第3話
三頭のヘルハウンドは、ゆっくりと近づいて来る。私たち二人に、まったく逃げ出すそぶりがないので、焦って駆け付ける必要もないと言ったところか。
ヘルハウンドが近づくたび、当然、腐臭は強くなり、今、目の前に差し迫っている脅威が、夢でも幻でもなく、現実のものであることが、嫌でも分かってくる。
しかし、私の胸にじわじわと湧いてきたのは、恐怖よりも、怒りだった。
……ある日突然、まったく違う世界に連れてこられて、自慢の黒髪をボロクソにけなされた挙句、追い出され、今度は怪物に襲われて、人生おしまいですって?
「ふざけるんじゃないわよ」
誰に言うでもなく、一人静かにそう言うと、体の周囲が突然、光に包まれた。……いや、違う。『光』と言うには、ちょっと禍々しすぎる。
何故、そう思うのか。
黒いのだ。
この、私を包む光の靄は、黒いのだ。
奇妙な表現だが、『黒い光』と言い表すのが、一番適切だと思う。
黒い光は、私の怒りを具現化したように膨れ上がり、一目散にヘルハウンドに突っ込んでいくと、奴らの巨体を一瞬で飲み込んだ。
気がつくと、黒い光は消滅しており、後にはきれいさっぱり、何もなかった。ヘルハウンドたちの、血も、肉も、そこに存在していたという痕跡すら、残っていない。……文字通り、魔物を完全に、消し去ってしまったのである。
今の今まで震えていた行商人の青年が、ヘルハウンドが今までいた地面と、私の顔を見比べてから、ぽつりと問う。
「今の黒い光……きみがやったのか?」
私も彼と同じように、何もない地面と、彼の顔を見比べてから、ぽつりと言う。
「た、たぶん」
暗くなっていた周囲も、いつの間にか明るく、元通りになっており、爽やかな風が、私の黒髪を揺らした。
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それから一時間後。
私は今、行商人の青年と共に、彼の荷馬車に乗り、のんびりと街道を進んでいる。
偶然にも、彼は私の目的地である『パーミル王国』の商人であり、本当は長い時間をかけてこの地域一帯を回り、商売をするつもりだったそうだが、急遽行商を取りやめ、国に帰ることになったので、私も荷馬車に乗せてもらっているのだ。
コトコトと揺れる、心地よい馬車の振動に身を任せながら、私は青年に問う。
「あの、本当に行商の旅、やめちゃっていいんですか? 私は馬車に乗せてもらえて、とても助かりますけど、この、いっぱいの商品を売りさばけないと、大損しちゃうんじゃ……」
「いいのいいの。引き際を見極めるのも、商人にとっては大切なのさ。さっきも言ったけど、本来安全であるはずの街道に、ヘルハウンドみたいな危険な魔物が出没するのは、ちょっと普通じゃない。こんな時は、下手に国の外をウロチョロしない方がいいんだ」
なるほど。言われてみればその通りだ。
先程は、私の発した『黒い光』で、わけも分からないうちにヘルハウンドたちを撃退できたが、あんな怪物がしょっちゅう現れるような状況で、行商の旅なんて続けられるわけがない。
青年は屈託のない笑みを浮かべ、言葉を続ける。
「命あっての物種だからね。利益率は下がるけど、商品はパーミル国内でさばくことにするよ。……それにしても、マリヤさん、偶然だけどきみに出会えて、本当に良かったよ。僕一人だったら、今頃この馬車ごとバラバラにされて、ヘルハウンドの胃袋の中に収まってただろうからね」
私は彼に倣うように微笑み、首を左右に振った。
「出会えて良かったは、こっちの台詞ですよ。水と食事も分けてもらったし、何よりあなたが通りかかってくれなかったら、私、全然見当違いの方向に歩き続けて、いつまでたっても目的地のパーミル王国にたどり着けなかったかもしれないから……」
そこで、まだ彼の名前を聞いていないことに思い至る。
青年も、ほとんど同じタイミングでそれに気づいたらしく、苦笑しながら言う。
「おっと、そういえばまだ名乗ってなかったね。僕はホランド。パーミル王国の二級市民さ」
「二級市民?」
聞きなれない言葉が出たので、私は思わず聞き返した。
「パーミル王国で暮らす者には、格付けがあってね。何かの商売や、皆のためになることをして、多少なりとも社会の役に立つことができれば、二級市民の資格が与えられるんだ」
「へえ……」
「さらに、国全体の利益になるような大きな商売をする豪商や、高度な医療を提供できる医者なんかは、より貴重な存在として、一級市民の資格が与えられる。一級市民の数は、全国民の二割にも満たないから、言うなれば、他の国の貴族みたいな存在だね」
「ふうん。なんだか身分制度みたいで、ちょっとやだなあ」
「ははは、そうなふうに言う人もいるけどね。少しでも社会に有用なことを証明できれば、僕みたいに他の地域から流れてきた移民でも、すぐに市民の資格が貰えて自由に商売できるから、けっこうありがたい制度なんだよ。パーミル王国で大事なのは『その人に何ができるか』で、人種とか出自は、全然気にされないからね」




