人食いクリオネとフライングタイガー
改装されるM113ペイルライダー、反乱軍は次なる作戦に向け、戦力の強化を行う。
姿なき襲撃者である反乱軍の、神出鬼没な戦いに業を煮やしたオズワルド長官の元に、カルテルよりの使者ゾルゲが現れる。
二人の密談が、反乱軍と死神の運命を大きなうねりに巻き込み、飲み込んでいく…
政府軍きっての智将、フライングタイガーが反乱軍の前に立ちはだかる。
次回『痴将』(嘘)
ホセ司令が飲む三日月亭のコーヒーは、苦い。
爆乳酪農家狙撃兵ホルスタイン零-zero- 第三話 「伏魔殿」
地下に隠蔽された第二倉庫の薄暗がりの中でホセ指令がせわしなく動いている。
「あぁ...もぅ、あと少し予算があれば...第三倉庫の資材を使えば...いや、あれは強度が足りないか...」
右手で電卓を叩きながら、電卓を持つ左手にはお気に入りの金の懐中時計も握られている。
「ええと...先日の補給部隊を襲って手に入れた資材の中に補修用の装甲板があったっけな...あれを使って、あ...ダメだ...いや、そうだ! 余裕のあるエチルアルコールを売れば補強個所の半分ぐらいの予算には...」
ブツブツと呟きながら手元の懐中時計の鎖を指に巻き付け、弄ぶ。
指一本で器用に時計の蓋をカチカチと開けたり閉じたりする、リズミカルなその音を聞いていると、何となく心が落ち着くのだ。
ホセ指令が深く思考している時の、彼のちょっとした癖だ。
背後の鉄のドアがガチャリと開く音がする、誰かが入ってきたようだ、といってもこんなかび臭い地下倉庫に資材搬出でもないのにわざわざ入ってくる物好きには一人しか心当たりはないのだが...。
「よお、やっとるなホセ、ご苦労さん、ほれ差し入れだ。」
大柄ないかにも歴戦の軍人といった風体の男が両手に三日月亭のロゴマークが入ったテイクアウト用カップを二つ持って立っている。
カップの一つ、コーヒーと書かれたカップを確認し、ホセに差し出す、もう一つの紅茶は自分用だ。
「ああ、ありがとうラグ、しかし今更だけど、もう少し予算と資材はどうにかしたいところだねぇ、補強工事の資材確保もままならないよ。」
「資材の方は前回の補給部隊襲撃で分捕った資材でだいぶ潤ったんだろう? 」
紅茶のカップをふーふーと息を吹きかけつつすすりながら尋ねるラグランジュ、ちょっと熱い、彼は猫舌なのだ。
「うん、鹵獲した輸送トラックと護衛の装甲車、積み荷の燃料弾薬食糧はありがたい戦力になるんだが、やはりそれだけではね...金も無し資材も無し...我泣き濡れてじっと手を見る....って心境さ。」
コーヒーの芳香が鼻を抜け少しだけホセの表情が柔らかくなる。
「まぁウチらゲリラ屋の宿痾みたいなもんだからな物資不足は、近隣の協力してくれている村々からの救援物資もあるが、どこもそれほど余裕があるわけじゃない...」
「そうだね、まぁ愚痴を言っても仕方がない、無けりゃ無いでなんとか帳尻を合わせるのがボクの仕事であり腕の見せ所さ。」
「とりあえずウチの虎の子の装甲車の追加装甲案はどうなった? あれが使えるようになれば多少強引な突撃戦術も可能になるし防御力が増すことで戦力の無駄な消耗も抑えられる、現場指揮官の俺としては最優先でやってもらいたいのだがな。ちぇっ、ガンドロワめ、あれほどぬるめにしてくれと言ったのに...」
火傷した舌を出しながら、装甲車を見るラグランジュ。
「うん、そっちは何とかなりそうだ、零君がオープンカーにしてくれた重戦車の装甲を切り出して今加工してもらってるところだ、まぁ追加装甲といっても切り出した装甲板を溶接とボルト止めしただけの雑な改修工事だけどね。」
チャラチャラと指令の手元で懐中時計の金の鎖が弄ばれ天井の照明を反射してキラキラと輝いている。
「現地改修型ってわけだ、戦場じゃ珍しくないさ、意外とそういう必要に迫られてでっちあげた兵器の方が頼りになったりするもんだ。」
照明の下に鎮座する装甲車M113 装甲兵員輸送車 が鈍い光を反射する。
この車両にはラグランジュ大佐によりペイルライダーの愛称が付けられている、反乱軍の虎の子の貴重な装甲戦力の一つだ、これ以外にも2両の装甲車と1両の対空戦車を保有しており、それぞれに黙示録の破滅の四騎士の名が冠せられていた。
「改修だけど、君の意見を取り入れてただ貼り付けるだけじゃなく本体のアルミ合金製装甲と追加装甲の間に少しスペースをあけて数センチ浮かせるように取り付けて、かつ追加装甲には傾斜角を持たせる予定だけど、それで良いんだよね?」
ホセが意見を求める、こういう部分は実務屋であるホセより長年の経験と正規の職業軍人たる知識に裏打ちされたラグランジュ大佐のほうが的確な判断を下せることを理解していたからだ。
「ああ、それでかまわん、ただ貼り付けただけじゃ弾丸の衝撃で車体ごと変形したり、衝撃波で中の乗員が脳震盪を起こしたりする場合があるんでな。」
「M113のような従来のアルミ合金装甲車は、元々「7.62mm小銃弾まで」を防ぐのが精一杯でな。それ以上の口径弾を食らうと、アルミの車体は豆腐のように貫通しちまう。」
「追加装甲板を付けることでこれが「外殻」となり、12.7mm徹甲弾クラスの運動エネルギーを削ぎ落としたり、弾芯を砕いたりする役割を果たしてくれる。傾斜角を持たせることで避弾経始の効果を持たせるんだ。」
「アルミ車体の役割はこの場合元々の装甲車が持っている構造材としての役割になるな。ようするに車体が衝撃で歪んだりしないように支える役割だ。」
とさすがの専門的見解を述べるラグランジュにホセも頼もしそうな目を向ける。
「さらに本来の装甲と追加装甲の間に適度な空間をはさむことでHEAT弾対策のスペースド・アーマー(空間装甲)としての役割も期待できる、だろ?」
いたずらっぽい表情のホセ指令にラグランジュも応じる。
「ほぅ、分かってるじゃないかホセ。」
「ハハッ、君にばかり負担をかける訳にもいかないからね、『兵器についてはチンプンカンプンです』、では司令官としてちょっと問題あるし、時々勉強はしてるんだ。」
その言葉に満足げに頷きつつ。
「そういやコイツ、4万ドル(約640万円)でお前が調達してきたんだったな...」
と問う大佐。
一般的なM113の中古市場価格は程度の良いもので武装付きなら10万ドル(約1,500万円)以上あたりが相場だ、半額以下のあり得ない破格の値段で上物の装甲車をどこからともなくホセ指令が調達してきた時は大佐も舌を巻いたものだ。
驚いて「どこからこんな上物をそんな捨て値で入手してきた?」
と大佐が思わず口にしたのも当然の反応といえる。
「ああ、まぁちょっとした昔のツテでね、出所は聞かないほうが良いね、どうしてもと言うなら教えようか? ボクの共犯者になってくれるんなら大歓迎だよ?」
と意味ありげに笑うホセの顔を見て冷汗が出たものだ、もちろんそれ以上出所は聞かなかった。
ふとそんなことを思い出して苦笑するラグランジュ大佐。
「改修が完了するのが楽しみだ、完成したらこいつの名前、スーパーペイルライダーってのはどうだ? かっこいいだろう?」
ようやくちょうどいい温度になった紅茶を飲みながらそう宣言する。
「やれやれラグ、君のヒロイックネーミングセンスも相変わらずだねぇ、そういうの、日本じゃチュウニビョウっていうらしいよ? また零君に笑われるんじゃない?」
「なんとでも言え、勇ましい名前の付いた兵器がもたらす兵士達への士気向上効果ってのは意外とバカにならんのだぞ?」
これは事実である。
「ははっ、まぁネーミングに関しては前線指揮官殿にお任せするさ、さて、いつまでも休憩してちゃ終わらないし、もう一踏ん張りするとしようか。」
コーヒーのカップを屑籠に入れると、ホセは腕まくりしながら再び電卓との格闘を再開するのだった。
◆◆
政府の最高機密施設の一室。 防音の効いた静寂なラウンジであるにもかかわらず、中央情報統括庁長官オズワルド・ベッカーの太った巨体は、怒りと苛立ちで細かく震えていた。
「クソッ…! どいつもこいつも役立たずめ…!」
でっぷりと肥え太った指で、スイスの高級ブランド――ダビデフの特製葉巻を、芋虫のように太い彼の指がペキリと折りつぶす。
パリパリと乾いた高級な葉が砕ける乾いた音を立てて、一本数十ドルもするそれは見るも無惨にへし折れ、高級絨毯の上にボトリと落ちた。
この男が今ゴミにした高級葉巻一本はこの国の子供たちの一週間分の生活費として十分な金額だ。
だがそんなことはこの男の意識の中にはもちろん無い、前線の部隊は不甲斐なく、反乱軍はしぶとく政府の神経を逆撫でしやがる。
このままでは現場の失態が自分の首を締めかねないという焦りが、オズワルドの巨体をいら立たせていた。
「これ以上、あの無能どもの不始末に付き合わされるのは御免だ。早くあの厄介者どもを根絶やしにして、すべてを闇に葬り去らなければ…」
毒づきながら、オズワルドが別のダビデフに火をつけようとした、その時。
カチャリ、と重厚な防音ドアが音もなく開いた。
「――こんばんわオズワルド長官...おや、ご機嫌斜めの御様子ですな。」
ねっとりと湿度の高い、這い寄るような声が部屋に響く。
顔を上げると、そこには仕立ての良い特注のスーツに身を包んだ男――カルテルの特命使者、ゾルゲが立っていた。
骨と皮ばかりの貧相な顔立ちは、オズワルドの権力を前にして、まるでネズミが獲物を品定めするかのように細められている。
ゾルゲはオズワルドを常に下からねめつけるようにじっと見上げながら、指先でギラつく高価な宝石の指輪を弄んでいた。
オズワルドはこの男が嫌いだった、自身の地位を守るために利用してはいるものの、どうにもこの男の粘り気のある眼光は好きになれない。
「やぁゾルゲ、こんばんわ、よく来たね、まぁ掛けたまえ。」
とソファを進める。
好きにはなれん男だが、利用価値はまだまだある、あえて関係を悪化させる必要もない。
「これはどうも、痛み入ります...」
薄気味悪い笑みを貼り付けたまま、ゾルゲは背虫男のように背中を丸めたままスルスルと歩み寄り、オズワルドの向かい側のソファに腰を下ろす。
ソファについたゾルゲに葉巻を勧める。
「いえ、遠慮しておきます、私は嫌煙家でして、タバコは体によくありませんからな、長官も葉巻の吸いすぎには気を付けることです...ああ、ですが吸いたいのでしたらお気遣いなくご自由にどうぞ。」
まったく、何を言うにしてもいちいちこの男の物言いは神経をいらだたせる。
オズワルドが不機嫌そうにダビデフの煙をふかしながら目を細めると、ゾルゲは懐から一通の分厚いファイルをとりだし、テーブルの上に静かに滑らせた。
「今夜は長官にまずは機嫌を直していただかないといけませんな、あの反乱軍どもを何とかしたいのでしょう? 我がマスターよりこちらを預かってきております。」
「このファイルは....?」
オズワルドの手が書類の束を拾い上げ、視線を走らせる。
「反乱軍は神出鬼没でいまだその本拠地すら分かっておらぬそうですな...しかしならばこちらから誘い出してやればよいのです。」
ゾルゲが指にはめたゴテゴテとした指輪の宝石を撫でまわしながら告げる。
「ふむ...反乱軍どもを誘い出す...しかし誘い出したところであの忌々しい死神がいる限り殲滅は容易ではないぞ? なにか策でもあるのかね?」
ゾルゲが含み笑いをする。
「ええ....その為に長官には我が組織の目玉新商品も戦力として提供させていただきますよ、そしてそれを見て頂ければお分かりになられると思いますが、すでに作戦も出来上がっております、あとは長官のご決断次第という訳でして...」
オズワルドの視線がゾルゲに向けられる。
「なるほど...面白い作戦だ、君達にとっても最高の新商品PRになると。そしてその戦果をアピールして商品....兵器をまた我が国のような紛争国に売り込んで濡れ手に粟の利益を得る.....君達にとってこの国は良く肥え太った豚でそこに寄生して骨の髄までしゃぶり尽くすという訳だ。」
オズワルドのちくりとした皮肉を全く気にも留めずゾルゲが笑う。
「それはお互い様でしょう長官? まさかご自分は清廉潔白だとでも? この国の民の生き血をすすっていないとでも?」
「まさかいまさら聖人君子ぶるおつもりですかな? そもそも今あなたが座っているその席も我々の援助がなければ...」
「分かった、もうその話はやめよう。それよりもこの資料について詳しい話を聞かせてもらおう。」
この国の政治とカルテルはもはや不可分に結びつき、完全に癒着しているのだ...。
国を宿主として生き血をすする寄生虫組織と、その寄生虫を利用して自らの私腹を肥やそうとする個人、はたしてどちらが主でどちらが従なのか、そしてどちらがより醜いのだろうか...。
「資料にはすでに諜報戦を仕掛けて奴らにエサを撒いたとあるが...。」
「ええ。――例の『死海文書Ver2』の件ですがね、仕込みは万全です。我が方の工作チーム、あえて囮の暗号乱数表を持たせたまま奴らの縄張り近くで行動させた偵察小隊ですが、こちらの思惑通り奴らに襲撃されて全滅し、首尾よく乱数表も奴らの手に渡ったようです。」
「反乱軍の暗号網に流し込んだあの完璧な餌に、奴らの通信班は見事に食いつきましたよ。捨て駒となった偵察小隊の兵達もあの世で喜んでいることでしょう。」
ゾルゲはギラつく指輪を嵌めた指で、ファイルをトントンと軽く叩く。
「反乱軍の連中は、それが政府から盗んだ重要な機密だと錯覚している。喜んで指定の渓谷へまっすぐ向かってくるでしょうな。」
オズワルドの顔に、先ほどまでの苛立ちが消え、じっとりと下卑た笑みが浮かび上がる。
「ほう…。あの忌々しいゲリラ屋崩れどもが、自ら墓穴を掘って渓谷へ向かってくると?」
「その通りです、すべては我々の『台本通り』に動いている…奴らを出口の狭い渓谷へと誘導します、その上で渓谷の出口を塞ぎ包囲殲滅する。」
「我が組織の自信作...パワードスケルトンは動くトーチカです、奴らの雑多な小火器程度ではスケルトンの堅牢な装甲には歯が立ちはしません。」
「袋のネズミ、いやドブネズミとなったところでスケルトンの12.7mm重機関銃の雨を浴びせてやるだけです。反乱軍の主力も、前線の無能な部隊も、まとめて一網打尽にできますよ長官。」
ゾルゲが下からねめつけるような目で微笑むと、オズワルドは愉快そうに巨体を揺すって笑い声をあげた。
「フハハハハハ! いいぞ、ゾルゲ君! それだ、それが聞きたかった! 奴らの装備などたかが知れている。せいぜい民間のトラックに毛が生えた程度のガラクタだろう。」
「そんな連中がハイテクの鎧、パワードスケルトン相手にどこまで耐えられるか、見ものだな、この作戦通りに行けばあの忌々しい死神も無力化できる、いや、それどころか死神を仕留めることすらできるかもしれんぞ?」
「そうなれば私にとって勲章ものの輝かしい戦果となる...まさに完璧な作戦じゃないか!!」
「ええ、逃げ場などどこにもありませんよ、死の渓谷ですからね。完璧に、美しく、反乱軍の歴史を終わらせてみせましょう――」
ゾルゲの眼が、ねっとりとした光ょ帯びる。
「我が組織の製品の良い宣伝映像が撮影できることを我がマスターは希望しております、そのためにもぜひとも長官のキャリアのためにお力になりたい...ともおっしゃっておられます。」
「ですがその代わり、作戦成功の暁には我が組織の新製品パワードスケルトンの国軍への導入のお口添えをして頂きますぞ。なんせ天文学的な開発費用がかかっておりますのでな...。」
「分かっているよ、ところでこの作戦指揮官なんだが、うってつけの男がいる、最近特務上級少佐に昇進したフェルナンド・ガルシアという男なんだがね。おべっかとゴマすりしか能のない男だ。」
「なにかあったらこいつにすべての責任を押し付けてスケープゴートにしても全く惜しくない、最悪戦死してもかまわん人材だ...」
二人のねじ曲がった笑い声と不快な煙が、ラウンジの空気を黒く染め上げていく。
自分たちが完璧な死の舞台を用意したと酔いしれる寄生虫二人、不快なこの企みと打合せは深夜にまで及び、二人が祝杯を挙げるころには空は明るくなりつつあった。
◆◆
そのフェルナンド・ガルシア特務上級少佐の下に部下から届けられた作戦指示書が握られていた。
作戦指示書に目を通しながらニヤニヤが止まらない、傍らのテーブルからジャックダニエルの瓶を取りコップに注ぐ、今日は前祝いだ。
その様を見た基地副指令がとがめる。
「ガルシア少佐、いくら何でも勤務中の飲酒は不真面目すぎるのではないか? 軍規というものも考えて頂きたい。」
「まぁ良いではないか、君も一杯どうかね?」
ガルシアがダニエルを差し出すが副指令は即座に断る、当然だ、周りにはその様子を見ている兵達もいるのだ。
「結構、それよりも今すぐその不謹慎な態度を改めて頂きたい!」
副指令の声に怒気が宿る、最近基地に赴任してきたこの男、特務上級だか何だか知らないがやりたい放題が過ぎる。
特務上級、とは本来この国の軍階級には存在しない最近新設された特殊な階級だ。
政府が指定する軍人に与えられる肩書だが、実際の階級よりもワンランク上の権限が与えられている。
つまりこの男、フェルナンド・ガルシア少佐は事実上中佐として扱われる。
それだけではない、特務上級に認定された者にはその場での前線即決軍法会議の権限まで与えられている、事実上いつでも周りの軍人を射殺することが許されているのだ。
ムチャクチャである。
憲兵ならまだしも一指揮官がそんな権限を乱用したら軍規以前にただの恐怖政治であり士気も下がるだけだろう。
そもそもこの肩書自体が軍への貢献や実績、能力で判断されるものではなく、ようするに政府やカルテルの指示に、ただ素直に従うだけのイエスマンに徹しているだけの人間に与えられるものであることは軍内の常識である。
この男がこの基地に赴任してくる前に配属されていた部隊における、彼の部下たちから進呈されたあだ名は「最後列の勇者様」「フライングタイガー殿」だったことはあっという間に広まり、今ではこの基地の新しい部下達もこの皮肉交じりのあだ名を陰で使っている。
常に安全な後方の指揮所テントや指揮装甲車から決して出ようとはせず、前線の兵達を臆病者だの命令違反の無能だのと罵るだけのこの男にはふさわしいニックネームだろう。
フライングタイガー殿は第二次世界大戦初期(1941〜1942年頃)、中国国民党軍を支援するためにアメリカ人パイロットで極秘裏に組織された義勇軍「飛虎隊」 を指している。
実際の撃墜数に比べ、彼らが本国やメディアに報告した戦果は数倍から十数倍にまで水増しされており、当時の連合国軍にとって格好の「英雄プロパガンダ」として利用された。
米国政府と中国側の思惑もあり、その戦果は過大に宣伝されることが多く、他部隊や軍の内部からは「実態の伴わない大ぼら吹き」「名前ばかりが先走る虚勢の部隊」として、陰でかなり冷ややかな視線を向けられていた。
要するに口先だけ勇ましいこの男を、やはり揶揄するあだ名といえる。
しかしこのあだ名で陰口をたたく部下の話を聞きつけたこの男は「どういう意味か?」とその中国系部下に問い詰めたらしいが、その部下の返答がふるっている。
「わが祖国中国には『虎に翼を与えてはいけない』という諺があるのであります! ただでさえ強い虎に翼が付いたら強すぎて手に負えなくなる、という意味であり、日本語の鬼に金棒と似たような意味であります!!」
「特務上級少佐殿の武勇にはふさわしい異名であると皆で感心していた次第にあります!!」
ときたもんだ。
この笑える言い訳を聞いたこの無知で教養のない無能な男はその言葉をそのまま真に受けて、すっかり上機嫌で以後は自分から「フライングタイガー」の二つ名を周りに吹聴しては失笑を買っている。
そんなイエスマン、もとい勇猛果敢なフライングタイガー氏は目の前の現場経験豊富な同僚少佐をめんどくさそうな表情で見やる。
磨き上げられたブーツの先端を組み、これ見よがしに胸元の特務上級者を現す特別な徽章を指で軽く弾いてみせる。
「――おいおい、副指令君、言葉の端々に敬意が足りないんじゃないかね?
確かに俺と君は形式上では同じ『少佐』階級だがね、俺の階級は『特務上級少佐』なのだよ、分かるかね?」
「一般的な少佐殿とは権限の重みが違う、実質的には中佐待遇、しかも前線での即決軍法会議の権限まで中央から直接預かっている身だ。」
「つまりだ、君のその俺に対する口のきき方は、そのまま上官に対する『不敬罪』としてこの場で俺が合法的に処断しても誰も文句は言えないわけだが…?」
フェルナンドはねっとりと厭味たらしい笑みを浮かべ、冷や汗を流す同僚の肩をポンポンと叩く。
「まあ、こう見えても俺はフライングタイガーの二つ名と人柄で、部下からも慕われるほど器が大きいことで有名な男だ、今回は大目に見ておくよ。」
「俺の立てたこの完璧な作戦を、しっかりアシストしてくれたまえ。『最後列…いや、最前線を統括する特務上級少佐殿』を失望させないことだよ、『ただの』少佐君?」
そこに基地の司令官が入室してくる。
室内に漂う微妙な空気に気づいて
「なにかあったのかね?」
と問う司令官。
座っていた椅子から飛び跳ねるように立ち上がったフェルナンドは、抜け目なく後ろ手でジャックダニエルとグラスを隠しつつ答える。
「いえ! なんでもありません大佐殿! ちょっと軍規を乱す不届きな兵がいたので軽くお説教をしていただけであります!!」
「そうか...まぁ多少は息抜きも必要だから、私はあまり細かいことを言うつもりはないが、限度というものはあるからな、君のように目を光らせてくれる者も必要なのだろうな。」
「はっ! お任せ下さい! 自分の眼が黒いうちは、大佐殿が預かるこの基地の規律は乱させはしません!!」
直立不動で答えるこの男の呆れた態度に居合わせた人間は誰一人として何も言わないが、その視線は冷めきっていた。
大佐が退室するとまたドッカリと椅子に深く身を沈めてグラスに手を伸ばすが、すぐに思い直して傍らの少佐に命じる。
「おい少佐、俺の私室の戸棚にこいつをしまっておいてくれ、またいつ大佐殿が帰ってくるか分からんからな、今日の所はこれぐらいにしておいて、本格的な祝杯は作戦が終わった後の祝賀パーティーで楽しむとしよう。」
傍にいたお付きの副官がグラスを手に取ろうとするが、フェルナンドはそれを止める。
「おい、余計な真似をするんじゃない、聞いていなかったのか? 俺は少佐に命じているのだ、『ただの』少佐君にな。」
ニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべながら少佐に向けて顎をしゃくる、わざと恥をかかせようとしているのだ。
少佐は黙ったまま副官を制して、グラスとボトルを持って退室していく。
(自分で片付けようとしてまた廊下でバッタリ大佐殿と鉢合わせしてはかなわんからな、あいつなら鉢合わせしても奴の失態ということにすればいい、なぁに文句があるなら上官不敬罪とか適当な理由で軍法会議を盾に脅せばいいだけだ...)
そんな計算をしながら、含み笑いを漏らす。
(ふふふふ...俺にもツキが回ってきたな、特務上級少佐への事実上の昇進に喜んでいたらこの作戦への指揮官配属命令とは...)
(完璧な作戦だ、この作戦を成功させれば軍内での俺の発言力はますます上がる、異例の次の即昇進もあり得るぞ、この実績を背景に政界に進出するのも悪くない...)
(ゆくゆくは上院議員、いや、この国の次期大統領の椅子だって夢じゃないかもな...)
甘い夢想に浸るフェルナンド・ガルシア特務上級少佐は周りの冷たい視線には気づかない。




