鎖
二ヶ月後――
村には多くの人間が行き交い、子供たちがボロボロのサッカーボールを追い、歓声を上げながらその間を縫って走り抜ける。
子供たちを避けようとした男がバランスを崩して荷物を落とし、「こらぁー!!」と怒声を張り上げるが、「ごめんなさーい」と子供たちは悪びれる様子もなく笑い声を上げて走り去ってゆく。
慌てた様子で一人の村人が走ってくる。
「おーい!! 謝肉祭で使う資材を取りに行く!! 手の空いてる奴は手伝ってくれ!!」
大きな声が往来に響き渡る。
その言葉と同時に、行き交う人々の表情に緊張が走った。
往来にいた何人かの男たちは手近な民家に飛び込む。民家の入り口にいた女性が近くの男に手招きをし、男は開け放たれたドアに消える。
三日月亭の中でもその声を聞いた途端、食事をしていた客の何人かが慌ててカウンターの奥へ向かう。カウンターの戸棚やワインセラーの裏には、巧妙に偽装された隠しドアがあり、内部は数人が身を潜められるシェルターになっている。
席に着いたばかりだったガブリエルとミゲルもシェルターに入ろうとするが、今日は不知火隊員が多く、店内のシェルターはすべて満員だった。
ガンドロワがガブリエルの襟首をひっつかみ、強引に生ごみ用のゴミ箱へ放り込み、乱暴にフタを閉じる。
ほどなくして、ガンドロワお気に入りの、ドアの鈴が鳴り、二人の兵士が入店してくる。
政府軍の正規兵だ。自動小銃を携え、店内をぐるりと見回す。
「監査だ、オヤジ。いつもの質問だが、このあたりで何か異常はなかったか? 不審な人物は見てないな?」
ガンドロワは顔をしかめつつ答える。
「不審者だと? ああ、見たぜ。たった今ドアを開けて入ってきた、いけ好かない男が二人ほど俺の目の前に立ってるよ。」
二人の男は何とも言えない表情でその言葉を受け止める。
「ご挨拶だな…まぁそう邪険にせんでくれ。俺達だって好きでやってるわけじゃ…」
「オイ…!!」
もう一人の男が言葉を遮る。
「…喉が渇いたな。ちょうどいい、一休みしていくか。そこのウェイトレス、エールを頼む。」
近くの壁際に立っていたフレアスカートの若い娘に声をかける。しかしその兵士たちの前に、ガンドロワがすかさずジョッキをドンッと乱暴に置く。
「ほれ。悪いな、あの娘は最近入ったばかりでまだ仕事に慣れてねぇんだ。強面の正規兵様の相手をさせるのは酷ってもんだ。それよりエールなんかより、うちの看板酒を試してみねぇか? そっちなら奢るぜ。」
「やれやれ、イタズラはよしてくれ。エル・ウラカンの噂は知ってるよ…にしても親父の給仕か。色気のねぇサービスだ。そういえばこの村は最近少し村人の数が増えているようだが…」
ジョッキを口に運びながら、もう一人の男が聞く。
「ふん…あんたら政府軍が難癖付けて焼き払った付近の村からの難民が流れ込んできてるのさ。つい先月も、食料や物資の供出を断った村を政府に非協力的だって理由で焼き払ったそうじゃねぇか。えぇ?」
仕込みをしながら目線も合わせずに、ガンドロワが非難の言葉を向ける。
「ああ…どこの村も貧しい。余裕なんてそうそうあるもんじゃない。村人だって政府に協力してりゃ安泰は保証されるんだ。出せるもんなら出したかっただろうよ。分かってる…」
その言葉に怒るでもなく、二人の男は目を伏せ気味に答える。
ガンドロワが二人の顔をじっと見る。
「ふん、あんたらにも事情がありそうだな。これ以上は責めねぇよ。政府にもできる限りの協力はするさ。焼き払われたくねぇからな…だけど見ての通り、あんたらは少なくともここじゃ歓迎はされてねぇ。それ飲んだら出てってくんな。」
そっけなく言い放つ。
「ああ、歓迎されてないのは分かってるさ…分かってる。」
ジョッキを飲み干した二人の兵士は店内を改めて見回す。
隅のテーブルでマントを羽織った若い女が、ほっぺを膨らませて黙々と食事を続けている以外は、平和なものだ。不審者は見当たらない。
まぁ、その若い女の食事姿も不審といえば不審ではあるのだが。
「ごちそうさん。なんか不審なことがあればすぐに通報しろ…お代はここ置いとくぜ。」
カウンターの上に代金を置く。エール二杯分にしては随分と多い。
「あ、オイ!! 釣りがあるぞ!!」
立ち去ろうとする男二人の背中に、ガンドロワが慌てて声をかける。
「釣りはいらんよ。表のガキどもにクリームソーダでも奢ってやってくれ。」
背中を向けたまま右手をヒラヒラと振りつつ、二人は退出していく。
謝肉祭――この村にそんな風習はない。
ホセが決めた、政府軍の抜き打ち監査を知らせる符丁だ。
ここには「幽霊」が多い。
名前を捨て、死亡扱いにして政府の監視を逃れ、不知火として残った者たちだ。
監査兵の中にかつての同僚が混じっていれば、未解放の人質の命が危うくなる。
だから彼らは、すべての家族を取り戻すその日まで、姿を隠し続けなければならない。
民家には隠し扉や地下室が増築され、符丁を聞くと手近なシェルターに飛び込む。符丁自体も、不自然さを避けるため定期的に更新されている。
「おい、もういいぞ。」
ガンドロワの声で、生ごみ箱からガブリエルが顔を出す。
「うっぷ…ひでぇ臭いだ。ひどいぜ親父さん。」
「文句を言うな。他に手頃な場所がなかったんだ。」
「それはそうだけどよ…あっ、ミゲルは!?」
ガンドロワが顎をしゃくった先で、フレアスカートの女性がそっと裾を持ち上げる。
中から、顔を真っ赤にしたミゲルが出てきた。
「すいません、こんなところに…中にいる間は目を閉じてました。本当です。」
女性も頬を赤らめて頭を下げる。
「いえ、ここに入ってとお願いしたのは私の方ですから。他に方法がなくて…」
二人が恐縮し合う様子を、隅のテーブルで食事を続けていた零が呆れたように見ていた。
(食事中に来るなよ…喉に詰まるところだったじゃん)
体形さえ隠せば、今のところ「バカでかい砲を担いだ爆乳の女」以上の情報は政府側に渡っていない。顔を隠すそぶりはかえって怪しまれる。だから零は、あえて普通に食事を続けていた。
表通りでも次々と、民家のシェルターに隠れていた不知火隊員たちが姿を現し、再びそれぞれの仕事へと戻っていく。
テーブルに着き直すガブリエルとミゲル。
「やれやれ。さて、何喰うミゲル?」
「とりあえずスペシャルレーション定食はパスだな。あれ食ってると生きる気力がゴリゴリ削られていくような気がするんだよね…」
「とりあえずはエル・ウラカンをちびちびやりながら考えようぜ…それはそうとして、お前、さっきはうまいことやりやがったな?」
ニヤニヤしながらミゲルをからかうガブリエル。
「だから、違うって。彼女は親切に俺をかくまってくれたんだぞ。失礼なこと言うなよ。」
「いやいや、それはそうだが、世の中にはラッキースケベという極東の島国にも伝わる言葉があってだな…」
意地悪そうな表情で続けるガブリエルを見ながら、ミゲルが内心で呟く。
(やれやれ…今日の食事はガブにいじられながらになりそうだ…)
――ゴンッッ!!
突如としてガブリエルの脳天に鈍い痛みが走る。
「ぅごっ!? …痛ってぇぇぇ!!」
思わず頭を抱えてテーブルに突っ伏す。
慌てて背後を振り向くと、恰幅の良い中年女性の後姿がノッシノシと厨房の方へ帰っていくのが見えた。
「な…なんだよありゃぁ!? いきなりなんてことしやがるあのオバハン! 俺に何の恨みがあるってんだ!?」
「ハハッ。くだらないことばかり言ってるから神様からの天罰じゃないの?」
愉快そうにエル・ウラカンをチビチビと口に運ぶミゲル。
「ちっくしょう…あとでガンドロワに文句言ってやる…あれ?」
ふと気づくと、二人のテーブルに二つの皿が用意されている。どちらも皿からあふれんばかりの超大盛の煮込み料理だ。
「あれ…? ガブ、もうなんか注文した?」
「いや…まだウラカンしか頼んでないけど。誤注文じゃないのか?」
「あ…でもこれ、ポチェロじゃないか? ほら、俺らの田舎の定番料理の!」
嬉しそうにミゲルが目を輝かせる。
「あー…本当だな。これポチェロじゃん。ちょうどいいや、今夜の晩飯はこれにしようや。」
「そうだね。懐かしいなぁ…」
二人揃ってスプーンを口に運んだ。
そして、同時に手が止まった。
(この味は…)
厨房を見る。
中年の女性が、黙々と食材を刻んでいる。
二人の視線に気づくと、横目でニヤリと笑った。
「マヤおばさん…!!」
ガブリエルが思わず声を上げる。
子供の頃、悪さをすれば必ずゲンコツを食らわせ、その後で決まってこのポチェロをご馳走してくれた、近所の世話焼きおばさんだ。
「そうか…先週の収容所に、マヤおばさんも…」
ミゲルと目を合わせる。長い付き合いだ。言葉はいらない。
嬉しそうに、でもどこか悔しそうに、二人は再びスプーンを動かした。
故郷の味が、胃の奥まで染みていく。
「あれ…? おいミゲル、お前の皿の下に、何か挟まってるぞ。レシートか?」
ガブリエルの指摘に、ミゲルが皿を持ち上げて紙切れを取り出す。
しばらくその紙面を見ていたミゲルが、黙ってガブリエルにだけ見えるように掌で隠しつつ見せる。
『ミゲルのご両親は少し前に別の収容所に移送された。方角からしてたぶん第三か第六収容所』
小さな紙片に走り書きで、短くそう記されていた。
「そうか…マヤおばさん、最近まで親父やお袋と…くそっ、解放作戦があと少し早ければ、マヤおばさんと一緒に解放できたのに…!!」
悔しそうにスプーンを握り締めて呟く。
「いや、逆に考えてみろよミゲル。移送されたってことは、少なくとも親父さんもお袋さんも健康だってことだ。」
「え…?」
「移送されたってことは健康体だからさ。今にも死にかかっているような状況では、移送中に亡くなる可能性がある。そうまでして貴重な人質を無理に移送なんてしないだろ? 親父さんとお袋さんは、つい最近までは確実に元気だったって証明じゃねぇか。」
いつもそうだ。いつもガブはこうして、落ち込んだ時に希望を与えてくれる。
「ああ、お前の言う通りだ…焦っては事を仕損じる。チャンスは必ずやってくる…そう言いたいんだろ?」
「分かってるじゃねぇか。さぁ、少なくとも居場所の見当はついたんだ。今はこれ食って英気を養っとこうぜ!!」
二人は目の前にそびえ立つ大盛りポチェロの山に挑みかかるのだった。
三日月亭を後にした政府軍監査兵が、停めてあるジープに向かおうとしている。男の足に何かがぶつかる。
ボロボロのサッカーボールだ。拾い上げてふと見ると、小さな男の子がこちらを見ている。
「ほれっ!!」と笑いながらボールを投げ返してやる。
「ありがとうおじさん!!」
「気を付けて遊べよボウズ。ああ、あっちの林の向こうには絶対近づくなよ。あの辺はまだ地雷が残ってる。あぶねーから近づくんじゃねーぞ。分かったな?」
「うん、パパにもそう言われてるから大丈夫!! おじさんはセーフグンの人?」
屈託のない笑顔で答える少年。
「ああ。ボウズの親父さんも軍人なのか? 親父さんとは会えてるのか?」
「うん、しばらく会ってない。でも年末のクリスマス休暇にはおもちゃ買ってお土産に帰ってくるって!!」
顔をほころばせる二人の男。
「ハハッ、そうか。そりゃ楽しみだな。はやくクリスマスが来るといいな。」
「うん!! じゃーねおじさん!!」
仲間の下へと走り去っていく少年を見送りながら、二人はジープに乗り込む。
運転席の男が、ハンドルに手をかけたまま呟く。
「運が良かったんだろうな、あの家族。人質に取られてないってことは、あいつらの親父は辺境警備か何かに配属されたのか。あそこなら閑職だ。政府もわざわざ家族を人質に取る必要はないからな。」
タバコに火をつけながら助手席の男が答える。
「手当たり次第、政治犯やら反乱分子やらぶち込みまくって、どこの収容所も収容率は140%を超えるすし詰め状態だ。」
「おかげで衛生状態はどこも劣悪ときてる…俺だって家族が収容されてなきゃ、誰が好き好んでこんな憎まれ役の仕事なんぞ…」
「おい、滅多なことを言うなよ。基地内にだって憲兵どもが目を光らせてるんだ。壁に耳ありだ。」
「分かってるよ…とりあえず従うしかねぇ。そうしてる間は家族も安泰…といっても、あのクソ上官どもの口約束がどこまで信じられるか分かったもんじゃねぇが…」
男は腹立たしげにシフトレバーを叩き込み、所属する基地への帰途につく。
この国の根幹は腐り果てている。
政治腐敗、官僚の賄賂や汚職の横行。それらを自浄する能力はなく、それどころかカルテルというシロアリを自ら招き入れ、内側から食い荒らされているのだ。
見た目は大木だが、その内情はすでにボロボロであることを、二人の男たちの会話が証明していた。
家族を人質に取って忠誠を強制するような、そんなやり方がいつまでも続くものではない。
古き大樹はすでに不気味なきしみ音を立て、傾き始めているのだ…。




