戻って来なさい。あなたは、もともと我々が異世界から召喚した人間なのですから、そちらではなく、こちらで力を振るうのが正当な形のはずです」
「はぁっ?」
自分の口から、思わず素っ頓狂な声が漏れる。
この、目の前の男は、私を徹底的に侮辱して、『野垂れ死ね』とでも言わんばかりに国から追い出したことを忘れてしまっているのだろうか? ……いや、忘れてはいないでしょうね。さっき、悪びれた様子もなく、『おひさしぶりです』だの、『我がオルソン聖王国を追い出された』だの、平然とのたまっていたものね。
つまり、オルソン聖王国の王子にとっては、私にした仕打ちなど、どうでもいいことなのだ。だからこれほど無遠慮に、『戻ってこい』なんてことが言えるのだ。そもそもこの男は、違う世界から突然連れてこられた人間の戸惑いや苦しみについて、何も考えていない。そのあまりの無神経さに、もう怒りを通り越して、寒気すら感じる。
私の感情は、表情にありありと出ているはずだが、オルソン聖王国の王子はそれに気が付いていないのか、それとも気が付いていてもどうでもいいのか、意気揚々と語り続ける。
「あなたを追い出してから、何度か聖女召喚の儀をおこなったのですが、いや、やはり異世界から人間を連れてくるというのはなかなか難しいものでしてね。どうにも上手くいかないんですよ。まあ、前々回に成功したのも十年前ですからね。その時は、あなたのおぞましい黒髪と違い、輝くような金髪の美しい聖女が……」
「おい、いい加減に黙れ、おしゃべり野郎」
ドスの利いた声で、オルソン聖王国の王子の戯言は制止された。
声の主は、エリウッドだった。
彼の顔を見て、驚く。
赤い。
ビックリするくらい、赤い。
色的には、ほとんどトマトに近い赤さだ。そういえば、さっきから侍女につがれたワインをもの凄いペースで飲んでたけど、この人もしかして、あんまりお酒に強くないんじゃ……
私はエリウッドの肩に触れ、おずおずと言う。
「あの、エリウッド様……? ちょっと飲みすぎなんじゃ……? かなり酔っぱらってるみたいですし……」
「酔ってない。俺は今絶好調だ。ひっく」
「確かにテンションが上がってて、絶好調と言えなくもないですけど。とにかくこれ以上の飲酒は……」
「わかっている。こんな胸糞悪い国で出される酒も料理も、もうひとかけらだって口にするものか。ひっく」
そう言ってエリウッドは、なんと、テーブルの上に乗りあがった。唖然とする私や、他の人たちをよそに、のしのしと歩いて、オルソン聖王国の王子の眼前まで行く。オルソン聖王国の王子は、最初は呆気に取られていたものの、これ以上ない侮蔑の視線でエリウッドを見て、冷笑を浮かべた。
「ふふ、これはこれは……参りましたね。国王は病弱で、その後を継ぐことになっている王子が酒乱とは。遠縁の親戚ということで、今まではなんとかつきあいを続けてきましたが、これからはそのつきあい方を、少し考え直したほうががいいかもしれませんね」
侮蔑の視線を向けているのは、エリウッドも同じだった。彼はテーブルの上からオルソン聖王国の王子を見下ろし、酔っている割には淀みのない口調で言葉を紡いでいく。
「それはこっちの台詞だ。俺はパーミルを属国扱いするお前たちのことが、前々から気に入らなかった。だがそれでも、オルソンとつきあいを続けることが、パーミル王国のためになると思い、頭を垂れ続けてきた。……しかしお前は、大国の権威を笠に着て、今やパーミルの守護の象徴であるマリヤを奪い取ろうとしている」




