↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
離縁したくて弦を狂わせましたのに、旦那様は一等いい音だと仰います  作者: 天音フェリ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
10/11

第10話 幕間 北峠

 北の砦に隊長が来たのは、二年ぶりだった。


 オルグ・レンツは中庭でそれを見た。馬を降りるところから、雪の残った石段を上がってくるところまで、全部見た。歩き方は変わっていない。肩の位置も、首の角度も。


 ただ一つだけ、変わったことがある。


 隊長は、人の左側に立つ。


 二年前まではそんな癖はなかった。いまは必ず、話す相手の左に回り込む。右耳を相手のほうへ向けるためだ。気づいている者は、たぶん砦に一人しかいない。


「ご無沙汰しております」


「変わりないか」


「変わりございません。冬に屋根を二つ落としましたが、直しました」


「そうか」


 夜、詰所の隅で二人になった。酒が出た。北の砦の酒は薬みたいな味がする。


 オルグは隊長の左側に座らないようにした。二年、そうしている。


「隊長。夜半に呼び出されるのは慣れておりますが、今回は何のご用で」


「用はない」


「用がないのに、二日かけて馬でお越しになりましたか」


「……ああ」


 隊長は杯を見ていた。


 この人は昔から言葉が少なかったが、二年前を境に、少なさの種類が変わった。前は言う必要がないから言わなかった。いまは、言うと何かが壊れるから言わない。


 二年前の冬のことを、オルグは毎年この時期に思い出す。思い出したくて思い出すのではない。冬になると、峠から風が同じ音を運んでくる。


 あの日、峠に据えた魔導砲が暴発した。


 新式の砲だった。王都から届いたばかりで、据え付けの立ち会いにギルドの検分官と、隊長と、オルグを含む十四名がいた。試射の三発目で、砲身の継ぎ目が笑った。笑う、というのは金属が裂ける前に立てる音のことだ。


 隊長はそれを聞いた。


 オルグには聞こえなかった。ほかの十二名にも聞こえなかった。隊長だけが聞いて、走って、砲身を素手で掴んで、砲口を谷のほうへ捻じ曲げた。


 そのあと、白くなった。


 音は覚えていない。覚えているのは、白と、地面が下から殴ってきた感じと、それから、耳の中で長いこと鳴っていた鐘のような音だ。


 十四名のうち、死んだのは二人だった。砲口を捻じ曲げなければ、あの角度では十四名全部が死んでいた。


 隊長は右の手のひらを焼いた。焼けた砲身を掴んだからだ。傷は塞がったが、細いものが握れなくなった。剣は握れる。柄が太いからだ。


 それだけなら、話は終わりだった。


 春になって、オルグは気づいた。


 隊長が、笛の音に反応しない。


 伝令の笛は高い。砦では三種類の笛を使い分ける。集合と、警戒と、退避。いちばん高いのが退避で、これが隊長に届いていなかった。届いていないのに、隊長は退避の合図が出たことを毎回正しく把握していた。周りの動きを見て、そこから逆に読んでいた。


 二月かけて、オルグは確かめた。確かめて、一度だけ、二人のときに言った。


 ——隊長。高いところが、聞こえておられませんか。


 隊長は、否定しなかった。肯定もしなかった。ただ、こう言った。


 ——報告に書くな。


 書けば隊長は隊を降りる。それだけなら本人も納得しただろう。問題はそこではない。北の防衛の指揮を誰が引き継ぐかという話になり、王都はここぞとばかりに人を送り込んでくる。峠の砲を寄越したのと同じ連中が。


 隊長は自分から隊を降りた。理由は「傷のため」とだけ書いた。嘘ではない。手のことしか書いていないだけだ。


 領主の職は残った。辺境の防衛は、いまも実質この人が見ている。


 二年、誰にも言っていない。家令のばあさんは気づいているだろうが、あの人は口を開かない。


「オルグ」


「はい」


「妻を、娶った」


 オルグは杯を落としそうになった。


「存じております。春先に文が回ってまいりました。王都の楽器屋の娘御だとか」


「弦を張る」


「はい?」


「毎晩、弦を張る。狂った弦だ」


 隊長は、まだ杯を見ていた。


「四分の一、半音、一と八分の一。日によって違う。あれが張った弦だけが、まっすぐ聞こえる」


 オルグは何も言えなかった。


 この二年、この人が音の話をしたのは、これが初めてだった。


「隊長。それは、奥方はご存じで」


「言っていない」


「なぜでございます」


「言えば、憐れむ」


「……奥方が、そういう方ですか」


「そういう者でなくとも、憐れむ」


 隊長は杯を空けた。


「それに、あれは出ていきたがっている」


「はあ」


「毎晩、狂った弦を張るのはそのためだ。嫌われて、離縁されて、王都へ帰りたいのだろう。工房が競売にかかると聞いた」


 オルグは自分の耳を疑った。


「……隊長。ご存じでいらしたのですか」


「察しはつく」


「察しがついていて、毎晩通っておられるのですか」


 隊長は答えなかった。


 しばらくして、こう言った。


「あれの弦は、良い」


 それだけだった。


 オルグは天井を見上げた。詰所の梁は二年前と同じところが煤けている。


 この人は、自分を追い出すために張られた弦を、毎晩聴きに行っている。世界でその音だけがまっすぐ聞こえるからだ。そして、それを言えば相手が気の毒がると思っている。だから言わない。言わないまま、相手は狂った弦を張り続ける。


 どこから手をつければいいのか、オルグには分からなかった。


「隊長」


「なんだ」


「一つだけ、お耳に入れておきたいことがございます。峠の砲のことです」


 隊長が顔を上げた。


「あの砲の検収記録を、去年見る機会がありました。据え付けの前に王都で検分を通したことになっております。通した日付と、署名が入っておりました」


「それがどうした」


「その日付には、砲はまだ王都の工房にございませんでした。船で運ばれてきたのは、その八日あとでございます」


 詰所が静かになった。


「署名は」


「ゲール、と」


 隊長は、それきり何も言わなかった。


 翌朝、馬に乗る前に、隊長は一度だけ振り返った。


「オルグ」


「はい」


「その話は、まだ誰にも言うな」


「隊長も、まだ誰にも仰っておられませんな」


 返事はなかった。


 馬が石段の下へ消えるのを見送りながら、オルグは思った。


 この人は、まだ誰にも言っていない。


 二年前のことも、耳のことも、それから、たぶん、いちばん言うべき相手にも。

 視点をお借りしました。北の砦の副官、オルグ・レンツでございます。本編でルツィアの視点を離れるのは、第一部ではこの一度きりです。


 これで読者の皆様は、ルツィアより先に答えをご存じになりました。ここから五話、ルツィアはまだ知りません。知らないまま、弦を張り続けます。


 次回、屋敷に王都から検査官がまいります。ルツィアの張った弦を、一本ずつ測って記録していく仕事の方でございます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。