第2話
黙々と歩きながら、ふと思う。あの門番の兵士が、正確なパーミルの方角ではなく、適当な方向を指さしていたとしたら、私はどこにもたどり着けず、このまま野垂れ死にするのでは……?
私は首を左右に振り、嫌な想像を振り払って歩き続けた。
追放された以上、もうオルソン聖王国には入れてもらえないのだ。
胸の中は不安でいっぱいだが進むしかない。
一瞬だけ、『踵を返して城壁に戻り、門番に泣いて喚いて必死に哀訴ずれば、中に入れてもらえるかもしれない』という卑屈な考えが頭に浮かんだが、私はすぐに、このみっともない発想を打ち消した。
私にだってプライドがある。
何も悪いことをしてないのに、あれだけボロクソに言われたのよ。
あんな国の連中に助けを乞うなんて、死んでもごめんだわ。
……だが、そんな孤高の闘志も、食事なしで四時間も歩き続けると、徐々に萎れてきた。
お、お腹すいた……
足が痛い……
喉も乾いた……
や、やっぱり、必死に頼み込んで、水と食料くらいは分けてもらうべきだったかも。太陽の位置から察するに、今、お昼の12時過ぎってところかしら。はぁ……お昼ご飯、食べたいなぁ……
その時だった。
遠くからかすかに、カラカラと何かが転がる音が聞こえてくる。
音の正体は、すぐに分かった。
目を凝らすと、視界の果てに、小さな荷馬車が見えたからだ。
荷馬車のスピードは、私が思っているよりもずっと速く、あっという間にこちらに接近し、馬の手綱を引いていた青年が、にこやかに挨拶をしてきた。
「やあ、こんにちは。女性の一人旅とは、めずらしいね」
その朗らかな口調には、オルソン聖王国の王子たちのような、差別的な色合いはまったく含まれておらず、とりあえずホッとする。
この青年は、髪の色で人を見下すような連中とは違うようだ。見た目も優しそうだし、事情を説明すれば、水と食料を分けてくれるかもしれない。
そう思ったときにはもう、私の口は自然に動き、これまでのことを青年に語っていた。道の真ん中でいきなり自分語りを始めた女に、青年は少し面食らっていたが、私が異世界からやって来た人間だと知ると、興味深げに耳を傾けてくれた。
「へえ、なるほど。どことなく、僕たちと雰囲気が違うから、最初は遠い外国から来た人なのかと思ったけど、まさか、違う世界から来たとはね。……しかし、それにしても災難だったね。よりによって、『黒髪嫌い』のオルソン聖王国に召喚されてしまうなんて」
私に同情しているのか、情け深い視線を向けてくる青年に、気になっていたことを聞いてみる。
「あの、オルソン聖王国の人たちは、どうして髪の黒い人が嫌いなんですか?」
「さあ? 昔からそうだから、誰も、詳しい理由なんか知らないんじゃないのかな」
「えぇ……じゃあ、理由らしい理由もないのに、私、ボロクソに言われたんですか……」
「差別の原因なんて、だいたいそんなもんだよ。そんなことより、ここまで飲まず食わずで歩いて来たなら、さぞ疲れただろう。僕は行商人でね。売り物だから全部と言うわけにはいかないが、水と食料を少し分けてあげるよ」
う、嬉しい……
この世界に来てから、初めて人の優しさに触れ、思わず涙が出そうになる。圧倒的な空腹ゆえに、分けてもらった食べ物を、あっという間に平らげた私に、青年は好奇心旺盛な瞳を向け、尋ねてきた。
「えっと、マリヤさん、だっけ? きみ、聖女として召喚されたってことは、やっぱり強力な魔法とか、使えたりするのかな?」
「まさか。今までの人生で、魔法なんて一度も使ったことありませんよ」
「そうなのかい? でも、違う世界からこっちの世界に召喚された人は皆、非凡な魔力の持ち主だって噂を聞いたことがあるんだけど……」
その噂が本当なら、私にも何か、強力な魔法とやらを使う才能があるのだろうか。そうであれば、この見知らぬ世界で生きていくために、大きな助けとなるのだが……
そもそも、魔法ってどうやって使うんだろう?
やっぱり、呪文とか唱えないと駄目なのかな。
そんなことを思っていると、何やら異臭が漂っていることに、気がつく。
何これ……
卵が腐ったみたいな、嫌な臭い……
いや、おかしいのは臭いだけじゃない。
まだ昼下がりだというのに、この辺りだけ妙に暗いのだ。
訝しんでいると、行商人の青年が、上ずった悲鳴をあげた。
「う、嘘だろ。こんな明るい時間に魔物が出るなんて……」
彼の視線の先に、私も目を向ける。
そこには、赤黒い毛並みをした狼が、三頭いた。
……いや、あれは本当に、狼なのだろうか?
私は別段、狼に詳しいわけじゃないけど、それでも大体の大きさくらいは知っている。……視線の先にいる三頭の狼は、どう見ても体長が3メートル以上はあり、いくらなんでも、大きすぎる。その巨体は、もはや狼と言うより怪獣と表現した方が適切だろう。
三頭は、ニタリと笑うように口を大きく開き、こちらを見て、ボタボタとよだれを垂らしている。さっきから漂っている嫌な臭いは、彼らの口臭だったのだ。私は行商人の青年に、問う。
「あれ、なんです? 普通の狼……じゃないですよね?」
青年は哀れなほどに震えあがりながらも、私の質問に律儀に答える。
「そうか、きみは違う世界の人だから、知らないんだね。あれは、ヘルハウンド。さっきも言ったけど、魔物だよ。それも、とびっきり凶悪な奴だ。いったい、どうしたんだろう。本来なら、こんな明るい時間……それも、街道の途中なんかに現れるような魔物じゃないのに……」
「とびっきり凶悪な魔物……ですか。もしかして私たち、かなり危ない状況だったりします?」
「もしかしなくても危ないよ! ヘルハウンドは俊敏で、口からは火を噴き、その牙は岩石を豆腐のように噛み潰してしまう恐ろしいモンスターなんだ! この距離じゃ、もう逃げることはできない。正直言って、僕たちはおしまいだよ……」
そう言って泣き崩れる青年とは反対に、私の頭は妙に冷めていて、『異世界にも豆腐ってあるんだ』なんて、どうでもいいことを考えていた。……たぶん、あまりにも非現実的な状況に、思考力がついて行かないのだろう。




